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福島正則は愛知県あま市で生まれる。豊臣秀吉の賤ヶ岳の七本槍、七将の一人。父親は桶屋を営んだ福島正信(正光)の長男として、母親は秀吉の叔母(仲の妹) 永禄4年(1561年)生まれる。1624年没。二ツ寺日光稲荷菊泉院住所:愛知県あま市二ツ寺屋敷69
秀吉の一番槍と言われる福島正則が、秀吉から拝領した名槍「日本号」を手放した失敗談が黒田節となる。 博多駅の黒田武士の黒田節 「酒は呑め呑め 呑むならば ひのもといちのこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞまことの黒田武士」 黒田長政(父・官兵衛)が、家臣の母里友信(もりとものぶ)を福島正則の処へ使いに出した。 “フカ”というあだ名が付くほどの酒豪である母里友信に、酒の上での失態がないよう呑まないように命じておいた。 だが、酒好きの福島正則は大きな盃に注いだ酒を友信に飲み干すよう強要し、「黒田武士は酒も呑めない役立たずか」と武士の沽券に係わる事を言われた友信は、代わりに呑み干せたら褒美として、正則が豊臣秀吉から賜っていた家宝の槍を貰い受ける約束をした。 母里友信は見事に呑み干して槍を貰い受けたが、翌日酔いから醒めた福島正則が槍を返して欲しいと頼んだが友信は断った。 福島正則は、酒癖の悪さから家宝の名槍「日本号」を手放し、その話が黒田節となった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/21 12:46:50 PM
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