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カテゴリ:散策・紀行など
前ブログからの続き・・・・・: 沢山の人が訪れていても、これだけ広い境内だとそれもあまり気にせずに武蔵野の秋を堪能出来る。 こんな色も・・・・・、 こんな色もため息が出る程美しく感動的である。 あぁ、やっぱり日本の秋は最高、自分が今ここに在る事に感謝する一瞬 天狗の団扇の紋がついた半僧坊の裏手には放生池と弁天堂があり、そこからずっと境内奥へと道が続いている 全くの林の中に入ってしまうと、ここの木々はまだ紅葉が始まらず青紅葉状態が多く、この分ではかなり長く「紅葉の見頃」状態が続いてくれそうな気がする。 そういえば紅葉に積もる雪の写真をネットで見た事があったな 奥には島原の乱供養塔や見性院(武田信玄の娘)や増田長盛の墓などがひっそりと建っている。 更に奥には大河内松平家の廟所があり、川越藩主で野火止用水を開削した松平信綱の墓もある。 その辺りまで行くと、奥にはクマザサが一面に茂った雑木林があり、クヌギや赤松などの幹が密生しない間隔をおいてある様が、縞模様となって面白い景観になっている。 人の手が入った自然の調和が里山の風景だ。 ぐるっと境内を大きく巡って南東側の道へ出ると、人々の息遣いが聞こえる地域になって来る。 こちらは再び色彩の渦に巻き込まれたような明るさがあり、西日に映えてさらに鮮やかである。 蔵の白壁に映える紅葉。 低い茅葺の軒の納屋には車輪が飾られていて風情を高めている。 向こうの竹林や紅葉や屋根や、全ての曲線がしっとりとした調和を見せている。 こちらは修行僧の生活の場に通じる門がある場所なので、忙しく動き回る僧達が見える。 庫裏へ通じる庭の井戸端では僧達が野菜を洗っているようだった。 右手前の後ろ姿は西洋人の僧だった。 この区域から中へは一般の人は入れなくなっている。 観光の名所になってはいても、本来の修行の寺という重要な場所である事がまず第一である。 12月1日より8日までは「摂心日(禅修行の厳しい期間)の為、団体での入山をお断りします。また個人の場合は境内では静粛に散策してください。」と明記されている。 しかし、庫裏前のこのにぎわいを見ると殆どが個人で訪れている写真好きな人達で、三脚を持ってかなり強引に動き回っている。 ここに限らず定年してカメラを趣味とする熟年層が、あちこちに大挙して訪れ傍若無人に三脚を置きっぱなしに絶景ポイントを占領し、グループで声高に楽しんでいる様は、簡単に微笑ましいと言えないのをあちこちで目撃している。 年を取れば人生経験も豊富で人柄も練れているなどと決して思えない、我が物顔の強引でずうずうしい行動に出ている人々が多いのは嘆かわしい。 せめて自分達がそうならないように、絶対なりたくないから、しっかりここに書いておこう 庫裏は掃き清められてすっきりとした庭を持つ本堂に続いている。 大きな建物の中の書院や僧堂や開山堂など、中には一体何人の修行僧達が厳しい戒律の中で生活しているのだろうか。 だけ中からは物音ひとつ聞こえない静けさが伝わって来ていた。 再び仏堂に戻った。 小さい紅葉の葉が、茅葺屋根に小紋を散らしたような光景が面白い。 山門近くの紅葉の上に、散り松葉がまるでクリスマスツリーの飾りの如く引っかかっている様が可愛くて撮った一枚。 帰りも再び新座駅までの道のりをゆっくり歩き通した 殆どの人達がバスを使ったり自家用車でだったので、景色を楽しみながらこんな距離を歩くのは私達くらいだった でもそんなおかげで何時も何気ない場所に小さい驚きや感動や笑が隠れていて飽きる事が無い 新座市の汚水や雨水用のマンホールの蓋は、こんな紅葉の模様になっていて楽しい。 この日も広い平林寺境内を巡る柵横に、こんな可愛い標識を見つけた。 タヌキの標識なんて見るのは初めてだ この標識と私が並んで撮った写真は、絶対に色んな話題を提供する事を確信しているので「見せない」(きっぱり) 新座駅からは最寄りの駅まで30分程なので、うんと遠出した感はなく気分的にゆったりとした散策になった。 この日の行程は約18000歩、約12kmの散歩になった。 土湯温泉の最後をアップしていないので(爆)ずっと書いていなかったけど、先週の氷川神社や大宮公園と今回の平林寺の他にも奥多摩鳩ノ巣渓谷などに秋を求めて出かけている 桜の満開時よりは少し長いけれど、やはり一定の時間内でしか楽しめない秋の彩りを、思う存分楽しまなくちゃと気分が お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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