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カテゴリ:大府/東浦/東海/半田/知多
村木砦の戦いの時、織田信長の本陣が村木神社の地に置かれました。
古くから村木神社の地には、建速須佐男命を祭神とする津島社(天王)がありました。 桶狭間の戦いの翌年、緒川城主・水野信元の代官清水家重が、創建した八幡社の地は森岡保育園にあり学校用地にするため、大正2年に津島社と合祀し、村木神社と名を改めました。 森岡の村木神社のおまんと祭りは、若衆が走る馬に飛びつき人馬一体となって疾走する勇壮な祭りです。 500年ほど前から、尾張一円と西三河の一部の村々から、雨乞い・豊作・村民安全などの祈願で馬を飾りつけて、熱田神宮・猿投神社へ奉納する祭礼が行なわれており、この祭りを馬の塔(オマント)と呼んでいました。 永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで、織田信長が今川義元に勝利し、その祝いで各村々から清洲城へ馬を走らせたのが事の起こりで、以後、各村々の中心たる社寺の祭礼行事として、馬の塔を行なうようになったと言われています。 村木神社のおまんと祭りも、信長の戦勝祝いで馬を走らせたのが起源と伝わっているそうです。 村木神社住所:愛知県知多郡東浦町大字森岡字天王西27
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最終更新日
2021/10/21 03:58:39 PM
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