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モンゴル5日目、ウランバートル寺めぐり
モンゴルは社会主義の時代が有った。その時今までの固有のモンゴル縦文字を捨ててロシア語アルファベットのキリルを使うようになった。勿論話す言葉はそのまま。表記文字が変わると言うことは言文不一致が生じる事でもある。 毎日誰かが街歩き手伝ってくれるけれど、ウランバートルの大渋滞、ホテルに迎えにくるまでに時間がかかる。 24日はバースカが仕事、テムジンはガチュールトからまだ帰ってなかったので、我らだけで行動することになった。ところがバースカのお母さんが暇だから行きたい所に案内してくれると言う。6年ぶりの再会である。前回は一緒にゴビ砂漠に行ったが、英語の話せない彼女とは全く話してないのである。彼女の家にホームステイしたのに。 不安なのでバースカにチョイジンラマに行きたいと前もって伝えておいた。 ホテルで再会。あれあれ、前回は寡黙だと思った彼女は最初からニコニコ饒舌。私のモンゴル語挨拶に答えた。なんだ、単にお互い相手の言葉が話せなかったからと言う理由だけだった。 我らは彼女の乗って来たタクシーに乗り込んだ。 市内観光出発。 私が「ガンダン寺に行きたいです」とモンゴル語で言うと、「え!」と混乱。 昨夜バースカからチョイジンラマに行きたいそうだよと指示が出ていたようだ。多分タクシーの運転手にも伝わっていた。 「最初にガンダン寺、次にチョイジンラマ博物館でお願いします」と伝えた。言葉が通じそうなので職場から遠隔操作のバースカに「大丈夫だから仕事して」と伝える。 ガンダン寺はアクティブな現在進行形のお寺だった。19世紀に建てられて、社会主義で排斥され、民主主義になって再構築した。言ってみれば總持寺とか永平寺のような修行の寺。たくさんのお坊さん達がお経をあげていた。 本堂には鎌倉の長谷にあるのより高い金ピカの仏像がドーンと立っていた。バースカのお母さんが五体投地をした。私も真似したら、手の部分がずるっと先にいって、ずっこけた。 ブータンの3,000メートルの高地タクツアン僧院で五体投地して息切れしたのを思い出した。ウランバートルも1,400m、無理だなあ。 どうやらタクシーをキープしてあるらしく、さっきのタクシーがまたやって来た。ウランバートルのほとんどのタクシーは素人タクシー。あまり良くない人に当たることもあるから観光客が街で拾うのはお勧めできない。自宅に帰る方向だからついでに乗せてお金稼ぐ人も多い。普通は皆スマホアプリで呼ぶのだから、キープは懸命かもしれない。 次はチョイジンラマ寺院ミュージアム。シャングリラのすぐ横、街の中心。 20世紀初頭にボグドハーン(王様)の弟の高僧のために建てられ寺で今はミュージアムになっている。 ここはルートに沿って歩くと、各建物の解説員が説明する。最初の建物でモンゴル語でどんどん説明始めたが、名前と仏教用語ぐらいしかわからない。バースカのお母さんが「この人達モンゴル語分からないよ」と言ったらしい。途中から英語になった。 話が興味深い。次の建物に移って英語の解説が始まったが、その建物の担当の説明員の英語がよくなかったのだろう。私の質問に答えられなかったら、付いて来たさっきの建物の説明員が説明し出した。結局その人が最後まで一緒に回って説明してくれた。 写真は撮れなかったので建物から出た時1枚だけ。 ガンダン寺と違ってここは活動するウランバートルの中心にありながら、歴史の中に埋もれた静かな寺であった。 そしてお昼を食べにビーガンレストランへタクシーで向かった。 ウサギが「ここから近いから歩けるよ」と言ったけれど、お母さんはバースカがタクシーに乗れと言ったと言うから乗った。 歩いて15分の距離を車で40分はかかった。おまけに反対方向に行ったから私が道違うよと伝えた。 どうやらウランバートルの裏道には弱いらしい。 大きな建物で囲まれたブロックの中にあるから分からないらしい。 ブロックの外側でタクシーから降り、私が道案内をする。地図は頭の中に叩き込まれているから、ストリートの名前、ビルの名前、一度行った所は分かる。留学生達も「お母さんは地図わかるから」と一目置いてくれる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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