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We are now in the era of weight-loss drugs.
Decisions on how these drugs will be used look likely to shape our future health and even what our society might look like. And, as researchers are finding, they are already toppling the belief that obesity is simply a moral failing of the weak-willed. Weight-loss drugs are already at the heart of the national debate. This week, the new Labour government suggested they could be a tool to help obese people in England off benefits and back into work. (BBC News) ***** topple(ぐらつかせて倒す) weak willed(意思の弱い) ***** 「料理の日本史」(五味文彦著)を読みました。(今から1万5000年前に始まった縄文時代、一万1000年前までの代表的掃除山遺跡があるという。温暖な気候に恵まれ南九州から定住生活が始まりドングリ、トチの実など発見、寒冷化が進行し九州から灌漑稲作が始まり東北北部に至る。奈良盆地の纏向遺跡から魚や動物の骨、植物の種子などから米,粟、鶏肉、魚肉、魚介の膾や塩焼き、干物、わかめ、あらめ、里芋、大根、蕪、柿、桃、李などを盆にもって食べていた。平城京から木を削って細くした二本箸が大量に出土、貴族はハスの実入りの飯、焼き鮑、焼きえび、野菜の茹でもの、鴨とせりの汁。役人は玄米の飯、魚の煮つけ、カブの酢の物など今よりいい感じ。1137年頃、信貴山縁起絵巻には庶民の食事風景が描かれている。公家は肉食タブーだったが庶民はそうでなかった。年中行事絵巻に饗宴や平泉の宴会が描かれている。西宮記には饂飩素麺、鮑の羹、盛物汁物とある。戦乱や飢餓があった世相を反映して描かれた病草紙、飢餓草紙などの六道絵に不眠症の女、風病の男、侏儒、白子などあり歯槽膿漏の男の食事が描かれている。徒然草に北条時頼が鶴岡八幡宮の参拝の折、出された饗は一献が打ち鮑、二献が海老、三献はかき餅と言う質素なものだった。大陸に渡って帰朝した道元は1237年典座教訓を著し食事作法「赴粥飯法」を撰述、食材を集め料理することが座禅と変わらぬ行とした。一遍上人の生涯を描く一遍聖絵には多くの食事に関する風景がある。1556年頃からポルトガル船が府内港を訪れた、400人のキリシタン信者が牛肉とオリーブ油、サフランを入れて炊いたパエリアで復活祭を祝った。1569年織田信長は京都でフロイスと謁見し金平糖を献上され喜んだ。フロイスの日本覚書に日本と南蛮料理の比較があり日本人は幼児の頃から二本の棒で食べ彼らは手で食べる。米とパンなど興味深い。利休は一汁三菜でよし、貝原益軒は日本歳時記に元旦の饗膳を、1654年隠元禅師が普茶料理を伝えたなどとお腹いっぱいになる本だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年10月19日 16時02分29秒
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