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カテゴリ:岡山(倉敷)
岡山城は、宇喜多直家が入城し基盤を作り、その子の宇喜多秀家は、豊臣秀吉の殊遇を受け、備前、美作、備中の高梁川以東をも加え、57万石の大領主となった。宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いで西軍総大将となり八丈島へ流され、宇喜多家は改易となった。その後、小早川秀秋が筑前から入城したが2年で急死し嗣子がなく小早川家は断絶した。その後、姫路城主・池田輝政の次男、池田忠継に備前一国を与えられ、以後、岡山城は池田氏31万5千石の時代が続き、明治維新に及んだ。岡山城の別名は、烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)
松本城の烏城(からすじょう)とは呼び方を変えている。 金の鯱だから金烏城と呼ぶ。本丸を囲むように旭川を蛇行させた天然の堀。 岡山城は日本100名城のひとつに数えられています。 所在地:岡山県岡山市北区丸の内2丁目 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/05/10 09:27:57 PM
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