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カテゴリ:文化・伝統
昨日は上野にある東京国立博物館に「国宝薬師寺展」を見に行って来た。 あまり興味が無いような夫は残して一人で行こうと思っていたのだが、私が中学生だった頃、実家の母が仏像の写真集を見て薬師寺の月光菩薩のお顔が亡くなった祖母の顔に似ていると涙を流していたのを思い出したので誘って一緒に行く事にした。 一緒に行きたい所があるから上野に行こうと誘い出し、ついでに姉も行く事に決まった。 世界中で一番の方向音痴だと確信を持って言える姉だから上野駅での待ち合わせは心元なかったけど、義兄が一緒に来られるというのでひとまず安心 (^。^;)フウ 時はまさに新緑の命みなぎる頃、萌え上がる生命の息吹に体中が緑に染まるような季節。 もっとちゃんと新緑の写真を撮れば良かったと今になって後悔。 せっかくの上野公園の清清しい姿はこれしか写してなかった (-_-#) この二体揃って薬師寺から出ての公開は初めての事だと言う。 NHKがスペシャル番組で、奈良まで出かけられない東国の人達にも暖かいお慈悲が受けられるようにと、薬師寺金堂から搬出される前に僧達が菩薩像を磨いてさしあげる様子が放送されていた。 高い位置からも眺められるように設けられた場所で初めて対面した時、時間が止まったように感じられた。 平日とは言え連休中の事、かなりの人で混んでいたのに静寂な空間に思える瞬間だった。 思わず手を合わせて祈らずにいられない姿、言葉で表せないあの時の感激は、知らず知らずに涙が出そうな感じだ。 感激の激情が込み上げるとかそういった激しい気持ちではなく、静かにありがたさが溢れ出て来るような不思議な感覚だった。 以前にも書いた事があるが、仏像を美術品として扱う事に抵抗を感じている。 いくら芸術性が高くて素晴らしくても1300年もの長きに渡り人々の祈りや願いを奉げられてきたのだから、数え切れない程の人達の思いが込められているはずだ。 宗教的な美術と片付けて良いとは思えない。 実際昨日の会場では沢山の人達が手を合わせ拝んでいる姿が見受けられて嬉しかった。 日光菩薩も月光菩薩も中性であるのだが、良く似ている二体の像の印象はとても違ったものに感じた。 日光菩薩の表情は凛々しくはつらつとした若者のようであるのに、月光菩薩のそれは暖かく優しげで女性的に見える。 僅かに腰を曲げて柔らかな姿でゆったりおおらかに立っているだけなのだが、この暖かい大きな存在感は何なのだろう。 今回の搬出に際して光背を外し、初めて背中側から見る事が出来たそうで金堂に調査に入っていた専門家が「ダ・ビンチ以前に人間の筋肉のつき方などをここまで正確に理解して造られたり描かれたりした例は無い」と言い切っていた。 そして背中の筋肉の付き方や形が、日光菩薩は男性の筋肉、月光菩薩は女性の筋肉だろうと推測されるらしい。 確かに月光菩薩の背中は少し丸みを帯びて柔らかそうな背中に見える。 完成された美の曲線は実に優しくてすんなりと受け入れていただけるような安心感をもたらしてくれる。 一目見た時から涙が止まらない様子の母を見て、誘った事が正解だったと嬉しかった。 他にも素晴らしい国宝や重要文化財が多数展示されていたけれど、やはり私は総てを祈りの為のものとして受け止めたい。 現在奈良薬師寺は金堂の修理を同時に行っているそうだ。 薬師如来を中央に何時も三仏が一緒だった薬師寺ではきっと寂しい思いで留守番をしていると思う。 何処一つ傷を付けたり破損したり無いままにお戻りいただきたいと心から祈っている。 あ~、奈良にも行きたい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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