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カテゴリ:散策・紀行など
だいぶ温泉旅行の記録が遅れてしまったので、少し気合を入れてアップしなければ自分自身でも忘れてしまいそうです さて月日は戻り冬の真っ只中の2月29日の話です。 この朝の気温は-9℃と冷え込んでおりましたけど素晴らしい晴天 朝食の栗おこわが蒸かしたてでほっくりととても美味しかったです 一晩暖かいおもてなしを受け「貸切の宿」をたっぷり堪能した私達は朝のきんきんに引き締まった冷気の中へと歩き出しました。 まず最初に訪れたのは「湯かけ祭」で有名な川原湯神社です。 永正17年(1520年)創立と伝えられる土地の氏神さまで、毎年1月20日未明に行われるこの祭は400年もの歴史があるそうです。 400年前ある日突然温泉が出なくなり困り果てた事がありました。 その時、温泉の香がゆで卵の匂いに似ているので、湯の神様は鶏に所縁があるものと信じられ、鶏を奉納しお祈りしたところ再び温泉が湧き出し喜びのあまり「お湯わいた、お祝いだ」と湯を掛け合って喜んだ事から始まったそうです。 1月20日の厳寒の中、締め込み一丁で男達が盛大に温泉のお湯を掛け合う賑わいも、普段はこんなに静かな佇まいの立派な本殿です。 宿で貰った土地の地図を見ながら散策する事にしました。 新緑の頃や紅葉の頃には沢山の人出がある土地ですが、こんな真冬の平日に、しかも雪を踏みしめて歩き回る人は全くおらずのんびりと静かな風景を存分に楽しむ事が出来ました 冬枯れの木立の間から眼下に吾妻川が見えています。 遠くに見えるのは草津白根山。 この辺りは車一台がやっと通れるだけの細い道が野や畑の間をうねうねと続くのどかで風情ある風景だったのですが・・・・。 数年後に出来る八ッ場ダム建設の為、あちこち工事中の有様で建設道路が通り開発の最中となっていました 向こう側に見えるカップケーキのような形の山は標高1130mの丸岩と言う奇峰で、南側を除いた三方を100mにも達する垂直の岩壁が囲み、岩壁の柱を束ねて立てかけた様な割れ目(柱状節理)は自然が造り出した驚愕の造形美と言われています。 雪の上には小動物の足跡が転々と続きますが、人の足跡は全くありません。 2時間くらい歩いた頃に夫は雪道で遭難するのではないかと心配したくらいです(しっかり地図を見ている私を信用していない・・・) 日陰には地下水が凍って巨大な氷柱になった箇所が沢山あり、冬の醍醐味を堪能した私 嬉々として雪道をずんずん進む私には疲れなんぞありません 草津白根山が近くに見えるようになりました。 嬬恋高原はキャベツの産地、そして向こう側は長野県です。 左側へずぅっと行けば浅間の鬼押し出しや奥軽井沢へと続きます。 上州から信濃への古くからの街道筋にあたる道は、その昔上州沼田城-岩櫃城-上田へと続く真田家の六文銭が通った道でもあります。 吾妻川沿いに温泉地が点在し集落がいくつもあったので、古くからの道祖神や庚申塚や古寺社が沢山見られます。 川原湯辺りは有名な草津温泉と四万温泉との間に位置する為か、あまり人で混み合う事も無く、のどかで鄙びて静かな温泉郷でありました。 そんな川原湯温泉に水力発電のダム建設計画が持ち上がったのは昭和27年(1952年)の事でした。 首都圏の水需要に備えてと利根川流域の水害をなくす為との理由から利根川水系に10箇所のダム建設が計画されたのはなんと昭和24年(1949年)だったそうです。 その後利根川上流に設けられたダムは8箇所となりましたけど、この「関東の耶馬溪」とも賞される吾妻渓谷を水没させ数多の自然を破壊して完成となる「八ッ場ダム(やんばダム)」には多くの反対運動が持ち上がりました。 何年にも及ぶ反対運動と建設計画の見直しや補償の見直しが繰り返され、当初の計画より600m上流にする事や新たな源泉の発見などがあり、水没予定区域の住民の移転が少しずつ進んだ結果、現在のような工事が進行する状況になっています。 このダムについての経緯は複雑で難しく、とてもここに書き出し切れません。 どうか下記のサイトを参照なさってくださいお願いいたします。 参考サイト: 八ッ場あしたの会・八ッ場を考える会 手をつないでまもりたい・八ツ場ダム計画の川原湯温泉を訪ねて 八ッ場ダムWikipedia 八ッ場ダム工事事務所 再び続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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