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カテゴリ:石川(金沢)・富山
金沢城を出て金沢兼六園へ。金沢城と兼六園は石川門で繋がっています。
兼六園は、江戸時代の池泉回遊式庭園の特徴を今日に残す代表的名園で、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本の三名園と称されています。 広大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)の六つを兼ね備えていることから、兼六園と名前が付けられたそうです。広くて、深みがあり、人の手が加わり、古めかしく、水が美しい、の意味合いがあるようです。 この灯籠は琴の糸を支える琴柱(ことじ)の形をしていることから、徽軫灯籠(ことじとうろう)と呼ばれ、手前の橋は虹橋(にじばし)で別名を琴橋ともいうそう。 霞ヶ池(かすみがいけ)の中の島は、蓬莱島といい不老長寿をあらわしており、また亀の甲の形をしているので、別名亀甲島ともいうそうです。 兼六園 唐崎松 加賀金沢藩十三代藩主 前田斉泰(なりやす)が、琵琶湖の松の名所唐崎(からさき)から種子を取り寄せ育てたそうです。 兼六園 根上松 加賀金沢藩十三代藩主 前田斉泰がお手植えした松が、土を除いて根をあらわしたもの。 兼六園 江戸町跡 江戸町(えどまち)は、のちの加賀三代藩主 前田利常(としつね)のところへ 江戸幕府二代将軍徳川秀忠の娘 珠姫(たまひめ)が輿入れしてきた時に、江戸からお供してきた大勢の武士達が、長屋を建てて移り住んだ町並。珠姫没後は、また江戸に戻って行ったそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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