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くりごと

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2009年04月20日
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カテゴリ:散策・紀行など

 


先週の水曜日、一度も出向いた事がなかった目黒不動尊へお参りして来た。

あまりにも天気の良い日で、何処かへ行かないと申し訳ないような気分になる日和だった晴れ

考えたらJR目黒駅に降りるのは初めての事。

そう思って考えたら、山手線の駅で目黒以外にも目白・田町・大崎にも降りた事がないんだなぁと思う電車

別に用事が無いから行かないのだけれど、最近は更に現代的なセンスに塗りあげられたような場所には面倒臭くて行かなくなっているのに気がついたNG

神社仏閣とか下町巡りなら気が向くのだが、買い物にもウィンドウショッピングにも興味が無い私には、一般的に都会の街と言われるような所には縁が無くなったみたいだ。

六本木ヒルズも赤坂サカスにも表参道ヒルズにも、これっぽっちも行きたい気持ちにならないあっかんべー

人出で混雑している街が苦手というか、普段でも暮れの混雑のような人混みが毎日だった香港生活からの反動なのかもしれない。







目黒駅から行人坂を下って歩いて行った。


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明和9年(1772)に行人坂の大火と言われる惨事の火元になった有名な坂である炎


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大円寺(天台宗)。この寺の本堂から出火した火は折からの乾燥した2月の風に火の粉を散らし、江戸の六百余町を焼けつくし、死者1万5千人以上が出たと言われている。
明和の大火と呼ばれる江戸三大大火の一つである。



境内にはその供養に建てられた五百羅漢像など(大円寺石仏群)が、日溜りに並んでいた。




切絵図や道路地図などで想像していたのとはまるで違う風景で、行人坂も歩かなければこんなに急な坂だとは解らなかっただろう。

今ではぎっしりと家やビルが立ち並び、狭い坂道や枝分かれした裏道が沢山ある様子だ。






坂を下った所に目黒川流れていて、歩いていたら面白い建物を見つけた。


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その昔恋人達の憧れ(?)だったホテル目黒エンペラー目がハート


私がまだ学生だった頃から有名で、当時は皆がよく冗談に口にした名前であるホテル

その頃はきっと周りに高い建物は無かったのではないだろうか、そしてこんな派手なお城のような建物が夜空に煌々と目立った事だろう星

通りすがりに入口を覗いてみたら、休憩で5800円くらいとか書いてあったぞさいふ

なぁんだびっくりするくらい安いぢゃんびっくり

・・・って、一体何と比較して思ったんだか(自爆)あっかんべー

そう言えば最近は、車で出かける郊外はまだしも、東京の街にこの類のホテルが殆ど見られなくなったような気がする失恋

一人暮らしの若者が多くなったからなのか、そして世間も恋人同士が泊まり合ったり一緒に住む事を普通に見るように変化して来たからなのかもしれない。

羨ましいくらい便利で自由な世間になったんだね・・・オーケー





地図を見て立てた計画で次に訪れた場所は、大鳥神社である。

大同元年(806)創建と言われる目黒区内最古の神社だそうで、目黒村の総鎮守社だ。

毎年11月にはこの大鳥神社でも古くから酉の市が開かれているそうだ。


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境内はそれ程広くないけれど、掃き清められて厳かな雰囲気だ。
9月の例大祭には30基もの神輿が出るとは知らなかった
雫


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境内には支丹灯篭があった。
かつては肥前島原藩松平主殿守の下屋敷にまつられて、密かに信仰されていたと伝えられているそうだ。
イエス像を仏像形式に変形させた珍しいもので、キリシタンへの迫害が大きくなった江戸中期のものだろうと言われている。






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大鳥神社の隣にある大聖院の境内にも更に別の切支丹灯籠があった。
上の灯篭と同じく肥前島原藩の下屋敷にある林泉中の小祠内から発見された物だそうだ。
中央の最も高い一基の棹石には変形T字クルスとキリスト像と思われる形状が、また左右の面には漢詩が刻まれている。



これらを信仰していた人々はどれ程の覚悟で密かに祈っていたのだろうかきらきら

肉体は年月を経て滅びても、祈りの心はこの空気に満ちて残っているのだろうか。






乾いた強い風が吹いていて、髪の毛をめちゃくちゃにしてくれたけれど、汗ばむ程の暖かい中、地面のあちこちに数日前に散っただろう桜の花びらが吹き溜まりを作っている。

下目黒という街は、かなり入り組んだ細い道があちこちに繋がっていて、建て混んだ住宅の間に春を寿ぐ花々が明るく咲いていた花四つ葉


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次に向かったのは浄土宗蟠龍寺。
住宅地の間に細長く続いた道の奥、驚く程沢山の花に囲まれた小さいが美しい佇まいの寺だ。



宝永6年(1709)創建の寺で、狭い境内には池があり奥にひっそりとおしろい地蔵尊があった。

本堂の裏手には岩屋弁天の祠があり、熱心に拝んでいる婦人の姿があった。

数えきれない程の種類の花々が咲き乱れ、今までに私が訪ねた寺社の中でもトップに数えられる場所が新たに見つかったと感じている。

第一番に上げるのは、北区西ヶ原にある江戸六阿弥陀三番の無量寺だけど、この蟠龍寺もそれに並ぶ程の優しく美しい雰囲気と安らぎを醸し出している寺であるウィンクちょき






さて、漸く目黒不動尊、天台宗泰叡山瀧泉寺に着いたグッド・・・裏側からだったけどスマイル

花が満開の時期を過ぎた平日の昼間だったから、閑散と静かな雰囲気だった。


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写っている人は知らない参拝客ですからぱー


大同3年(808年)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して開創したという寺伝が残っている。

境内は平地と台地の二面に建てられていて、本堂は急な石段を上がって高く鎮座している。

毎月28日には縁日が立つそうだけど、この日は絵を描いている老人のグループや、数組の参拝客がいるだけの静けさだった。

ここで何時ものように子供達4人にお守りを求め、何となく安心して嬉しくなったウィンク





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石段の下にある独鈷の滝。
この水開山以来千百年以上も涸れる事無く湧き出て流れる霊水で「龍御神水」と呼ばれている。
飲料には適さないので飲まないように、との立札があるけれど、澄んだ水は結構な量で湧き出ているようだ。



ちなみに上の写真でお不動様に水をかけようとしている方も、知らない参拝客の一人である、念の為ぱー






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独鈷の滝の池を巡る後ろ側には何故か子犬を抱えた狛犬の像があり、可愛いのと珍しいので写真に撮って来た犬
そしてその周りには「見ざる言わざる聞かざる」が彫られた庚申塔が沢山見られた。








桜の開花に一喜一憂したような花の狂瀾期を過ぎて、ほっと一息ついたような晩春の一日、カラッと晴れて澄んだ青空には萌えるような若葉の色が鮮やかで目に沁みるようだった四つ葉


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この日は途中で帰ったりせず、無事最後まで夫と一緒に散策する事が出来たよスマイルちょき









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最終更新日  2009年04月21日 09時05分10秒
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