カテゴリ:旦那さんの生活
先々週入院したばかりですが、また昨日からだんなが入院しました。
といっても、今回は予定通りの管理された入院。 副鼻腔炎と、はなづまりの原因でもある鼻の骨の曲がりを直すという二つの手術のためです。 入院は、前回が生まれて初めて。 手術は今回が初めて。 もちろん不安もあるでしょう。 手術は朝8時45分から始まるという早いスケジュール。 家族の事前説明や立会いは不要ということでしたので、術後にこどもたちと行こうと思っていたのですが、やはり一人で手術室に運ばれるのはとても心細いだろうし見送りたいと思って、ぎりぎりながら駆けつけました。 朝の道路事情のおかげでほんの一目しか会えなかったんだけど、子どもたちをあわせることができたし、がんばってね、といえたのでよかった。 手術着を着て帽子をかぶり、ストレッチャーで運ばれていく父ちゃんを見て、けいごはちょっと不安そうでした。 話しかけてくれる看護婦さんの前ではわざとおどけていて、「あらあら、はずかしいの?」とか看護婦さんたちはいってたけど、私たちには彼の不安な気持ちがよくわかりました。 私だって、ちょっとドキッとしたもの。 命にかかわる病気でもないし難しい手術でもない。 でも、ああやって看護婦さんに付き添われて、心細そうな様子のだんながエレベーターの向こうに消えていったら、なんとも心細くなりました。 手術は二つ同時に行うので、3時間を予定。結構長い。 こどもたちもそんなには待てないので、また手術後に戻ってくることにしました。 ** 手術室の前で出てくるのを待っていてあげたかったのだけど、到着が少し遅れてしまい、終了予定時間を過ぎてしまった。 あわててお部屋に行ってみたらまだ戻ってきていなかったので、手術室に引き返し、いすで待つ。 子どもたちは車で寝てしまい、ベビーカーとスリングですやすや。 私は一人、ぼんやりと考え事をしながらだんなの手術が終わるのを待っていました。 ここ1ヶ月間、ほんとにいろいろなことがあって、なおかつここ半年くらい、彼が仕事をやめることを考え始めたころから積み重ねてきたいろいろな思いがせめぎあったりして、私も結構しんどかったのです。 大変な時期の人、大変な人を支えようと思うのは、時にとてもしんどかった。 本当は、「支えなくちゃ」「助けてあげなくちゃ」と思うことは傲慢なことなのかもしれませんし、不安だと思うことやいろいろなネガティブな思いの答えは、深刻な根っこの部分になればなるほど本人の内側にあるので、外から私がどうこうしたって届きっこないのはわかっていますが、それでもやはり、私という人間の思いがあります。 縁あって出会う多くの人の中から選び、こうやって一緒にいる。 黙して語らず。 ということが必要なのだろうし、それが私の苦手とすることだというのはわかっている。 余計なことなのかもしれないとか思いつつも、やっぱり伝えたくていろいろぶつけてしまったり、相手の様子を見ているうちになんとなく機会を逸して、でもいえなかったことがすごくストレスになって、そういう感情を手放さずにいたり。 手放しちゃえばいいのに、手放してしまって「なかったこと」になっちゃうように感じるのがいやだったんだろう。 で、そんなのは「手放す」ということではないということもわかってる。 なので、ついつい態度が冷えたり挑戦的になったり無関心になったりしてたのかも。 あなたの方が大変だということはわかってる。 でも、私だってつらいんだよ。 ということを、わかってほしくて仕方なかったんだなあ。 私がそう思っているように、相手だって私のことは思ってくれているはずなのに、やっぱりぶつけられると、つらい。 わかってくれてるの?!といわれると、正直な気持ちなんだろうけど、ぐさっと刺さる。 相手にも同じように私の言葉がささったのだろうし、数回は大きな話にもなりましたが、「手術もあるし・・・」と思って、そのまま日常を送ってきたようなところもある。 無事にこの手術が終わって、また仕事が始まったりしたら、あらたな日常が始まるんだなあ。そのとき、この数ヶ月をお互いどう思うんだろう・・・ と、ちょっと感傷的になったりしました。 感情面や私のスタンスで考えさせられることが本当に次から次へと出てきて、私自身消化するのが大変だったのですが、なんていうか、いろいろ思い知って落ち着きをみせてきたような気がします。 できる限り相手を思いやっていたつもりだったけど、それは所詮私の立っている位置から覗き込んでいただけだったのかも。 相手の所には行かず、「そっちこそこっち来てよ!」とか「公平に真ん中で話しましょうよ!」みたいな程度の「思いやり」だったことに気がついた。 よく「自分で決めたことは絶対曲げないから」とか、「本当に謝んないよね」とあきれられたりするし、そのたびに「だって私の人生だもん。あなただってそうでしょ」と思ったり「悪いと思うところは謝ってるよ。でもとにかく謝るのって、無理やり頭下げさせられているみたいでいやだ」と言ったりしていた。 それは今でも思うし、心の中で思っていないのに「はいはい、ごめんなさいね」ってやって操縦するようなことは、どうしてもいやだ、だいいちそんな態度は相手にも失礼だ。って思ってた。 でも、それが「いやだ」っていうのは、中心は私にある思いで、相手が受けた思いとはかけ離れてる視点。 思いやりの視点って、その人の心の戸口まで行くべきことなんだよなあ。 心の内側には触れられなくても、そこまで行くべきなんだよなあ。 そんな風に思った。 もちろん、だんなにだって考えてもらいたいことはあるし、お互い様のことだってあるけど、でも自分の強さとかやさしさとか、そういうものをもっと上手に伸ばしていってあげたいし、本当に強くて優しい人になりたいと願った。 相手がどうこうではなく、自分の心からでた思いで、自然に戸口をノックできればいいな。 ぼんやりと、こんなことを考えている時間は15分くらいだったかな。 手術時間が30分くらいすぎた頃、手術室からだんなが運ばれてきました。 点滴をし、鼻につめものをし、目の上をタオルで覆われただんなは、本当にしんどそうでした。 看護婦さんが「ご家族の方よ」と声をかけてタオルを取ってくれたのだけど、なんともいえない表情。消耗しきっています。 もともと感受性が豊かで繊細なので、きっとすごいストレスだったことでしょう。 鼻の手術の止血は、「ぎゅうぎゅうにつめたガーゼで圧して止血」だそうで、もうお鼻なんて普段の1.5倍くらいの大きさに・・・ 頭と鼻が相当痛いらしく、鎮痛剤も効かないみたい。 ひたすら痛みと耐えている様子が痛々しい・・・ 3日後のガーゼ取りまでは、鎮痛剤で抑えて耐えるしかないとのこと。 ご飯も食べらず。 今は彼が大変なとき。彼に添ってあげたいと思う。 手術、お疲れ様でした。 この1ヶ月くらいで得たいろいろな思い。 ネガティブな思いもすべて、自分の糧にしよう。 そして、また新しい関係に発展していければいいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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