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くりごと

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2008年05月14日
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カテゴリ:散策・紀行など


もういい加減に自分自身にけりをつけなければいけない頃だなわからん

2月末に訪れた川原湯温泉の事は既に3回紀行として書いて来た。

が、最後の部分で手が止まってずっと心に重いしこり状態のまま過ごして来ている。

川原湯温泉紀行その3、でずっと吾妻川の東側斜面を歩いて雪道を楽しんだのだけど、書けなくなったのは駅へ戻る為に川の西側を歩く所からだ。



長い雪道行進の先に辿り着いたのは仁王像などの石仏群だった。


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土地の人々から仁王さんと呼ばれ親しまれている金剛神像で享保12年(1727)の銘がある。
後ろにはあ「むぼうとうさん」と呼ばれる子供の風邪をなおしてくれる験があるろいう無縫塔(墓標)もある。



これらの石像や墓標などはダム工事に際して点在していた物を一箇所に集めて供養しているようで、フェンスで囲いが出来ていた。


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残っている古い民家の横にもこんな祠群がある。
陽だまりの中に固まって昔を偲んでいるようだ。




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雪に彩られた吾妻渓谷に張り出した堂岩。
川のせせらぎや鳥の声の合間に岩を削るような工事の音が鳴り響いていた。



そして・・・・・・・・、

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すでにこんなに工事が進んでいて、ダム湖を渡る架橋桁がにょっきりあちこちに建っている。

雪が残った寒い(この朝は-9℃)中でも驚くほど沢山の工事が一帯で執り行われていて、そしてあちこちに工事の様子を説明する看板が目立つ。


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道路沿いに新しく立派な建物があると思ったら、それは「やんば館」という名の「八ッ場ダムのすべてがわかる広報施設です」との事だった。
ダム完成後にはここも水没するのだから完成するまでの間のPRの場として建築されたのだ。



中には訪問者が10万人を越えていると書いてあって、このダムがどれ程必要でどれ程多くのメリットがあって大切なダムなのだとの説明やら展示物が置いてあった。

このダム建設の為に吾妻川に流れ入る沢山の沢の砂防工事だけでも40箇所以上らしく、それはもう完成しつつある段階だそうだ。

JRの線路も大きくダム湖を迂回するように現在の水没予定地から反対側の山の中腹へ上げられて、線路の為の橋も建設中である。

当初の計画よりも少し縮小されたから天然記念物の部分の吾妻渓谷には何ら損失は無いらしい・・・・。

ダムの正当性を広める為に行政側ががむしゃらに一生懸命になっているようにしか感じられなかった。

やんば館だって壊される物なのに何億もかけて建てて、何人もの人を雇って駐在させている訳だ。

天下りの役人とかがどうせここの館長とかやってるんじゃないかと勘繰ってしまうぷー



工事のトラックやダンプカーの行き過ぎる細い国道沿いに駅方面へ戻ったのだけど、この景色が日に日に壊されて削られて無くなって行くのかと思うだけで悲しくて気持ちが沈んでしまいそうになっていた。



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川原湯岩脈の臥竜岩。
国道の弾劾に延びる柱状節理と言う、地層の割れ目に地下の輝石安山岩の溶岩が噴出し固まった物で昭和9年に国の天然記念物に指定されている。
およそ230万年前の物だそうだ。



太古の昔に地球の奥深くから湧き出して来て、数多の年月の流れを見守ってきた臥竜岩は人間の手によって永久に水没させられる運命となったのだった。


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前日泊まった山木館を谷川から見上げる。
下の階に露天風呂があったのだが、下から2階目の所まで水没すると言っていた。
もちろん移転しない訳にはいかない状態。



前夜むささびが来て無心に餌を食べていた老木もダムに沈んでしまうけど、ムササビは新しく移転した山木館を上手に探す事が出来るだろうか。

それとも山の奥へ奥へと移動して、自然を裏切る人間達を二度と信用してはくれなくなってしまうのだろうか。


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駅はもうすぐ近くになった。
停車時にすれ違えるだけで後は単線の線路が伸びている。



線路の西側斜面は日当たりが良く、家屋が点在して鄙びた暖かい風景を作っている。

ところどころにお堂の屋根が見えたりするのだが、こんな落ち着いた人々の安住の地をダム建設という大義で奪ってしまうのは哀し過ぎる。



八ッ場ダムは54年も前に計画されたダムであって水は、埼玉県、東京都、千葉県、群馬県、茨城県、栃木県の一都五県に水道用水、工業用水として供給される為のものであると言う。

しかし水質が強酸性である事から一時中止となった時期もあった。

が、草津町に中和工場を完成させた事から再び現実化し(中和には毎日かなりの量の石灰が投入されるとの事)1965年に群馬県により正式にダム建設を発表された。



数々の強いダム建設反対運動が起こり紛糾した時期もあったけど、国側も代替地や生活再生の手段などを打ち出して個別補償交渉が始められた。

川原湯温泉については新たな源泉が現在より上った所に見つかり、ダム湖沿岸に新しい代替地も用意され、老朽化して建て直しの時期に来ていた旅館などから移転が始まって行った。

現在でも反対の声は消えていない右矢印やんばあしたの会・やんばダムを考える会

国土交通省による当初の八ッ場ダム事業費変更案では予算が2110億円であったが、基本計画の2度目の変更により平成16年(2004)に4600億円が計上された。



この金額はすべて税金から払われる物だ。

果たして時代に逆行するような水力ダムが本当に今も必要なのだろうか。

50年以上前と人々の生活は利根川流水系の地域でも大きく変化している。

中和しなければ使えない水を大きく溜めて、貴重な自然や環境を水没させて、人々の故郷を奪い永久に破壊してしまう事にこれだけのお金をかける意味があるのだろうか。

前夜泊まった山木館のおかみさんは「10年前にもっともっと日本中が騒いで反対してくれていたら良かったのですが・・・。」と諦めに似たため息を吐いていた。

既に移転してしまっている家も沢山あるのが現状なのだ。



新しく生まれ変わる川原湯温泉、という看板を見た。

ダム湖の畔に新しい宿が並び、新しい公園が出来、釣りやハイキングが出来る楽しい場所だと説明してあった。

しかし私は敢えて言う。

今より観光客は来ないだろうと・・・。

人々は温泉に癒されたくて、清潔でもどこか心休まる風景を望んでいるはずだ。

それならほんの少し足を伸ばして草津温泉に行けば良い。

目新しいばかりで故郷のような郷愁を感じない温泉にどのような魅力を感じると言うのだろうか。



現在の川原湯温泉は草津のような盛大さが無い代わりに、静けさと落ち着きと日本の原風景のような安らぎを覚える景色がふんだんにある。

これが無くなっては川原湯温泉という価値が見出せないではないか。



アメリカでは水力ダムの破壊が行われたりしている。

コンクリートの巨大な建造物を破壊して、時間がかかっても自然を取り戻そうとする人々の知恵が行動となっている。

川原湯温泉界隈には、すでにダム工事の為の道路を作ったり橋桁を作ったり砂防ダムを作ったりの工事が日々進んでいる。

しかしまだ本格的なダム建設が始まった訳ではない。

今までに費やした莫大なお金を無い物にしても、これからかかるであろう更にもっと莫大な無駄は止められるのにと強く思う。



旅行中道を教えてくれたりした、工事現場の人たちは皆親切で明るく気持ちの良い人たちばかりだった。

彼らへ一抹のうしろめたさを感じながらも、ダム建設はこれ以上必要ないのだと私は思っている。





あまりにも重い思いで、ずっとあの自然を脳裏に思い描いて過ごしていた。

思い切ってブログに書く為の精神的エネルギーというか怒りのエントロピーが不完全で今まで完成する事が出来なかった。

ようやくこれで私の川原湯温泉紀行が終わったね きらきら








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最終更新日  2008年05月14日 18時45分16秒
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