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カテゴリ:散策・紀行など
リフォーム途中ですがちょっと番外です
12月3日、ずっと気になって行きたかった青鬼集落へ出掛けてみました。 例によって天気予報を数日前から何度も確認、白馬村の情報を探し回って空と相談しての出発でした 朝の内に旦那が歯医者の予約が入っておりまして、それから戻った時点での空模様に依って行くか行かないかというのんびりした気分でした。 家から車で30分程で白馬村に入る事が出来ます。 青鬼集落はそこからもう少し奥まった場所にあります。 10時半に家を出発して、青鬼集落に着いたのは11時24分でした。(家から40.4km) 青鬼集落は、白馬村の東北端の標高約760mの山腹に位置している山村集落で、村の市街地から遠くはありませんが山懐に抱かれた日本の原風景とも言えるような素晴らしい環境を保っている集落です。 「東側には物見山・八方山、北側には岩戸山があり、斜面が開けた南西方向は白馬村の中心街と北アルプスの五竜岳、鹿島槍ヶ岳などの山々が望める。 集落の東側には石垣を伴った約200枚の大規模な棚田と用水路「青鬼堰」があり、これらは日本の棚田百選に選定されている。 また、集落、棚田、用水路、山林などを含む59.7ヘクタールが重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。」(Wikipediaより) 江戸時代後期から明治にかけて建てられた萱葺き屋根の民家が現在14棟残っていて、(今は萱葺きを鉄板被覆)、集落は伝統を残したまま今も一般の方達が生活している村です。 集落には縄文中期の遺跡があったりと、古くから人々が暮らしていた形跡がありますが、江戸時代後期に青鬼上堰という用水路が開削された事から棚田状の水田が開墾されました。 今でもその頃から築かれた石垣が残り、日本の棚田百選に認定されているそうです。 春には南西に位置する北アルプスの五龍岳や鹿島槍岳の真っ白い山容が棚田に貼られた水面に映り、それは素晴らしい景色になると有名です。 美しい景色を愛でる人を歓迎してくれていますが、この集落をとても大切にしている事が良く判ります。訪れる方も住む方々の迷惑にならないよう注意する事が大切ですね。 あちこちに丁寧な説明板があります。 集落入り口の駐車場からは歩いて見学するようになっています。 中二階を囲むような形の屋根は兜造りと呼びます。白壁と板壁のコントラストがとてもきれいです。 青鬼という地名の由来はちょっと長いですが面白いので書き出しますね 「昔、白馬の東の村から、鬼のような大男がやって来た。そして村人達を苦しめていた。ある日、村人は大男を岩戸山(集落後方北側にある)の底なし穴に閉じ込めた。それから暫く経って旅人が来た。そして「戸隠には鬼のような大男がいるが、村人達を助けてとても喜ばれている」と放した。人々は「大穴を抜けて戸隠に渡ったに違いない。そして戸隠様の下を抜ける時に魂が入れ替わったのだろう」と思った。それからは「お善鬼様として祀り、白馬の東の村を鬼無里村、こちらがわを青鬼村と呼ぶようになった。」(青鬼集落パンフレットより) 先月行った鬼無里の村名とちゃんとリンクしているんです この伝説を知って、この辺りの不思議な地名の由来にやっと納得が行きました お善鬼様はこの村の守り神となったようですね。 困った時に助けてくださる有難い神様です。 火災の心配から母屋からちょっと離れた場所に土蔵が建っています。 屋根は板葺き(現在は鉄板葺)で外側に柱を立てて藁を掛けて雪囲いにしてあります。 雪に備えてブルーシートが掛けられてしまって残念な景色になっていますが、ガッタリという水流を利用した米搗きです。 鹿脅しと同じ原理で、先端部の大きな柄杓型の部分に水が貯まると重みでガッタリと動き米を搗く仕組です。 がっしり堂々とした造りの家々。一番手前は空き家だったのを修理して「お善鬼の館」として内部見学や休憩に使えるようになっています。暖房の利いた清潔なトイレも使えます。 奥の家々はちゃんと住人がいる民家です。 お善鬼の館内部。古い農機具が展示されている一郭があります。 囲炉裏に火は入っていませんでしたが、外は風が大層冷たかったので室内はホッと出来る空間でした。 昔からの太い梁や竹で葺いた天井が白い漆喰と調和して「和」の美しさを演出しているようです。 清潔なトイレはこれこれ、我が家と同じ浄化槽ですね(笑) お善鬼の館の向こう側にあった民家です。 すでに板で雪囲いがしつらえてありました。 干し柿が見えますね^^ 観光用に出来た村ではなく、普通の暮らしが息づく集落だからこその暖かさが陽溜りのぬくもりに重なります。 伝統文化財としての保存と、人が生活する現実とを成すのは大変な事だと思います。 人々の努力があって残されて行く、日本人として懐かしくて堪らない風景がありました。 集落を抜けて後方に広がる棚田の方へ歩いて行ってみました。 まだこの時は天気が良くて日が指していましたが、あちこちの日陰には雪が残っている寒さでした。 後編に続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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