泣けた・・・!
夜9時からフジテレビで放映された「はだしのゲン」を視た。ドラマ化は初めての事だそうで今日が前編、後編は明日放映予定。私はずっと以前に原作の漫画で読んだ事があるのだがテレビのドラマ化されて感心出来るような小説など殆ど無いと思うのでどんな風に映像化されるのかに興味を持って最初は視ていた。実に驚いたゲンと弟のシンジ役の子供の演技が素晴しいのだ共演したベテラン俳優達に一歩も引けを取らず実に素晴しい演技で、伸び伸びとした元気で無邪気で明るいゲンとシンジになりきっていた。本当にこんな子供達だったのだろうと納得してしまうような自然さだった。この原作の「はだしのゲン」には堂々と天皇を批判する言葉があったり在日朝鮮人の問題があちこちに描かれていた為にそれが原因で出版社が何回も手を引き止むを得ず中断、物語が続くのに間に数年間の空白が出来てしまった経緯があるという。数度出版社を変えながら作者は書き続き原爆の悲惨さを訴え続けついに広く知られて教科書にも使われる事になったりした。「天皇陛下万歳!と言っても天皇は何もしてくれないじゃないか!!」という激しい怒りが主人公の言葉として書かれている漫画には出版当時は現在よりも遥かに風当たりが強かった事が察しられる。テレビドラマにはその言葉は台詞に無かったのだけどゲンの父親の反戦思想や言動はちゃんと描かれていてそれを父親役の中井貴一がとても上手く演じていたと思う。逃げ場の無い閉塞し自由な言論が許されなかった時代の中で家族を守りながら自分の意思を曲げない強い父親になりきっていた。前編では原爆が落とされ被害に遭った所までが描かれていた。6日の午前1時にエノラゲイがテニアン基地を飛び立った様子、そして6日の朝の何時もと変わりない普通の朝の広島の人々の暮らし、その時が迫っているのも知らずに当たり前に生きていた人々。ドラマの中で動いていた人々は本当にあの時あそこに確かにいた。爆撃機の格納庫の扉が開かれる時を描写していたけれど何て事をするんだ 一体何するんだ やめろ やめろテレビのこちら側で言わずにいられない日本人の自分がいた。重過ぎる事実。決して消えない残酷な事実の瞬間。ゲンの父親と弟は潰れた家の下敷きになり逃げる事が出来ず迫り来る炎に生きたまま焼かれて死んで行く。臨月近い母親を守りゲンは父親の命令に泣き泣き従いそこを去る。作者の原体験だとも言われているがこれを漫画だの物語だのとは言えない。あの時の広島、そして長崎には数え切れないくらい沢山のゲンがいた。62年前の事実をゲン役の少年は実に見事に再現してくれていた。視ている私も嗚咽を止められなかった。夏休みの今、このドラマを沢山の子供達が視ていた事を願う。爆風の凄まじさや怪我人や死者の映像もとてもリアルに表現されていた。恐ろしかった、本当に恐ろしくて怖くてしょうがないくらいだった。今の世の中は怖い事、おぞましい事を表現せずに隠そうとするけれどこの「はだしのゲン」くらいの表現は子供達に是非見せたいと思う。実際に原爆の惨状を知る人達が年々少なくなって来ている。それは「日本には」、という事ではなく世界中で原爆の悲惨さを知る人がいなくなって来ているという意味なのだ。唯一の被爆国である日本こそが核廃絶の信念を持たないでどうするのだ。核兵器を使う事にはどんな理由も意味づけもあり得ないそしてもう一つ忘れてはならない事として、原爆投下は完全なる無差別攻撃であり初めから一般市民を巻き添えにする事が解っていたという事実。(もちろん東京大空襲などの都市への焼夷弾による攻撃も同じである)最近アメリカの議会で日本政府の従軍慰安婦への謝罪に関して人道的立場からの決議をしたけれど、人道的立場から言うならアメリカこそ広島長崎の原爆投下についていくら戦勝国であろうが20億ドルをかけて開発した兵器だからと実験的意味も兼ねて一般市民の頭上に投げ捨てた罪を問われるべきである。良い事は良い、悪い事は誰がどうであれ何時であれ悪い。