|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ウランバートルに帰る前、別荘地からの帰り道にあるモンゴル文字応募で貰った賞金を寄付した子供センターを訪問した。
50人分のサブレと、40冊の本を持って。 35年ほど前、1人の若いヨーロッパのヨガ教師がモンゴルを訪れた。彼女がそこで見たものは、路上で暮らすたくさんの親の無い子供達。モンゴルがソ連の影響下から解放されて民主化移行の混乱期。皆平等の社会から富める者と新しいシステムに取り残された者ができた。 日本のテレビで寒い冬に暖かいスチームが通るマンホールの中で生活する孤児達を取材した番組が放送された頃。「モンゴルのマンホールチルドレン」。 彼女は孤児達のためにヨーロッパで寄付を集めて、首都郊外のガチュールトに土地を求め親のない子供達の家を建てた。 今そこには0歳から18歳までの子供達が50人程暮らしている。 みんなのお母さんであるその女性は下手なモンゴル語で挨拶する私に、こりゃダメだと思ったらしく、英語で話し始めた。ちょうど他のヨーロッパの1人の女性の先客が訪れていたので、私達には18歳だと言う少女が流暢な英語で施設内を案内してくれた。彼女の英語の先生はそのセンター長なんだそうだ。 広大な敷地には、遊具、鶏小屋、馬小屋、果物畑、野菜畑、みんなでナーダム(年一度の国のお祭り)を楽しむ大きなゲルと馬場と広場。週末キャンプ体験の小さないくつかのゲル、そして管理棟を含めた8棟ほどの独立した建物。 それぞれの棟の4つ程は年齢と性別で別れた子供達の居住区、事務所棟、裁縫室、パン体験工場(自分たちで作って自分たちで食べる)、絵画室、外国語の本とモンゴル語の本に分かれて本がぎっしり入った2つの図書室、自習室、馬頭琴を習う音楽室、給食室、食堂、プレイルーム、ヨガ練習室、絵画室など無いものがないほど充実していた。 女性の常勤の医者ともテムジンの通訳で話した。その日は大きな子達が自分達で昼食を作っていたが、普段は調理師が作ってくれるんだそうだ。 小旅行用のマイクロバス、教材や道具を保管するコンテナ倉庫、世界各地から来る見学者とボランティア体験者の宿泊所も有った。 18歳を過ぎたら施設を出る。その時どの道を選ぶか、それまでの生活の中でありとあらゆる経験をし、技術を身につけ、選択肢を広げ、希望と可能性を選べるようになっているのだ。 日本だったらきっと大きい子と小さい子でグループを作るだろう。しかし同じくらいの年齢の子達が同じ家で暮らせば悩みや、その歳の子達しかわからない相談もできるだろう。大きい子が自分を我慢して小さい子の世話をしたりしなければならないことも起こらないだろう。 もちろん、各棟には大人が1人ずつ付いているとのこと。 ここは世界の個人の寄付で成り立っているんだとか。 誰からも何も制約のない自由な理念の施設。ちっぽけな私の寄付は何の役にも立たないだろうが、この施設を発見できた喜びはお大きい。 自分に資金もなく、もう年老いているから継続して援助が出来ないのがちょっと辛い。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|