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カテゴリ:散策・紀行など
さて・・・・と、ぐずぐずしていたら2週間も過ぎてしまいました いい加減にこの旅行を終えてしまわなくちゃね 堂ヶ島遊歩道の散策を終えて、両親や姉の待っているホテルへ戻る途中、小さい薬師堂を見つけました。 西伊豆町堂ヶ島薬師堂。 有形文化財の木造薬師如来像と木造阿弥陀如来像が安置されているそうです。 この寺は古く行基によって薬師・阿弥陀・釈迦の三如来像が刻まれ三堂が建立されたのが始まりと言われているそうですが、後に北条氏の領土であった為、秀吉によって戦火に焼かれたりの変遷を経て、文禄三年に再建されたのだそうです。 以後300年以上の年月土地の人達に大切にされて霊験ある薬師如来様と呼ばれているそうです。 どんな土地に旅行に出ていても、神社仏閣にどうしても惹かれます 日々変化する生活の中で、神社仏閣はかなりの率で長い年月そのまま同じ場所にあって、人々の祈りや願いを受けて来た聖地だと感じられるからです。 私の中の「日本人」がホッと一息ついて、自分自身を再確認出来たような気分にしてくれるのです ホテルに戻り、スタッフの人達の暖かい笑顔に見送られて車に乗りました この日は帰る途中にあちこち寄らず、車窓からの景色を楽しんだり、海の香りを吸い込んだり、 堂ヶ島から国道136号線をずぅっと南下しました。 西伊豆の地形は激しく起伏に富んでいて、崖っぷちを走ったり山に入ったり海辺に出たりが面白かったです かなり走った所まで、三四郎島のトンボロ現象の海が遠くに見えていました。 一つ切通しを過ぎると小さい入り江の漁港があったり、思いがけない入り江に砂浜が隠れていたり、景色に変化があるので飽きません 夏になったら海水浴客でさぞ賑わうだろうと予想させる民宿が沢山ありました。 道が思い切り山側に入って登りになった箇所で、父が車窓から猿を見つけました 車道の上側の崖にちょこんと腰を降ろしていたのはまだ子猿のような大きさで、他に周りに仲間は見えず、一匹だけで車道を眺めているようでした。 そんな小さな事(その辺りでは珍しくもない情景でしょうが)を父が発見し、同行の皆でわぁっと一緒に体験出来た事は本当に楽しい思い出で、帰ってから1ヵ月も過ぎた今でもその時の事を父は楽しそうに話しています 南伊豆へ入ったところで136号から県道16号線に入り、石廊崎灯台の方へ進みました。 伊豆半島最南端への道です。 灯台へは車を降りてずっと歩いて行かなければなりませんでしたから、私達はそのまま景色だけを楽しんで通り過ぎる事にしました。 西伊豆の景色とは随分様相が変わって来ています。 こちらの方が鄙びた感じの西伊豆に比べ、ずっと新しく開発されて作られた観光地的な風景に見えました。 ソテツやフェニックスや浜木綿など南国風の植物が植えられているのも西伊豆とは違う雰囲気を醸し出していました。 再び136号線に合流し、一路下田へと向かいました。 そろそろお昼の時間ですから下田で何か美味しい物を・・・あれこれガイドブックや地図を確かめながら、そんなやりとりも楽しいものです 下田の町は急に都会に出たかの錯覚を起こさせる程、にぎやかに家々が立ち並び、漁港には沢山の船が係留してありました。 見つけたお店で父は、車椅子で入口まで行き、店内は杖をついてえっちらおっちらゆっくり席につけました。 かなりゆっくりで時間がかかるのですが、父は全く歩けない訳じゃないので、頑張って歩かせます お店は「海鮮喰いもの市場・磯華亭」という所です。 父が食べた納豆海鮮丼 義兄と夫が食べた海の幸丼 姉と私は三色丼 生物はあまり得意じゃない母は天丼 とっても美味しかったですよ 父は随分前に胃を全摘してからは食が細くなっているのですが、驚いた事にこの丼を全部平らげてしまいました 美味しかったんだそうです、こういうのを食べたかったんですって 新鮮な魚介類の丼が食べたかったんだって喜んでいました 日頃父の世話をしている母もこの食欲にはびっくりです。 あまり動かない日常から出て、車の乗り降りを繰り返したり、温泉に入ったり、良い空気を吸ったり皆とおしゃべりしたりの刺激が父に元気を出させたように思えます。 お店に入る時から気になっていた場所がありました お店から真っ直ぐ行った所にお寺の山門が見えていたのです 食べ終わった私と夫で行ってみる事にしました。 富厳山天気院海善寺、浄土宗のお寺です。 本堂は再建されたモダン建築になっていましたが、山門は古い物です。 山門前に小さい石橋があり面白い雰囲気でした。 十四代将軍家持が翔鶴丸で上洛の折、西風に阻まれてここで越年をしたそうです。 数軒隣に更に大きなお寺があるのが見えたので行ってみました。 唐人お吉の菩提寺でもある宝福寺です。 お吉の墓で有名になっているらしいですが、私にはそれよりこの寺で、滞在していた山内容堂と勝海舟が話し合い坂本竜馬の脱藩の罪を許された、という方が面白い 嘉永7年(1854)日米和親交渉の時、この宝福寺が日本全権の本陣となり下田奉行所が置かれていた、というのも更に面白い 当時のこの辺りはどんな景色だったのか、とか海が近くに見えていたのだろうかなどと想像するだけでもわくわくして来た私でした 駐車場になっていしまっているお寺の前面はちょっと興醒めなのですが、本堂の様子はなかなか興味深いものでした。 軒下の彫刻が獅子と、牙と長い鼻を持った「象」なのがとても面白かったです。 下田からは北上する道で国道135号線に変わりました。 東伊豆の温泉がいくつも続く道を行き、伊豆高原の町から伊豆半島の真ん中の背の部分を走る伊豆スカイラインに入りました。 135号をずっと北上した場合、熱海付近でとても混む事が多いそうなので思い切って山道のドライブに切り替えたのです。 午後になり雲が梅雨らしく増えて来ていましたので、伊豆スカイラインから眺め下ろせる東伊豆の絶景は全く見えませんでした 反対側に見えるという富士山の絶景も「やっぱり」全然見えませんでした それでも雲が薄く霧のようにたなびく高原の峠のドライブは、空気が思いの外ひんやりと気持ち良く、どこまでも続く山々と、遥かに見える沼津方面の遠景が素敵でした 伊豆スカイラインは熱海峠で終わり、そこから箱根方面へ県道20号線を北上しました。 湯河原峠からは、ヨーヨータイヤターンパイクという道へ入り、一路東方に進路を変えて走りました。 この辺りもまだずっと高原のような道で、湯河原温泉を見降ろせる峠でもやっぱり景色は楽しめませんでしたけど、自然の多い中のドライブは快適でした。 厚木ICから東名に戻って東京へ帰ったのですが、ずっと道はスムースに動き、この分なら思ったよりずっと早く帰宅できそうだね、と話していたのです・・・・・・が 首都高に入った高井戸あたりから事故の為に起きた渋滞に巻き込まれました 車はちょっとずつしか進まず、景色はビルだらけのつまらないものでがっかりです このまま行ってもどうしょうもないと、途中で首都高を下りて一般道に入りました。 運転していない私には何所がどうなっているのか解りませんが、運転していた義兄はさぞ疲れがたまっていたと思います。 それでも嫌な顔、声一つせず何時もの調子でいてくれるは本当にありがたかったです。 結局実家に着いたのは夜8時過ぎになっていました 疲れたけど大層実りのあった旅になったと思います。 父がまたいつか行こうという気になってくれたら良いのですが、今の所写真を見て思い出を楽しみながら「車の乗り降りが大変だからもう行かないで良い」などと言うので皆で聞こえないふりをしています 思い出が鮮やかですから、帰ってからもう1ヵ月が過ぎるだなんて思いもしませんでした 旅行へ行くにあたって、伊豆方面に詳しい方々に色々アドバイスを貰いました。 ありがとうございました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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