カテゴリ:こどもとの生活
誤解だとかを恐れずに書きますが、
こどもは絶対、複数いたほうが楽・・・だと思う。 これは実感として。 一人でとってもたいへんな方もいるでしょうし、 ほしくでも授からない方もいるでしょうし、 経済的なこととか、いろいろあるのはもちろん承知ですが わたしは、とりあえず二人いてよかったなあと思う。 うちは1歳8ヶ月違いの年子なので、二人が小さいときは それは物理的にはたいへんでしたよ。 赤ちゃん帰りも何も、まだまだ赤ちゃんのような1歳の上の子を 育てながら、生まれてほやほやの赤ちゃんを育てるってことは、 物理的にたいへん。 まだ言って聞くような年齢でなく、 まだまだ抱っこされたいお年頃。 おむつだし、ご飯だってまだちゃんと食べないし、 ベビーカー必須だし、 ふたりを両手に抱っこしたこともあるし、 なかなか泣き止まない二人を抱っこにおんぶしたことも あるし、 二人に泣かれて泣き止まなくて、こっちも泣いちゃった こともあるし、プチ家出(といってもベランダ・・) したこともある。 だんなはそんな暮らしの部分に参画するほど余裕なく (深夜帰宅前提だからね) 二人を風呂に入れるのもたいへん。 あのころは、二人連れて移動するのがほんとーにたいへん だった。 午前、午後にまたがる時間の用事は、二人に昼寝されたら もうどうしようもなく、車やタクシーをつかったり、 あきらめて二人がおきるまでその場で待ったりもしたな。 でも、そうこうしているうちに、子ども達は大きくなり、 今は5歳4ヶ月と3歳8ヶ月になった。 兄妹はとても仲がよく、平日は同じ保育園に通っているけど、 自宅で二人で遊ぶのも大好きだ。 年が近いので、同じテンションで遊べるから けんかもするが、とにかくずーーーーーっと二人で 遊んでいます。 着替えも自分たちでするし お風呂も二人で入るし(様子はもちろん見るが) 歯磨きもできるし(仕上げはもちろんするが) 言えばわかるし。 話し相手がそばにいるから ハハが付きっ切りでいる必要がないし、 常時遊び相手がそこにいるということは、親にとって 本当に楽なことだ。 たいへんなのは、物理的なものが多く、心理的に 煮詰まるのはそんなになかったような気もする。 じっくり一人に向き合う余裕はないし、 それぞれの個性が見えてくると、「自分の子育て」や 「うちの子の育ち」に悩まず「個性なんだな」で片付け られるようにもなるし。、 同じように育てても、同じように育つわけじゃないことを 目の当たりにできるので、自分がどうこうしたお陰でこの子が そだっているのだと、変な誤解をしなくてもすむし、変に 自分を責めなくてもすんでいる。 たとえば、うちの上の子は、すき嫌いが多くて、ご飯は ほんとに偏っている 彼だけを見ていたら、「あたしがちゃんと食べさせなかった から・・」とか思ってたかもしれないけど、 同じ食卓を囲む娘は、だいたいなんでも食べる。 同じように扱っていても、こどもの育ちはその扱いだけで かわるわけではないのだ。 もともとの個性があり、力がある。 目の前の子ども達の個性によって、それに気がつく。 「我が家の方針」のお陰でこの子がいるわけではなく、 それにくわえたその子の個性のお陰なのだ、ということが わかったので、あたしは傲慢な母にならずにすんでよかった と思う。 一人だけだったら、サンプリングが1例なので、 もっと自分の持つ影響力に振り回されてしまっていたの ではないかと思う。 上の子は、字を読んだり何かを覚えるのがすき。 我が家の子育て方針として、自分でいろいろ考えたり してほしいと思っているから、なるべく自発的に覚えたい キモチを尊重したりしてきた。 たぶん、上の子だけだったら 「うちはそういう環境で育てているから」とか思い込んで たかもしれないけど 同じ方針のわがやのもう一人の子ども、娘はというと あまりそういうことに興味はない。 だから、 「そうか、これは子どもの個性のたまものなのね」と 気がついた。 親がしてあげられることは大きい影響力があるけれど、 それ以外の部分が大きいんだな、って思えるので、 複数の子どもがいると、楽だなあって思う。 同じように育ててたって、その子たちはそれぞれに育つの だもの。 母の作品ではない。 そういうことを、こどもたちの存在が教えてくれるので、 自分の力におぼれなくてすむ。 これはありがたいなあって、ほんとに思った。 夏休みも、ずーっと二人で遊んでいて、 ハハは楽だなー 年子をうんだお陰で、今ラクです。 (といいつつ、この生活に慣れてしまうと、また赤ちゃんを 育てるのがちょっと面倒になったりするのも正直な気持ち ではありますがね・・・) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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