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カテゴリ:文化・伝統
3日は江古田氷川神社のお祭りに参加させて貰って来ました。 今季最後のお神輿になったのですが、とても楽しく良いお祭りで、良い形で終了とする事が出来ました。 去年も参加させて貰う予定だったのに、私が日程を勘違いして奥土湯温泉への旅行を入れてしまい行く事が出来ませんでした。 今年ようやく楽しみにしていた氷川さまの獅子踊りを見る事も出来て感激しました。 朝9時に祭り仲間のさいちゃんのお宅に集合。 私は家を7時50分に出て新宿→中野→バスで目的地へ行きました あちこちの祭りで顔を合わせる嬉しい人達が一緒です。 午前9時ですが、さいちゃんのご両親から嬉しいおもてなしをいただき、朝からで乾杯です このままずっと飲み食い続けてしまいたいね、と笑い合いながら腰をあげて神酒所へ集合しました。 江古田氷川神社祭礼、江古田一丁目町会のお神輿を担ぎました。 江古田村の旧名主である深野家に、各町会のお神輿や山車や花万灯が揃って神社へ出発します。 素戔嗚尊の人形が乗った花万灯にはお囃子が乗るようになっていました。 ここからは、氏子総代の方々も紋付羽織袴の正装で行列し、更に江古田の獅子舞が連なります。 中野区指定無形民俗文化財の江古田獅子舞。 布で顔を覆っているので、歩く時も舞う時も常に紋付袴姿の介助人が付き添っています。 大獅子・中獅子の雄獅子2頭と女獅子からなる3人が太鼓を、頭上に四方を表す「朱雀・玄武・白虎・青龍」を乗せた4人のささらすり、藤などの花で飾った鉦を鳴らす役の4人と、饅頭傘のような形の花笠を被った笛が列をなして歩きます。 布の中はきっと暑いでしょう、お祭りが8月の猛暑の中でなかったので良かったと思います 深野さんという旧家は今も広大な敷地に立派な家が建っていて、庭木も丁寧に整備されていました。 江戸時代には小麦や大豆など、主に畑作が広く行われていた地域らしいですが、明治期にはお茶の栽培が盛んにされていたそうです。 江古田という地名は、西武池袋線にある江古田駅は「えこだ」と読みますが、中野区江古田の正式な呼び方では「えごた」だそうです。 地下鉄大江戸線に出来た新江古田駅の呼び方は、中野区に合わせたもので「しんえごた」と読むそうです。 台東区が本来は「たいとうく」じゃなくて「だいとうく」だったり、秋葉原が「あきはばら」じゃなく本当は「あきばはら」なのと同じように、ちょっとした濁点の違いで大きく印象が変わるものです。 江古田氷川神社は土のまんまの境内を大きな木々が取り囲み、古い社殿と珍しくお寺のお堂のような形の屋根をした神楽殿があります。 神楽殿の前が土壇になっていて、そこで里神楽を伝承している獅子舞が奉納されるそうです。 鎌倉時代から続く獅子舞は、江戸近郊の農村の雰囲気を残す神社にとっても合っていると感じました。 9月に一時期寒いくらいになっていたのに、10月に入ってからは結構暖かく、この日もお神輿を担ぐと汗びっしょりになります。 休憩所ごとのが美味しかったこと 食べる物も沢山だし美味しいし、は進むし・・・これじゃいくら担いで汗かいたって痩せる訳ありませんよね(爆) 夕方に近づいて、再び神酒所に戻って参りました。 江古田1丁目は、野方の水道タンクのすぐ隣にあります。 前方左に見えているのがそれです。 これは昭和5年に完成した上水道の給水タンクで昭和41年まで使われていたそうです。 一時は解体計画もあったのですが、現在は災害時給水塔となっています。 夏に比べたら随分日が短くなって来た頃、何度もやり直しをして(最後の数mお神輿をまっすぐに動かすのは結構大変なのです)、ようやく木が入りました(終わりを告げる拍子木を打つ事です) 水道タンク裏の広場一面に敷かれたシートに座っての直会(なおらい)で、また、そしてトロトロのモツ煮込みなどをいただきながらのひと時です。 是非見たかった由緒ある獅子舞を見学出来たし、楽しく担げたし、本当に良い一日でしたよ あちこちで会う祭りの仲間とは、本当に良い形のお付き合いをさせていただいていると感謝しています。 年齢性別職業、全てが違っていても「お祭りが好き」の一言で集まった仲間達。 私は今回のお祭りで今年は終わりにしますので、懐かしい顔に会えるのはまた来年の5月です。 心地良い疲れと一抹の寂しさを祭りの後に感じながら、暗くなった街を後にしたのでした。 さいちゃんありがと お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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