日本語で話そう
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旅行記はちょっと休憩。 久しぶりの山の家に来ている。 ちょっと来ない間に季節は変わり、緑が増し、敷地のほとんどが木陰になるほど木々が茂った。 八千穂のゴルフ場やスキー場のあるリゾート施設の中にある星空の湯に入ってから、帰って来て、夕暮れ時、部屋で本を読んでいた時窓の外でがたっと音がした。 夫が庭のコーンポストに生ゴミを入れに行ったのかと思いながらテラスを見ると、寝椅子に寝転んで白樺を揺らす風に吹かれながら昼寝をしている夫発見。 アレ、じゃあ外の音は誰?と寝室の窓から覗くと、コーンポストの蓋が開いて、縁に茶色のふわふわしたものが乗っている。 それがコーンポストに入ったり、顔を出したり、飛び出したりしている。 夫を呼んで覗いていると、気がついてこそこそこそ逃げ出した。家の裏側から表側に周り木の下を通って隣の敷地に消えて行った。 アナグマ。 コーンポストの蓋を回して外す事はとっくに覚えたらしい。 日が落ち、何気なく薄明かりが消えていく空を見ていると、電線に沿ってするする動く小さなものがある。 ヤマネ?ヤマネズミ? 夜がやって来て、今頃はきっと夜の動物が動き出していることだろう。 image posted by (C)灰色ウサギ
July 14, 2015
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早起きした朝、まだ観光客の動き出さない時間ウサギ夫婦はウイーン王宮礼拝堂に向かって歩いていた。 横を母親に連れられたセーラー服の少年が急ぎ足で同じ方向に向かっていた。 言わずと知れたウイーン少年合唱団である。 その日は日曜日、旅の計画段階で娘が計画表にそっと書き込んでくれ、私がメールで座席予約した日曜礼拝。ザルツブルグに移動する前に少年たちの歌声を。 少年たちは可愛らしく、その声は美しかった。指揮者も独唱する少年も見える位置だった。 その後、西駅からザルツブルグへ。 ウサギが写真を撮るのが一番好きな景色は、看板。もちろん日本のような店名を書いた看板では無い。道路にちょっと張り出したなんの店かを道行く人が想像して楽しめるアートな看板。 ザルツブルク アルトシュタット posted by (C)灰色ウサギ アルトシュタット(旧市街)が好きな理由。 夕食はアルトシュタットのホテルから歩いて1分のレストランK@Kのテラス席。 ウィーナーシュニッツェル。 サービスも若いスタッフ達もフレンドリーだ。 ザルツブルグではザルツブルグシュニッツェルと言うんだって。 K und k posted by (C)灰色ウサギ スープのスターターから食べ始める若い人を横目で見ながら、たくさん食べられない我らはいきなりサラダとメインから。
July 13, 2015
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ウィーンは観光客で一杯なので午後になるとどこも行列が出来る。 そこで朝早起きしてシュテファン寺院に向かうつもりが、前日のオペラの生首のせいで寝過ごした。 それでも入場無料の教会だから並ばずに見学し、10時15分のカタコンベ英語見学のチケットを買った。ハプスブルグ家の人々の内臓が収められている地下納骨堂である。 確か2人で11ユーロだったかな。 ウサギ夫婦、旅は分業と決めている。ホテルのチェックインなどの会話はウサギの名前で予約したのでウサギがする。インフォメーション、電車の指定席予約などの交渉もウサギ、各種支払いもウサギのカードで(どうせ支払先は夫の通帳)する。 夫の役割は即計算出来ないウサギの代わりにレストランなどでレシートチェックしてチップ代を計算する事、その他、チップ支払い。 シュテファンカタコンベでの支払いは見学後夫が見学料を出口で支払った。 後から出ようとした私、ふと貼り紙を見る。 「チップは喜んで頂きます」と書いてあるのを見てしまった。気が付かない夫が支払う時、案内人が言った。「ジャスト11ユーロね。」 ふーむ、確かに質問していたアメリカ人はチップを出していたが、我ら英語完璧理解できたわけじゃないのでまあ良いか。 その後、昨日ユリウス•マインルで買ったコーヒーを土曜で閉店前の郵便局まで行って日本に送った。 カタコンベの後にお茶というのもどうかと思うが、とにかく観光は疲れる。 カフェモーツアルトでお茶とケーキ。 あれれ、メニューが昨日のカフェラントマンと同じじゃない。経営者が同じのようです。 ハプスブルグ家の身体が埋葬されているカプチーナ教会まで歩いてまたまたカタコンベ見学。 因みにはハプスブルグ家の心臓は王宮近くのアウグスチーナ教会の中の銀の壺に。予約が必要なのでここはパス。 ハプスブルグ家の人々は分業ならず、分骨です。骨?心臓とか内臓とか身体とか別れちゃったらどうやって天国に行くんだろう。 -----------ちょっと話題のバリアー その日の夕食は以前ウイーンに住んでいたことのあるドイツ人のインゴ推薦のレストラン、ヴィドヴェ・ボルテ。 古くて素敵な建物が並ぶ風致地区にある皇帝も通ったと言う老舗だ。 席に着くと、ウェイターが「あ、日本人でしょ。こんにちは」と言った。思わず周りを見回しても日本人は居ない。観光客のいっぱいいるリンク内では無いし、ここを探し出すのに苦労した程なのでちょっとびっくり。 木が生い茂ったテラス席でウイーン料理とアスパラガス料理を楽しんだ。 写真はヴィドべ・ボルテのある風致地区。 ヴィドヴェボルテ posted by (C)灰色ウサギ
July 12, 2015
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ウィーン2日目、郊外のシェーンブルグ城に出かけた。おきまりの観光コースなので説明は省略。 朝にもかかわらず、チケット売り場は長ーい列。前日にコンビチケットのシシーチケットを買って有るので並ばずに入れた。城内見学後、 庭園を隔てたグロリエッテまで20分坂を登ってそこでケーキを食べた。 何かと言うとおやつの時間。 その時のウイーンは真夏の暑さ。とにかく暑い。体感30度ぐらい。暑いのでグロリエッテから下りは庭園の横の森の中を下った。 そして電車で市内中心部へ帰る。 お昼はナッシュマーケット。いかにもウイーンに詳しいようだが実は13年前娘に案内してもらったコースをなぞっているだけ。 何も変わっていない。 マーケットも。 しかし、13年前の事は鮮明に覚えているのにその日の観光コース記憶が吹っ飛んでいるのである。多分その後ベルベデーレ宮殿にクリムトを見に行ったような。写真はiPad とデジカメデジカメ交互に撮るので時系列も不確かだ。 そしてまたリンク内に戻り、お土産のコーヒーをどっさり買って一旦ホテルに戻った。 ホテルはウィーンという街に合わせてつい五つ星のメゾネットタイプのジュニアスイーツを予約してしまったが、これは余計だった。元来ものぐさなウサギ、下のソファーの部屋で休んで2階のベットに寝に行くなんて、自分の家でもしていないから面倒だった。 ベットだけの部屋でいい。外から帰って来たらゴロンとベットにひっくり返りたい。 休んだ後、夫は背広に着替え、私はドレスに着替えオペラ座に向かった。 その日のやっていたオペラはサロメ。 2階のボックス席の一番前を娘が取ってくれた。だから舞台がよく見えたのだけれど..... 生首を前に歌う変化のないオペラ、眠い。時差ぼけでも無いだろうにとにかく眠い。 ボックス席には後ろに3人いた。それが熱狂的な女性たちで、後ろからでは舞台がよく見えないのか、ウサギの首筋に息がかかるぐらいに近寄って来る。昨日の演目のジークフリートの方を見たかったなあと思いつつ必死に眠気をこらえた。 オペラを見なければ持ってこなかっただろう半正装と靴の為にも目を開けていなければ.... 今度来る時があれば大好きな指輪のオペラか、ミュージカルにしよっと。 アールヌーボー posted by (C)灰色ウサギ 巨大な抹茶じゃわん。 そんなわけないか。 ウイーンの街にはアールヌーボー芸術がいっぱい。カールスプラッツ旧駅舎、郵便貯金局の建物、ナッシュマーケットの先のメダイヨンマンションなど。 それらを見たいウサギは何気なく歩きながら自然にそこに来た風を装い、美術は少なくて良いとのたまう夫をわからないように誘導するのだった。
翌日朝から駅のホームを走っていたウサギ夫婦。 座席予約して有るのに。 ドイツの長距離列車は長い車両の端2両とか1両だけファーストクラスなのである。ひどい時は5席しかない電車も有った。電光掲示板にその車両位置が出るのを知らなかった我ら、2等車から入って来た電車を端にある1等車に向かって走ったのだった。 ホームのどこででも乗れる2等のが良かったんじゃないか? ザルツブルグで乗り換え、ウイーンへ。 ホテルにチェックインしてから歩いてカフェツエントラルに向かう。 13年前の記憶を覚えていたつもりが、初めてのホテルから出発したので高い石作りのビルの谷間で迷った。言い訳。 15分後、見覚えのあるホテル近くに戻ったのである。なんという不覚。 仕切り直しで路面電車でカフェツエントラルの近くに向かう。2つ目の停車場でカフェラントマンを見つける。あーれー、ツエントラルはどこだっけ? まあいいや、どっちみちここも制覇する予定だったから、ラントマンに入ろう。 ケーキと甘いコーヒー。 ウイーンはどこを歩いても絵になる。フォルク庭園の薔薇が満開だった。しばしベンチで休憩。 シシーチケットを買って宮殿へ。シシー博物館を出たら目の前を観光馬車が通った。 夫が乗りたそうにしている。以前ブルージュで乗ったからウィーンではもういいって言ったじゃない。 仕方ないので馬車に乗った。嬉しそうな夫。55ユーロが飛んだ。 夕食はホテルに向かう道にあるカフェツエントラルでウイナーシュニッツエルを食べた。 カフェで?良いのだ。ここは雰囲気と伝統を楽しむ。 昔、お勘定をしようとウェイターを呼んだら、「ダメあの人はこの席の担当じゃない。チップが絡むから」と娘に言われたことがある。このツエントラルで。 その日もツエントラルは満席。 清算して次観光行きたいよ。担当ウェイター来ないよ。今、目が合ったとお思ったのに。手をあげてるの見てないのか? その先、旅行中この悩みがずっと付いて回った。どんなにかレジに飛んで行きたかった事か。 ある時、来ない担当を待ちくたびれ、清算すべきレジに行った事がある。そうしたら、「今行くから席で待て」だって。あえなく撃沈。 あそこもここも観光したいせっかち日本人には合わないシステム。 郷に入れば郷に従い、その後はあちらに合わせ、観光は4分目、腹9分に変えたのである。 食べて休んでばかりともいう。 王立図書館 posted by (C)灰色ウサギ 王宮内図書館。ここは意外と穴場。観光客が少ない。
July 11, 2015
電車の切符はヨーロッパいくつもの国の電車が利用出来るグローバルパスの一等を選んだ。 1ヶ月間乗り降り自由である。 旅の始めはミュンヘン空港からシャトルバスで中央駅へ。以前書いた通りホテルが駅の中なのであるからこれが一番便利。 第一の基地を作る。 駅の中といっても部屋はとっても綺麗。別に電車の音がするわけでもなくシティホテルなので豊富な食べ物が朝には選べないほど並ぶ綺麗なレストランも付いている。もちろんミュンヘン名物朝食べる白いボイルドウィンナーも保温器の中で待っていた。 実は直前になって予約のホテルの環境が心配になってグレードをひとつ上げた。結果、費用はウィーンでの五つ星ホテルと変わらなく高くなったけれど、便利さと安全さが増した。 スタッフもとても親切で旅のはじめとしては申し分無い。 夕方着いたのでその日やったことはただ一つ。 駅に行って翌日ウイーンに行く列車の席予約である。 DB(ドイツ鉄道)infoに行く。infoで、予約オフィスは5分歩いて左だよと言われ歩き始めると、1分歩いて左に有った。???? 番号札取って順番待って無事予約完了。 直後に窓口のおばさんクローズの表示を出す。??? 予約券無くさ無いように椅子に座ってバックに入れていると、「オフィス閉めるから出てくださいね」と言われた。 なるほど!! infoで言われたのは「5分歩く」ではなく、「5分で閉まるから早く歩け」だったのね。 テンパっているから5とか歩くとかそんな単語しか耳が拾わ無いのだ。 い いきなり2人とも英語が不安になった。 これから大丈夫だろうか。 ミュンヘン posted by (C)灰色ウサギ 旅の前半はどこに行っても市場や朝市に皮をむいても細くならないだろう太い白アスパラガスが売っていて、いつもいつも買いたい衝動に駆られるのだった。
July 9, 2015
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1ヶ月と4日の旅から帰って来た。 長かったのか短かったのか。シニア2人の計画から全ての自由旅である。電車の乗り間違え、言葉の壁、自分で予約したホテルの手違い、いろいろあるだろうと思っていたが、予定通り予約したホテルに泊まれ、毎日出発の電車を決定するわけだから電車にも遅れず、私より年齢の低い人たちはほぼ90%英語が話せるのでドイツ語が出来なくても不自由無く旅を続けた。 寒いと言ってはカフェに入り、暑いと言ってはケーキを食べ、夜9時でも明るいのに「もう寝る時間だ」と街に繰り出す人々を尻目にホテルに帰って寝てしまうので、風邪も引かず、旅を続けた。 人で溢れる有名な観光地にも、アジア人の顔を見無い小さな街にも行った。ひたすら観光名所を見た時も、1日を費やして12kmの山登りハイキングをした日も有った。 たくさんの親切に出会い、懐かしい友と再会し、日本人である事を誇りに思った事も、いろいろ教えられ、勉強した事もたくさんあった。 シニア2人の旅だから2連泊、3連泊し、そんなに多くのところを見たわけではないが、忘れ無いうちに旅の思い出を記録していこうと思う。 何せ、予約し覚えた電車の席さえ、15分前に覚えた番号をいざという時には忘れてしまうのだから。 「何時だっけ?」「何号車だっけ」「何番だっけ」 今はトーマスクックなどという時刻表は要らず、インターネットのDBページもガイドブックもGoogle mapも i padの中。後はインフォメーションに飛び込んでその日の計画をフォローしてもらうだけだった。 写真はザルツブルグお城の上から覗いたアルトシュタット(古い街) image posted by (C)灰色ウサギ
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今日ホームに帰って来た。まだ家では無い。でも、最後の空港ホテルの宿泊だ。マンモスホテルである。 常時3人はいる受付のスタッフもチェックインする時間や日にちによって変わるけれど、なぜかその女性スタッフによく当たる。 6回目ともなると今日は「お帰りなさい。ウサギさん。旅はどうでした?ここはあなたの家みたいでしょう?」と言われた。 名前まで覚えられた。 11階の部屋、今日はさっき美術館へ行ってきたばかりのフランクフルト•アム・マインの高層ビルが空港の森の向こうに見える部屋。 窓から眺めているといきなり目の前少し上を着陸する飛行機がかすめて飛んだ。ほぼ3分おきに通過する。 夜、このホテルのレストランで最後の夕食をとった。 実はこのホテルのタイカレーを最初に食べて病みつきになったのである。3回目のタイカレー。 ルートのところとミュンヘンでちょこっとお寿司を食べただけでこの1ヶ月日本食が恋しいと思った事はない。でもここのタイカレーだけはドイツ料理ではないけれど、大好き。 空港ホテル posted by (C)灰色ウサギ
July 6, 2015
暑い、何しろ暑い。6月3日からの旅のはじめ、ウイーンは暑かった。その後6月8日ザルツブルグの突然の雷を境にプラハ、ドレスデンと、どんどん寒くなり、ドレスデンで夫は遂にジャンバーを買った。店には防寒着がたくさん売られ、道行く人も冬支度。 ベルリンでの観光。一緒にいたトムはマフラーをとったり巻いたり、前日のトーマスさんは街中でセーターを脱いだり着たり、変な天気。 その後からだ、徐々に熱くなった。フランクフルトもデュッセルドルフもフライブルクも、そして昨日のフランスアルザス、コルマールも今日のストラスブールも。 暑い。びっくりするほどたくさん教会や駅の前にいる物乞いに人々はお金でなく水ボトルを恵む。 犬を連れている若い放浪者がダラダラと歩く犬の前足を取り、顔を近付けて犬を励ます。微笑ましいのやら気の毒やら。 フライブルクは街中を黒い森から流れる水路に子供達も若い女性も道路に座り脚を浸す。 若い旅人3人が街の噴水台の水の中ではしゃぎながら水を浴びていた。 出来るだけ歩きたく無い私達は朝はおもちゃのような観光トレイン、午後は運河を巡る観光ボートで時間を潰し、冷房の効いたホテルに逃げ込んだ。 伝統を重んじる街、レストランだってカフェだって冷房なんて無い。 泊まったのが冷房の有る四つ星ホテルで良かったと思った。 Naegel posted by (C)灰色ウサギ フランスに入った途端人々はオシャレになり、ケーキが小さく繊細になった。
July 3, 2015
デュッセルドルフの郊外のRheydtという小さい街に住んでいるルートの家に泊まりに行った。 デュッセルドルフでレジオナルバーンという地方線に乗って降りた駅のホームにはぺんぺん草が生えていた。今ドイツの大きい駅は日本のようにプラットホームが線路より高くなって昔の線路との段差がない懐かしい駅は少なくなってきた。 ルートの街の駅にはまだそんなホームが有った。 ホームには彼女の夫の大学教授のセバスチャンが迎えに来てくれた。 子供の本の作家であるルートを私達は南さんと呼ぶ。昔、学生時代の日本人留学生が名付けてくれたんだそうだ。 古い町並みに一軒青いペンキを塗った裏庭のある家では13歳と10歳の2人の娘と南さんがお寿司を作って待っていてくれた。上の娘のルカは南さんが日本に来た時は彼女のお腹の中にいた。そのお腹の子に再会したのは1歳の時、まだ南さんの家がデュッセルドルフの街中のアパートだった頃。 1歳の頃の面影なんて全然無くなったアン・ハサウェイ似のルカが私に逢った事を覚えている気がすると言った。 私達がするようにきっと両親が写真を見ながら思い出話をするのだろう。 言語学者だから村上春樹も日本語の本も天井まである本棚に並んでいる。 「言葉遊び」という本を何気なく手に取ると、開いたページに さよなら またね 月出たね なたね 植えたら 芽が出たよ と書いてあった。 14年前ルートのホームステイ受け入れて、タネを蒔いたのは私。 我が家の長女がドイツ留学中はいろいろ世話をしてくれた。互いに行ったり来たり。 みんなで種に水をやり、大きく育てた友情の花。 2日泊まってまた空港のホテルに帰って来た。 さよなら またね 日暮れが遅いから9時半なのに 月出ない 南さんの寿司 posted by (C)灰色ウサギ
June 30, 2015
ラインを離れてモーゼル川河岸を電車で走る。あんなにいた中国人旅行者も韓国人旅行者も一気にいなくなった。 コッヘムという小さな街で降りた。 駅員さんも雲隠れ。駅舎の中のバーの扉にドイツ語で小さく荷物預かり2ユーロと書いてあったので私の小さいスーツケースと夫のリュックを預けた。 英語表記が見られなくなってから、俄然ドイツ語に強くなった。単に想像力が増しただけだと思うが。食べ物の注文もドイツ語を交えられるようになった。 コッヘムの可愛らしい旧市街を見物しながら通り抜け、infoで教えてもらった通り、30分程山登りをしてモーゼル川を見下ろす丘に立つお伽の国のお城のような中世のライチェス城を見学した。 時間制のドイツ語ガイドツアーしかない。日本語の説明が書いた1枚の紙をもらって、ガイドにくっついて40分城内を回った。有難いことに時々おまけで英語を入れてくれる。 そして歩いてまた丘を下ったのだった。 良い見学だった。お伽の国が本当に有ったと言う感じが持てた。 麓のお伽の街ではブラックフォレストケーキを食べたのだった。 コッヘム城 posted by (C)灰色ウサギ 黒い森のケーキ posted by (C)灰色ウサギ
June 26, 2015
船でラインをちょこっと移動、 リフトに乗ってワイン用ブドウ畑の真上に水ボトルをお落としてしまった。 ライン川を見下ろすハイキングコースを歩いて、ゴンドラでブドウ畑の上を渡る。ゴンドラがすれ違うたび高校生達が「グーテンターク、ハロー、ビダゼン」と言う。答えていたら、どうやら次の組に聞こえるらしい。次から次から挨拶。笑が止まらない。 今日はラインの右岸川の電車でゴブレンツへ、ローレライの真下はトンネルの中。 沢山持って来た現金が少なくなって来て心配なのでカードの効かないタクシーになるべく乗りたくないけれど、駅から遠いライン河岸の眺めの良いレストランに惹かれて取ったから仕方なくタクシー。 荷物を置いて、ホテルのそばから行かれる要塞に裏口入場。 ドイツ語表記しか無い。ケーブルカー?エレベーター?全自動式。 ケーブルカー自分で運転したのは初めて。 誰も行かない裏から入ったから、要塞の中どこ巡って良いか分からない。 うーん、屋上に出た。うーん今度は真っ暗で不気味な地下室展示場。牢屋の跡。リアルな再現音まで聞こえる。 頼むから英語表記しておくれよ。 ドイツはどこでもおじいちゃん以外には大体英語で通じる。ただし、相手はこちらが英語で聞いたこと以外はドイツ語。 想像力ゲーム。 要塞からロープウェイでラインを渡る。ガラス張りだからペットボトルは今度は落ちない。 旧市街観光して小さな渡し船でホテルに帰る。 いっぱいある船着き場、渡し船のはどれ? ここに来て全く英語表記が消えた。 渡し船のおじさんも全部ドイツ語しか話さない。 想像力テスト。 リューデスハイム posted by (C)灰色ウサギ
June 25, 2015
朝から雨が降って寒い。 ツークスピッツに登る時用に持って来た防寒着はもう毎日手放せない。冬の天気である。 今日はライン川を見下ろしながらケルンに向かって右側の丘に設定されているハイキングコースを一区間6キロ程歩いてみるつもりだったが、雨じゃつまらない。 急遽変更して、屋根が付いているという単純な理由でマインツからボッパルトまで約4時間のライン下り。本当は明日リューデスハイムからゴブレンツ迄乗船するつもりだったけど、ハイキングとチェンジした。 今日の宿はリューデスハイム。名物ワインレストランばかりのつぐみ横丁を通って、また大好きなアスパラガス料理を食べる。 夫はもちろん、リューデスハイムの赤ワイン。 つぐみ横丁 posted by (C)灰色ウサギ
June 24, 2015
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本日の戦利品。 image posted by (C)灰色ウサギ マインツの街は今日はお祭りらしい。ドム(教会)の前のマルクト(広場)や町中のありとあらゆるスペースに屋台や移動商店が出て、メリーゴーランドや臨時遊園地まで出来ている。お陰で黄色い郵便ポストは全部テープで使用できなくなっていた。物を放り込む輩がいるのだろう。殆ど毎日行く先々で書いている娘たちへのポストカードを出せないで持ち歩いている。 今は夜の10時半。多分ライン川で花火が揚がっているのだろう。すごい音がホテルまで聞こえる。日没は9時半なので今頃の花火。 昼間ドムとシャガールのステンドグラスの有る教会とを見学した後、街の本屋で買ってしまった本。ドイツ語は読めないけれど、英語の同じ本を持っているのでストーリーは分かる。「キラーキャット」
June 23, 2015
以前トムハンクスの自国の政変の為空港から出られず、そこで暮らす話の映画を見た事がある。 今夜、ホームに帰って来た。スイートホームとまでいかないが、自分の家に帰ってきた気分。 フランクフルトの空港内にあるホテルである。このホテルから飛び立ってプラハ、ドレスデン、ベルリンを6泊7日で巡って来た。 ベルリンは2回目、20年近く歩いた道をしっかり覚えていた。ホテルアドロン、アレキサンダープラッツ、クーダム。懐かしい。 ベルリンで、トムにも会った、トーマスさんのお父さんがシェフをしているレストランで彼のお母さん、お兄さんと食事をした。その話はまた後で書こう。 こちらの日の入りは9時半過ぎ、ついつい夜更かしして眠い。 写真はブランデンブルグ門。 image posted by (C)灰色ウサギ
June 22, 2015
ドレスデン駅で朝8時20分のSバーン(近郊電車)に乗った。 それに乗って、ドレスデンから30分程のクアオルト・ラーテンという小さな駅で降りた。2日前にいたプラハを流れるモルダウは国境を越えて合流しエルベ川と名を変える。そのエルベ川を渡し船でちょいと渡って向う岸へ。小さなホテルの横を曲がると直ぐに奇岩群を持つ山の中のハイキングコースになる。いや、山登りだ。 ヒイコラ言って登る事45分。そそり立つ岩山と岩山を繋ぐ石のバスタイ橋に出る。 筈であった。 途中でポーランドの団体さんに会った。そのユダヤ人ガイドさんに話しかけられたのが良かったのか悪かったのか。話始めたら止まらない。自分のお客を放って置いて、いろいろ尋ねるは話すは、どこかの国のガイドさんとは大違い。それでも10人ぐらいのお客さんたち嫌な顔もせず、挙句に「日本の友達だ」と一緒に写真を撮ったのだった。我も我もと差し出すカメラに収まって、充分なロス時間。 バイバイしても、登坂道は1本だから、途中で又会う。またお喋り。ガイドさんは私たちと話した事をみんなにポーランド語で通訳する。 途中でチェコからの観光客を捕まえて私たちのわからない言葉で話し。今度は私たちに英語で引き合わせるのだった。次はオーストリア人と。 陽気なガイドさんのお陰で頂上にはたっぷり1時間かかって登り着いた。 目もくらむ奇岩の上からは、真下に弧を描くエルベ川、ずっと遠く国境を越えチェコの方までギアナ高地のテーブルマウンテン群のような風景が見渡せた。 ここは友達のインゴのお勧めの場所。 ザクセン・スイス posted by (C)灰色ウサギ 麓に降りて小さな川岸のホテルで食事をした。20年ぐらい前初めてドイツに来た時、結構高いパック旅行だったけど料理は美味しくなかった。今回は自分で選ぶどのレストランも美味しくて太ってしまうので、途中から料理はスターターもメインも一人分を夫と半分こする事にした。そう告げるとホテルのウェーター。最初のサラダは取り皿を。次から「取り分けるの面倒でしょ」と、ちゃんと一人分を2つに分けて、綺麗に盛り付けて持ってきてくれた。 ちょっと感動。 写真は1人分の半分こ分。 クアオルトラーテンで posted by (C)灰色ウサギ 田舎の風景にゆったり浸り、ドレスデンの街に帰ったらもう王宮や教会の見学はどうでもよくなってしまった。 宮殿の前のクロイツカムでコーヒーと夫はクロイツカムケーキ。 私はバームクーヘンを薄く、薄く切って貰った。 クロイツカム posted by (C)灰色ウサギ
June 19, 2015
タイトルはチェコ語で「こんにちは」。30年以上前、まだプラハの春の後、チェコとスロバキアが一緒の時代にこの地を仕事で訪れた夫が覚えていた言葉。プラハの春でソ連が入って来て、仕事場には必ず何も仕事をしない見張りの共産党員がいたという。暗い時代。 「ソコロフに駐在してたからプラハは少ししか覚えていない。」 夫はそう言うだけあって、その頃から今も変わらず走っているレトロな市電だけ懐かしく覚えていた。 街の地図もプラハ城も覚えていなかった。 結婚したての頃、夫から聞いて旧東側の暗いイメージを持っていたこの街だが、建物は皆童話の絵のように美しく、2人で9時半の日没をヴォルダ川(モルダウ)の河畔で待ち、旧市街から眺めるライトアップされたプラハ城はそれはそれは美しかった。 美しさにため息を付く私に、どうしても再訪したかった夫が「ほら、来て良かったじゃない」と言う。 多くの人々が犬を連れて電車に乗り、レストランに入る。それにしてもなんと物乞いの多いことか。若い物乞いがきらびやかなアールヌーボーの建物の前で、伏せた姿勢でコップを置いて物乞いをする。彼らもまた犬を連れている。 スラブ系だろう赤い髪の若い女性がやって来たら、物乞いは犬を連れて颯爽と歩き出した。 どこかに、カレル橋には40人のスリがいると書いてあったような。 落ち着かない気持ちで橋を渡る。 ふと見るとさっきの犬連れの物乞いが今度は橋の上で物乞いをしていた。 少し離れたところにさっきの彼女。 image posted by (C)灰色ウサギ ミュシャの美術館を出て、ミュシャのデザインした市民会館の美しい装飾のレストランでチェコビールを飲む。 余りの美しさと格調高さに多くの観光客が入り口で写真だけ撮って入らずに帰って行った。 ネクタイのない夫も昼だから拒否されない。 image posted by (C)灰色ウサギ レストランの中の壁画は聞いたらミュシャでは無いけれど、有名な画家だとか。物覚えが悪いから画家の名は聞いても覚えられないウサギである。 写真を撮らせてもらっていると、夫がアクアマリン色の目をした愛想の良いウェイターと話していた。帰り際に「世界で最も美しいレストラン」なんて書いて有る店の絵葉書をくれた。自分で言うところが凄い。「機会が有ったらまた来てね」だって。 うん、また来たい。
June 17, 2015
ミュンヘンに降り立ってから今日で13日目。ミュンヘンに基地を作り、大きなスーツケースを置いて、オペラ鑑賞の為のドレスコード用の靴と背広をボストンバックに詰めてウィーンとザルツブルグに持って行ったのが余程重かったのか、夫はここプラハにはフランクフルトにスーツケースを置いて、リュックを背負って来た。 ところが自分で予約して驚いたことに、リュックを背負ってでは気恥ずかしくなるような豪華なホテルだった。コンシェルジュもいるし、ロクシタンのアメニティもスリッパもある。ウイーンのジュニアスイーツだってスリッパはなかった。2人とも飛行機に付いていたスリッパを持って歩いているのだ。 オーストリアからミュンヘンに帰り3日滞在して、ホーエンシュバンガウ、ローテンブルグでそれぞれ1泊し、ロマンチック街道を北上してまた、フランクフルト空港のホテルに基地を作り、身軽な荷物で飛行機に乗り、ここプラハにやって来た。 写真はロマンチック街道ディンケンスビュールとローテンブルグの町並み。 ディンケンスビュール posted by (C)灰色ウサギ image posted by (C)灰色ウサギ
June 16, 2015
ウサギ夫婦はユーレイルパス1等の電車の旅を楽しんでいる。旅先で街中観光では無く交通が不便な郊外の景勝地に行く時は、オプションツアーが便利だ。 ザルツブルグからザルツカンマグート(湖水地方)に行く半日バス&ボートはウイーンからザルツブルグ駅に着いた時、駅のインフォメーションで英語ツアーを予約してもらった。日本から予約の日本語ツアーは高かったからケチったのである。 ミュンヘンからフランクフルトは荷物持っての移動が嫌だったのでヨーロッパバスを利用することにした。ミュンヘン発、ノインシュバインシュタイン城、ホーエンシュバンガウ泊、そしてローテンブルグ泊2泊3日のオプションツアーである。日本の旅行エージェントを通してインターネットで予約した。 これが間違いだったのである。 一見繋がったツアーで楽に見えるが、日帰り観光ツアーバスとヨーロッパバス、2つの違ったバス会社のバスを乗り継がなくてはいけなかった。 そんなわけで最初のノインシュバンシュタイン城1日ツアーのバスにはスーツケースなぞ持った観光客は我々2人だけだったのである。 しょっぱなから不安になる。 おまけに同じバス停に同じ会社の行き先が同じバスが3台。私の予約券を控えているバスはどれ? 聞きまくる。予約は英語バスと書いてあるのにに日本人は1号車に乗れと言われる。 え、乗ってもいいの?結局途中の観光案内だけテープで日本語だったけど。 不安だからガイドが付いているグループがいたので日本人ガイドに聞いてみた。 「うちのお客様以外には教えられないんですよ」 えー、ケチ。 日本人が一番不親切じゃん。 その夜は無事にノインシュバンシュタイン城とホーエンシュバンガウ城を見学して両方の城の間にある場所に用意されていた高級ホテルに泊まれたのだった。 ホテルミュラー posted by (C)灰色ウサギ 毎朝ホテルの食事は豪華なので太る。段々控えめに取るようになった。 写真の窓の上の方にちょこっと見えるのがノインシュバンシュタイン城。チケット買った時点で入場時間が決められる。そこまで歩けば30分の山登り。 馬車も途中までのバスも長〜い列だったので歩いた。
June 13, 2015
ウィーンでトラム駅のコンビニで水を買った。店員が「あ、日本人」「こんにちは」と言って来た。 ウィーンなどでは観光客や現地在住者がいっぱいいるだろうに。それにどうして日本人と分かったのだろう。顔のよく似た韓国人、中国人も日本人以上に見かけた。 ミュンヘンのインフォメーションで道を聞いた時も「こんにちは」と日本語で親しげに話しかけてきた。そこでウサギ、思わず、どうして日本人と分かったか聞いてみた。彼は言った。「日本人はポライト(礼儀正しい)から」 そういえば最初に私は「グリュスゴット」(こんにちは)とババリア地方の挨拶をしてから、質問を始めた。 今日、英語オプションツアーの中、オーバーアマガウという小さな綺麗な村で40分ほど自由時間があった。 夫と私はアイスクリームを買って、立って食べるのもなんなので、木陰のベンチに座って食べ始めた時、同じベンチにドイツ人男性が座って、「こんにちは」と言ってきた。返礼してから聞いてみた。「どうして日本人と分かりましたか」彼は言った。「目を見れば分かる。それに日本人はとても丁寧でしょ」 ウサギはちょっとばかり嬉しくなったのである。日本人が褒められている。それからは、今まで以上に、「グリュスゴット」「ダンケシェン(ありがとう)」「アウフビダゼン(さようなら)」「ビッテシェン(お願いします)」「エントシュディグング(すみませんが)」と使うのだった。 そうすると相手も「サンキュウマアム」と返してくれる。 写真はザルツブルグで美味しいと評判のレストラン「K&K」のアスパラガスのムース。 アスパラガスのムース posted by (C)灰色ウサギ
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ミュンヘン駅は食べ物の宝庫だ。 電車のベルが鳴り、改札やゲートの無い駅舎を行き交う旅行客や勤め帰りの人々の喧騒。 ウィーンのちょっと豪華な五つ星ホテルとザルツブルグのアルトシュタット(古い町並み)のど真ん中の何時か泊まったイギリスのライをお思わせる古い伝統有るホテルに5日程泊まって、またここミュンヘンに帰って来た。 ミュンヘンのホテルはどこに行くのも便利な駅舎直結のホテル。豪華では無いけれど、利便性抜群だ。今日は早起きしてツークスピッツに行って来た。 ウイーンでもザルツブルグでもちょっと豪華な食事を楽しんだので、今日はテイクアウトで夕食を済ませる。 それにしてもいったいこの駅舎の中に何種類の店が有るのだろうか。イタリアン、ベジタリアン用、サンドイッチ、ヌードル、フルーツ専門、ソーセージ専門、どれも美味しそうで迷ってしまう。 今日は今ドイツで流行りだというカレーとケチャップの掛かったソーセージとパンを夕食に食べたのに、人々の行き交う中に懐かしいものを見つけて思わず買って夫と食べてしまった。 まだ日本食が恋しいわけでは無い。 旅人の物珍しさ買いである。 自分が旅人であることを忘れそうに馴染んでしまったこの駅とも明日でお別れである。 何回も電車のシート予約で通ったDB(ドイツ鉄道)のチケットオフィスに今日初めて一等車専用カウンターがあることに気がついた。 番号待ちしなくて良かったのだ。 毎日新しい発見をして、失敗をして、それでも旅は楽しい。 image posted by (C)灰色ウサギ
June 12, 2015
このところ英語の勉強をしていない。にもかかわらず英文メールを頻繁にしている。辞書無しいい加減。間違っても相手がちゃんと理解してくれるからいいやと。チャットをする事も増えた今月。辞書を使わないでインドネシア語を打って間違えていると「せんせい違いますよ」と直してくれる。もう日本語教えるボランティアやめたから、我が家のパーティーに来る新しい人は生徒でもないのに、私の事を先生という。昨夜はアメリカのカイルくんとチャットした。半分日本語半分英語。「いいチャット」だと彼は言う。iPad で打つようになって、彼のスピードについていけるようになった。もらった手紙の返信が何度送っても返って来てしまう韓国のゼリンさんへのメールが気がかりだった。カカオトークメンバーに登録されたので、そこを使ってメッセージを送った。「本当に先生」と、飛び上がらんばかりに喜ばれた。引越しばかりする彼ら、メールがあるさと油断していると、郵便で手紙が送れなくなる時代。一昨日はクリスティンとその夫のグレッグさんに招かれて食事をした。アメリカに帰る彼女に会うのは一昨日が最後。寂しい。これからはインターネット上のチャットでおしゃべり。昨日はビッキーに会う。彼女ももうすぐアメリカに帰る。皆いなくなるとさびしい。チャットが有っても。日本とはちょっとずれての旅立ちの季節。以前使っていたMicrosoftのメッセンジャーからFacebook のメッセンジャーに変わったのも知らずに使っていたウサギ。後何年かしたら、きっとITに頭が付いて行かれなくなるだろう。写真は80代でガラ携使っているお隣さんを昼食に招いた時使った箸置き。これ、箸を置くと、活けた花は向かい側の人にしか見えないよね桃色月見草 posted by (C)灰色ウサギ
June 2, 2015
暑日が続く。それでも海に近いこの辺りは、まだ太平洋の海水温が上がってない為、内陸よりは涼しいんだそうだ。 ウッドデッキに出て庭のアワモリショウマや夏椿、沙羅の白い花を眺めながら、夫の焼いたチーズケーキを食べる。 今日のコーヒーカップはエインズレイのアンティークとロイヤルスタフォード。 この頃やけにホトトギスが鳴く。 ありあけに限らず夜でも昼でも鳴いている。 「ホトトギスって托卵するんだっけ?あれはカッコウだっけ?」 涼しい風がさあと吹いて桃色月見草を揺らしていく昼下がり。 何にもすることのない老人の会話。 チーズケーキ posted by (C)灰色ウサギ
May 28, 2015
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タイトルには中山道ー彦根城と書いたが実は国宝彦根城は中山道上には無いのである。 そして今頃書いているがこの記事は3月の終わり桜が咲く頃の旅日記である。取り敢えず前の旅を終わらせておかないと、次には進めないような気がしたのだ。続きのある旅だから。 中山道ももう直ぐ終着である。東海道の時草津から京の三条大橋まで歩いたから、重複期間を抜けば、草津で終点ということになる。 話し戻して、2泊3日の旅の3日目、前回の日記の続き。 関ヶ原を越え、ほぼ平らな道をのどかに歩く。幾つかの宿場を通り抜ける。綺麗な清流に小さい魚がいっぱい泳いでいる小川を中心に保存された宿場もあれば、1、2軒の古い家が残るのみの寂れた宿場も有った。 琵琶湖、米原に近ずくとなんだかほっとして何時でも電車に乗れると安心したのだったが、中山道は鉄道からも琵琶湖からも離れ山際を高速道路に沿って曲がっていくのであった。 足が痛い。人気が無い。タクシーを呼べそうな店もバス停も無い。 道はなぜか高速道路を見下ろせる位置まで登っていく。嫌な予感。 難所は関ヶ原とお思いきや、思わぬところに落とし穴があった。摺針峠。 峠を越えると琵琶湖が見える。今回の終点鳥居本。 私鉄の小さな無人駅から見える山は佐和山。石田三成の城があったところである。その向こう琵琶湖畔には彦根城。井伊家の城である。 実は彦根城下にはその日の前日泊まって、お城見物をしてから電車で戻って中山道に復帰したのである。 彦根城は岐阜城ほどでは無いが、山のてっぺんにある。階段階段、石垣。物凄い石垣の量である。どこからこんなに持ってきたのか。余りにたくさんの石垣を必要としたので、足りなくなり、一部は佐和山から持って来たと書いてあった。 戦いに負けるのは辛いもの。 ブロ友のたけさん情報によれば佐和山城址に登る道は非常にわかりにくくなってしまっているそうだ。 そこもまた栄枯盛衰の強者どもの跡なのだろうか。 彦根城 posted by (C)灰色ウサギ なんとか今年中には完歩できるかな。
May 22, 2015
山の家からの帰り、流石に観光客がいなくなった牧場通りの愛すべき清里マチス(じゃなかった)アルチザン パレドオール に寄ってカカオのソフトクリーム451円を食べ、 マツコの知らない世界でやっていた超高級日本酒を使った、三枝ショコラティエの「獺祭」を清水の舞台から飛び降りるつもりで買った。 たった6粒で2,000円。 一粒333円の贅沢。 当分はないだろう贅沢。 獺祭ショコラ posted by (C)灰色ウサギ
May 8, 2015
山の時間はエンデの「モモ」に出てくる亀の歩みのように全てがゆっくり進む。 山里に染井吉野とは違う儚げな花びらを持つ桜が咲き、白いヤマナシの花が咲く。春はゆっくりやって来る。 朝、カーテンを開けもう一度温もるを求めベットに潜り込んで、耳はアカゲラの木を突く音や鹿の鳴き声を探す。目覚めてしまった目は額縁の中の絵画の様に見える窓枠いっぱいに見える裏の白樺林を彷徨う。この風景は私のお気に入りだ。 ゆっくり起きてテラスで夫の入れてくれたキリマンジャロを飲む。 今日は何をしようか。 芽吹いた白樺の苗を網で囲い鹿対策をしようか。それともテラスの長椅子で昼寝をしようか。 秋から冬にかけて落ちた樺などの落ち葉を踏みながら敷地を歩くと、昨日まで出ていなかったところに新しい2センチほどの小さなモミジが双葉を付けたまま芽吹いていた。 あっちにもこっちにも。踏みつけないように50センチ程の竹の棒を目印に立てる。昨日立てた分と合わせて50程。明日もっと増えたらもう竹の棒はない。 枯れ枝を燃やしていた夫が「見てごらん」と差し出した枝の先に薄みどりに透きとおった羽を持つ羽化したばかりの山にいる春蝉。写真を撮ってもまだ飛び立てない。 清里ばかりは普通の時間が流れる。ケーキだけ買って退散。お気に入りのマチスはショコラティエ「パレドオール」のカカオから作るチョコレート工房に変わってしまった。大好きだったフルーツのケーキ達はモンブランを残して、チョコレートのケーキ達に様変わり。 別荘地の一番山際に有る大きな市の保養所のお風呂に外来入浴させて貰って帰る途中、夫がキツネだ!と叫ぶ。運転手の私は見ていない。「あ、テン」車の前を横切る茶色の物体。今度は私も見えた。 GWが終わりあちこちの山荘に電灯の灯りが木々の間から見え隠れしていた別荘地が静かになった。 星達もゆっくり回る山の時間。 image posted by (C)灰色ウサギ
May 6, 2015
先日娘達がホームステイ受け入れたトムは10日ほど前、羽田でドイツから来た両親と妹と合流して父親のインゴの学会出張を利用した家族旅行のために沖縄へ行った。そして3日前、また羽田からベルリンへ帰って行ったようだ。その時、その羽田の到着ロビーで夫と私はトムと別れた彼の両親と妹のハンナをホームステイ受け入れのために待っていたのである。 ウイーンでホームステイして以来12年ぶりの再開である。 ただし、今回は都会から遠い我が家でなく、トムを泊めた次女のマンションでの受け入れだ。長女にとっては彼らはウィーンでのホストファミリーであるし、今一番仕事が忙しい時期の長女も仕事の合間に会えるように、私たちは次女の家に出向いての出張ホームステイ受け入れ。 自分の台所でない行き当たりばったりの夕食作り、夜は自宅に帰るつもりが、夫も私もインゴやカーチャやハンナとお喋りが弾み、ビールを飲んでしまったらもう疲れて電車に乗って我が家に帰る気持ちが失せ、2泊も娘の家に泊まってしまった。 ハンナは一人ゲストルームのベットで、インゴとカーチャは次女の書斎に空気マットを敷いて、そして私たちはなんと泊まりに来ている長女を含めて次女のベットルームでダブルベットのダブルマットの一枚を引き下ろして合宿状態で寝たのだった。 一部屋に4人も寝れば暑い暑い。背中が痛い。足の踏み場もない。リビングのソファーで寝ればよかったと後悔するのだったが、これはこれで楽しかった。 で、ホームステイ受け入れ? いやあ最高。ドイツ人なのにウイーンやポツダムや今はチューッリッヒにと居を移動している彼らと我が家の子供達も互いに行ったり来たり、もうすっかりビッグ家族のようだ。 ビールとワインを飲んで饒舌に冗談を言うインゴ。グラフィックデザイナーのカーチャは果物を買ってこんなに綺麗に盛り付けてご馳走してくれた。 image posted by (C)灰色ウサギ さて、明日からは山のようにもらったスイスチョコレートを消費する毎日。ググー、また太るではないか。
April 27, 2015
4月になってからの我が家の来客数は50人、いっぺんに30人というのもあったけれど、1日あたり⒈7人。3日続きでの来客もあった。 流石に忙しくてブログも書けない。ブログ友さんのところにも遊びに行かれない。 ふと思い出したら、3月下旬の2泊3日の中山道の旅日記が大垣で止まっていた。実は琵琶湖の見えるところまで旅は続いたのである。 旅の2日目は大垣(赤坂宿)を出発して関ヶ原の先の醒ヶ井迄。旅をしていてうれしいのは、JRでも私鉄でも近くを電車の線路が通っていること。関ヶ原辺りは琵琶湖に抜けるため山間を川も中山道も電車も自動車道路も高速道路も新幹線までもが互いに寄り添ったり立体交差したり常に近くに有る。流石に新幹線には飛び乗れないが、疲れたらどこででも電車に乗ればいいので、その安心感はありがたい。 関ヶ原を通過する間、徳川方の陣地だとか戦場跡だとか、机上の歴史ではなく自分の足で測る各陣地の距離は、歴史授業で習ったことがより身近に感じて面白い。様子見のコウモリ武将がやっぱり一歩引いて陣を張っていたり、大将の徳川家康と石田が意外と近かったりして興味深かった。 この地はまた壬申の乱の戦場でもある。歴史はもっと遥かに遡る。途中に大きな大きな前方後円墳もあった。都は近い。 image posted by (C)灰色ウサギ
April 24, 2015
毎日がボケとの競争である。 遅くとも8週前にはチケット予約メールを送れと書いてあったが忘れていた。素知らぬふりをしてダメ元メールを送った。毎日メールボックスチェックをしているが返事がこない。やっぱりだめか。 今日、めったに見ない二つ目のメールボックスを何の気なしに開いてみたら、見慣れぬ差出人から2度のメール。「待て待てこれは」。 返事は来ていたのである。日数が無いから急いで支払い方法知らせろと言ってきていた。 これがまたこちらの自信が無くなるような英語で書いてある。おーい辞書。 ついでに送信メールボックスを覗いたら、先週送ったはずなのに未送信になっているインゴ宛のメールを発見。ピ、急いで送信。昨日インゴの息子のトムが泊まりに来たよという内容の1週間前のメール。今週末にはそのインゴを羽田迄迎えに行かなければいけない。 私より若いクリスティンから昨日メールが来た。「明日会うと予定表に書いてあるけど、合ってる?」成る程、予定表に書いてあってもそれが正しいか自信が無いのだ。 ひひひ、ボケは私だけじゃない。 缶切り posted by (C)灰色ウサギ クリスティン家の缶切り。缶がぶら下がりながら切れる。果たして便利なんだか邪魔なんだか。
April 22, 2015
桜の美しさ見て感動して思ったことをどうフィルターを通してこの桜が見られなかった人に伝えようか。そうこの頃考える。開発から取り残された有る山奥の村の村はずれに一本の大きなしだれ桜が咲いていた。想像してみよう。誰がこの桜を植えたのだろうか。樹齢からしてかなり年月が建っている。100年は優に超えているだろう。この村の誰かが願いを込めてたった1本の桜の木を村人みなが見える丘の上に植えた。わたしを忘れないで。そして、その誰かの想い人がその人が去った後の桜の木を大事に大事に育てたとする。愛する人を遠くに想いながら。日照りの時は川から水を汲んでやり、風の強い時は使え棒をして、大切に大切に桜を守る。人々はいつしかその人を桜守りと呼ぶようになり、桜守りは人がいないそよ風の吹く日には遠き去りにし人を偲んで守り人の歌を歌う。長い年月がたち、桜守りは土に帰り、その想い人だった人も遠くの地で儚くなった。桜の事を思い出しながら。桜を守る人のことを思い出しながら。今は誰も知らない。桜守りの事も、その歌も。だけど、桜だけはひっそりとその谷間の村に咲いている。風の吹く日は、桜守りの歌を囁きながら。IMG_4430 posted by (C)灰色ウサギ霧に曇る雨の日、妻籠から馬籠まで歩くというドイツ人のトムを山の家に行くついでに回り道して送って行った。その帰り、新しい桜を求めてふと伊那谷の名も知らぬ谷あいの村に迷い込んだ。花桃が美しいまるで花に埋もれたような村だった。花桃が咲き乱れるまさしく桃源郷。そこで1本の大きな桜の木を見つけたのである。この頃、桜の写真を撮るとき、桜の懐には入らず、一歩引いてその木の根元や周りの風景まで入るような写真を撮ることにしている。そうすればきっとその木が他の桜と違ったストーリーを持って植えられただろうことが伝わるかと思って。こんな村の中で・・・。伊那谷2 posted by (C)灰色ウサギ伊那谷 posted by (C)灰色ウサギ
April 18, 2015
トムがドイツからやって来た。私はまだ会ってない。 トムは私が十何年も前にホームステイに受け入れたインゴの息子だ。そして、長女がウイーンに1ヶ月語学研修に行った時のホームステイ先。長女がドイツ留学中もポツダムに移った彼の家に遊びに行っているから家族同士の付き合いをしている。 小学生だったトムが20歳になってやって来た。長女のマンションは都心で便利だが、部屋数が少ないので、部屋数が多いが、忙しい次女のマンションに長女が泊まり込んでホームステイ受け入れる。 仕事半休して東京駅で彼と会った長女からのlineでの報告が面白い。 仕事場で長女は知らない人の携帯から電話を受け取った。「もしもし⚪️⚪️さんですか、変わります」そしてトムに変わった。自分の携帯電話が通じなかったので道行く見知らぬ日本人の携帯を借りたらしい。 第一印象、日本人は親切だ!と思っただろう。相手も思ったらだろう。ドイツ人はユニークだ! 無事再会。 「大きい!」インゴも190cmは超えていたからね。 私が会った子供の頃は普通サイズだった。 リュックひとつの彼に「大きい荷物は?」と聞いたら「ロストバッゲッジ」だって。 荷物は明日着く。ユニクロで着替えのTシャツ一枚買ったそうだ。 さてさて、娘達の仕事をしながらのホームステイ受け入れ、お手並み拝見。 お花見 posted by (C)灰色ウサギ そうそう、父親のインゴと母親のカーチャ、妹のハンナもインゴの沖縄での学会に合わせて、トムと入れ違いにやってくる。そちらは私がホストだ。
April 8, 2015
この頃の中山道の旅、ついでにお城見物もしようという欲張りな旅になりつつある。その上春である。いっそのこといつもでは見られない遠くの桜とお城のコラボを見る良いチャンスとばかり、桜の咲くであろう時期にホテルの予約を設定した。しかし、それは見事に外れたのである。関東で桜が満開になりつつある頃、岐阜市から琵琶湖に向かう地域は桜前線は1週間も遅いのだった。道理で簡単にホテルが予約できた訳だ。今回の旅は2泊3日。加納宿(岐阜市)から関ヶ原を抜けて、あわよくば滋賀県琵琶湖の彦根あたりまで行かれればと思って出発したのである。1日目、前回終わった加納宿から歩き始めた。前回過ぎた木曽川、長良川、次にやってくる根尾川、揖斐川と大きな川がいくつも有る地帯なので、標高は低く、それら大河に流れ込む小さな川が無数にあって、大垣市に入ると水都という表示の通り、池や小川、泉がきれいな地域だった。どんなに小さい小川でも両側に桜の木がぎっしり植えられ、桜の園を形成しているのだった。悲しいかな 桜はほとんど2分か3分咲き。「満開だったらもっときれいだったのにね」と何回言ったことだろう。中山道根尾川 posted by (C)灰色ウサギ中山道揖斐川近く posted by (C)灰色ウサギその辺りの中山道は水都を歩くだけ有って、起伏のほとんどない平らな道なので小雨が降ってはいたが歩き易かった。揖斐川を越えて2時間ほど歩くと東赤坂の小さな小さな無人駅に着いた。今日はここで終了。実はその樽見鉄道を50分ほど北に行くと日本3大桜の根津の薄墨桜に行かれるのである。もちろん計画立てる時は旅の途中に立ち寄るはずだったが、インターネットぎりぎりまで検索しても結局、蕾状態から変わらないのだった。仕方がないので最後の望みを託して赤坂宿(大垣)に到着してホテルにチェックインしてから、ライトアップしている大垣城を見学に行ったのである。大垣城にはソメイヨシノの桜祭りはまだであったが、城の前には美しいしだれ桜が3本ほど咲いていて、緑色にライトアップしたお城を飾っていた。IMG_4144 posted by (C)灰色ウサギその日の中山道、歩いた距離はだいたい18Km。いつものようにお城から帰ったら安宿の割に、広くてセミダブルのベットがゆったり置いてある部屋で、バタンキュウと桜の夢も見ず爆睡したのであった。
April 6, 2015
中華街で食事をするような時は菜香新館で食べることが多い。 予約が無いと物凄く待たされるか断られることが多いが、料理の味も品が良くて、騒がしくなくて綺麗なところが気にいっている。 この日は、肩肘の張らない送別会を主催した。総勢6人和やかで楽しかった。夫が会社を辞めてから、夫の会社での生活を少しずつ知るようになった不思議なこの頃。 ちょっと奮発したこの日のコースは、前菜を撮り忘れたけれど、品数が少ない分、フカヒレや北京ダックなど食材が良くて美味しかった。 菜香 posted by (C)灰色ウサギ 一気に溜まったポイントで次回は飲茶でも食べようかな。 日本のチャイナタウン大好き。
March 27, 2015
長沢苺大福 posted by (C)灰色ウサギ なんでしょう? 大きさはコンビニのおにぎりよりちょこっとだけ小さい。 この店のある地域はいちごの観光農園がある地域。いちごの産地ではないので、市場に出回る程沢山は作れない。その分大きな美味しいいちごは地元のお菓子屋さんのおいしいおいしい苺大福の中身になる。 image posted by (C)灰色ウサギ 羽二重餅のように柔らかい皮に白餡と小豆の餡が両側から巨大苺大福を包む。一個400円。 ホッホー、春がいちごを運んで来た。
March 20, 2015
カテゴリはやっぱり「食べる」だろうな。 食べる話だもの。 しかしながら、ウサギ、ルーズなのでほとんどテーマ分けしないうちにwebに揚げてしまうのだ。 気が付いた時は後の祭り。 クリスティンとタカコさんと横浜ロイヤルパークホテルの久しぶりのバイキング。 70階のシリウス。 窓際の席を予約したので、ベイブリッジや遠く東京を見ながら食事した。 横浜は晴れていたけれど、黒い雲が新宿の方からお台場の方に移動しているのが見えた。きっとあの下は雨。(実は霙だったようだが)。 所々に空から天使の階段のような光が降りてきて、海の一点が光り、東京湾を行き交う船のひとつだけが当たった日の光でダイヤモンドのように輝いていた。 さっきまでお台場に有った黒い雲は一箇所だけに陰を引きずりながら千葉の方に移動していく。 会話は、日焼けと顔に出来るシミの事に成った。その時、私の手にはぶどう入りのスライスパン、「me too」と言いながら、シミという英語が出なかった私は、パンの中のぶどうを隠すようにバターナイフでバターを厚く塗り、「こんな風に化粧で誤魔化すの」と言った。 だから今日は、「シミ」のタイトルで「食べる」のカテゴリ。 シリウス posted by (C)灰色ウサギ
March 11, 2015
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昨日も書いたが、ウサギは出不精なのである。誘われなければ多分穴の中でくすぶっている。 だけど、我が家に人が来るのは大歓迎。この頃は専属コックがほとんどすべて、メインディッシュからデザートまで準備してくれるので、尚更気軽に人を呼んじゃう。 これはリンゴのシュトロイゼル。 先週末、ウイーンが大好き過ぎて昨年12月は一月に2回もウイーンに行っちゃった女性のお客さんが来た。 ウサギはテーブルセッティングだけ。位置間違えちゃったし、ウイーン設定のつもりが、ブータンのキラのテーブルセンターからみんなちぐはぐ。 夫が焼いたリンツアートルテだけウイーンぽい? 昨日は小さなお客様2人とママ。以前のボランティア仲間の若いお母さんだ。ほいと渡され、ほいと久しぶりに赤ちゃん抱っこして、2歳児になんの抵抗も持たれず「ばあば」と呼ばれた。 まあいいか。
March 6, 2015
ブロ友のhanacoromoさんに誘って貰ってマンダリンオリエンタルのアフタヌーンティーに行って来た。 「人を誘うのに臆病」だとおっしゃる彼女よりもっと「人を誘うのに臆病で億劫な」私は、彼女に全部お膳立てして貰って美味しいところだけ参加して来た。 たくさんの人で畏まった食事は苦手だけれど、同じような物の感じ方を持った人との気の置けないお喋りは大好き。 窓際の席からは東京駅にするすると出入りする色とりどりの電車が見下ろせ、解体途中の三井物産ビルやビルの谷間に覗く東京駅舎 、空へと伸びて行く建設中の新しいビルが目に入る。 hanacoromo さんに教えられ顔をガラス窓につけるようにして覗くと、真下には日本銀行の「円」が。 そして、キレイなキレイなトイレに入って手を洗いながらふと顔を上げれば、真正面にはスカイツリー。
March 5, 2015
久しぶりでビッキーに会った。タリーズで。 彼女はアメリカ育ちのアメリカ人で英語ネイティブだけど、100パーセント日本人の血が流れている。 日本語がとても上手だけれど、大学生の時、留学したICUで初めて習った日本語なので、日本人の様には話せない。日本語が上手な外国人の話す日本語だ。 だけど、私の英語よりずっと上手だから、私たちはタリーズでの2時間、コーヒーを飲みながらずっと日本語で話した。 楽しいひと時だった。 ところで、私が話の途中で「リピーター」と言う言葉を使ったところ、通じない。彼女が日本語をわからないのではない。英語にリピーターという言葉がないのだ。厳密には有るらしいが、日本人が使う「何回も再訪する人」という意味では使わないらしい。 またまた和製英語だ。 韓国語を習っていると、日本語とはまた違った韓流英語に出会うことがある。そんな時、一体どちらがより英語に近い発音かななんて思うのである。そして、英語造語はどっちが多いのだろうとも思うのだった。 今年もまた15人のお雛様は押入れの中。 飾らない雛に謝りあられ食べ なんてね。
March 3, 2015
出かけようと車庫の車の前で夫が言った。 「なんか忘れてない?何しに行くんだったっけ?」 私「たこ焼きご馳走になりに行くのよね。」 遡ること2週間前、 妹と彼女の家に行く約束をして、「何か食べたいものある?」との妹の問いに「以前食べたたこ焼きがまた食べたい」と夫が答えた。 そして、今日はたこ焼きを一緒に作って食べる約束の日。 でも、そもそもなんで妹の家に行くことになったのか? あ、そうだ。先日妹に頼まれた鎌倉の文化財の保護の署名を渡すために妹の家に行くんだった。 慌てて家の中に駆け戻って署名用紙を持って来た。これで堂々とたこ焼きご馳走になれる、かな? 2週間経ったら署名の件を忘れて、たこ焼きだけ覚えていた。 手作りバック posted by (C)灰色ウサギ 去年の夏、妹と鎌倉で買った布、やっとバックに作ったので見せるため持参した。
February 19, 2015
今夜のテレビで東京の高級ホテルのコンシェルジュをーテーマにした番組を見るともなく見ていたら面白いので引き込まれてしまった。 フロント係はいてもコンシェルジュのいるような高級ホテルに泊まらないからウサギはあまりお世話になったことがない。 アメリカで電車の乗り方聞いて、夜のレストランの予約の電話入れてもらったぐらいしか経験ない。 番組はコンシェルジュのあり様みたいになっていたがそれを見ていた私、逆にコンシェルジュを活用する方法を学んだのである。 カメラはコンシェルジュを追う。私はそのコンシェルジュにいろいろ尋ねに来る外国人客のコンシェルジュの活用法に目が吸いつけられてしまった。 そうだよね。道を聞くだけならフロント係で事足りる。 だけどコンシェルジュにいろいろ聞いて、ものすごく高いレストラン勧められて断れなくなっちゃったらどうしようとか、予約を入れてくれちゃったらどうしようとか考えるから、道ぐらいしか相談できないんだよね。 ラーメン屋を堂々と聞いていたシンガポール人、通り一遍じゃない観光場所を教えて貰おうとしていた外国人客。観劇のチケット取って貰っていたアジア人らしい人。チケットも日本なら手数料かからないだろう。 地元人じゃなければ知らない情報、ガイドブックにない情報をコンシェルジュを利用することで手に入れる。 うん、いいね。 いつそんなチャンスが巡ってくるか分からないのに、次への参考にしているウサギであった。 ウサギ posted by (C)灰色ウサギ あ、そうそう。コンシェルジュって意外と各種割引券持っているのよね。これはお得。
February 16, 2015
「バレンタインに何プレゼントするの?」とクリスティンに聞かれた。 「その辺のスーパーでチョコ買って夫にプレゼント」 と言ったら、驚かれた。 「一緒に作ってあげるからチョコケーキ作りなさいよ」 ということで、クリスティンのきれいな広いキッチンでチョコレートケーキを作った。 私のは大きなハートのケーキ、余った材料で彼女は小さなハートケーキをたくさん。 早く焼き上がった小さなハートケーキの盛り上がったところをカットしたら椎茸が出来た。 image posted by (C)灰色ウサギ 「Japanese mushroom みたい」 「じゃあ、食べてみる?」彼女が粉砂糖を振りかけてくれた椎茸を食べる。お腹が空いた昼前のひと時、 「もう一個食べてもいい?」 2人で椎茸を食べながら、ケラケラ笑いながら大きなハートケーキが焼けるのを待った。 焼けたケーキにチョコレートをコーティングして、100円店で買ったボックスに入れるのに、ああだこうだと格闘する。クリスティンが小さいケーキをくっつけたから箱に入らない。 ヴァケーション中のアンソニー•ホプキンズ似のクールな彼女の夫のグレッグが静かにあっちの部屋でプラモデルを作っていた。 ラブとグレートデンのミックスのライトニングが子供のようにピローを引き寄せてその上に頭を乗せ昼寝をしていた image posted by (C)灰色ウサギ
February 14, 2015
昔一緒にボランティアをして、今は銀行で働いている若い男性がFacebook で新しいフランス料理のお店の事を書いていた。 へえ、近いね。 その辺りをなんども探すがわからない。以外と控えめな店の表示。やっと探し当てたら休業日。 そうやって焦らされればますます行きたくなる。 先日やっと、フランス語を習っている私のインドネシア語の先生(うん複雑な表現だ)を誘ってそのフランス料理レストランに行ってきた。 ドアを押しながらしまったと気が付いた。インドネシア語の先生はイスラム教徒。豚肉ダメだった。 昼のセットメニュー。 おそる恐る聞く。 「今日のスープにベーコン入っています?」 当然入っているよね。 「前菜のキッシュには?」 お店のオーナーさん、即対応してくれて、スープをオニオンスープに、前菜は砂肝のサラダに特別に作り変えてくれた。 その後の選べるメインの鶏肉、デザートは大丈夫。 初めての客にこの対応は感激したので、今度は夫と二人で夜行って来た。 地元のお野菜たっぷりの前菜を選んでゆっくり過ごす年金生活者のたまの贅沢。 image posted by (C)灰色ウサギ
February 12, 2015
先日、フグ料理をご馳走になりながら、男たちの話を聞いていた。程よくお酒が回って同じ事を何遍も言っていたが、多分それは人生で余程心に残ったからこうも繰り返すのだろうと思って聞いていた。 彼が言うには、会社が困っていた時に、損を覚悟で骨折ってもらったという事が忘れられないし、ずっとその恩を返したいという思いを持っているというのだ。そして、今、会社は儲かっているけど、その儲けを丸儲けにしないで、ほとんどを社会に還元したいというのだ。彼は言う、きっとそれは、いつかは戻ってくるだろう。戻らなくてもそれでいいという。 彼はふぐの皮はコラーゲンが一杯と私にてっちりの鍋から皮ばかり取ってくれながら「恩が」「恩が」という。 なるほど、昔受けた恩は彼をそうやって育てたのか。心で受けた恩を感じられる人は素敵だなと赤い顔で繰り返す彼を、お酒の飲めない私はウーロン茶をチビチビ飲みながら聞いていた。 「コラーゲン要らないから、ふぐの皮ばかりじゃなくて身も欲しいなあ」と思いながら聞いていた。 image posted by (C)灰色ウサギ 本棚から、これまた程よく色あせた本が出て来たので読み返している。いつ買ったのだろう。 幸運は転がって来るものではなく、お膳立てをして掴み取るものだというお話し。
February 7, 2015
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この頃あまり食べられなくなって来た。 病気じゃない。歳のせい。 肉も大きなパックで買っても余るから買って来たらすぐに小分けにして、ラップで包みそれをジプロックに入れて冷凍庫で保存して置く。だけど、鶏肉はいいが豚肉と牛肉は冷凍すると区別がつかなくなる時がある。 次女の家に行ったら、やっぱり小分けにして冷凍してあった。ジプロックの袋に「ブタさん」「ウシさん」と書いてあった。 なるほどなるほど。 それ以来、この頃毎日台所に立つ夫は、肉を小分けにして袋に入れる時、袋に「トリさん」「ブタさん」「ウシさん」と真似して書くようになった。それだけでなく、豚の絵、牛の絵も描くのだが、それは全く笑っちゃう絵なのだ。 Lineでその絵を娘達におすそ分けしたら、娘達からリクエストが来た。 「羊さんは?」 では、娘達に話題提供のためにラム肉も買って来なければ。 どんな絵を描くか楽しみである。 絵の方はとてもアップできる代物ではないのでご想像にお任せする。 Ima posted by (C)灰色ウサギ
February 6, 2015
写真を貼り付けるって難しい 楽天ブログだから楽天写真館を使うのが一番楽だ。 PCからアップする時の話。 iPhone から写真付きでアップするってどうしてこんなに難しんだろう。 IMG_3780 posted by (C)灰色ウサギ
February 5, 2015
日々機械は進歩する。パソコンもモバイル端末も進化する。 機械に弱いからと言ってもそういうところから無縁ではいられなくなっって来ている現実。 銀行だってカード、インターネットでやればお安くなりますよと言う。 そのくせ、暗証番号の使い回しはおやめくださいと。 だから、その都度暗証番号を変えていく。 はあ、もうどれがどれのかわからない。 頭は機械の発展に反比例して日々退化しているのだから。 そして暗証番号入力に失敗。 敵は新しい暗証番号の設定を求めてくる。勝ち誇ったように。 敗者は言われるがままに新しいパスワードを設定し、画面を一度閉じて仕舞えば、「はて、新しいのはどっちだっけ」とまた考えるのだ。 セキュリティのためとか言って、暗証番号の長さの要求はだんだん長くなる。 電話番号はダメ、住所はダメ、誕生日はダメ。 うーん。 ままよと、適当に並べた数字を使う。忘れないように紙に書いてしまっておいた。 さて、何ヶ月か後、暗証番号が違うっていってきたよ。 例のメモメモ、あれれ、メモどこにしまったっけ。 そして今日も電話で言われる。 「紙のお知らせが行かないeメンバーになりますとお得ですよ。」 すかさず答える。 「お得でなくて良いので、紙の案内でお知らせください。」
February 4, 2015
あるところで夫と二人で招待されて、ふぐ料理をご馳走になった。湯引き付き出し、ふぐ白子、ふぐ刺し、鍋、雑炊、わたしは飲まなかったけど、ひれ酒。 大阪の人はふぐのお鍋はてっちりと言うんだって。 ふぐは食べたことはあるけれど、こんなにたっぷりフルコースは初めてだ。 私は初対面の人達と楽しく喋って、笑って、持ちきれないぐらい何本ものワインやお菓子をお土産にたくさんもらい、タクシーで送ってもらった。 我が家は都会から離れた田舎。キラキラ光る人工の夜の光が美しい湾岸をうっとり眺めながら、高速道路をあっという間に送り届けられた。 今宵、つかの間のシンデレラの気分。ちょっとくたびれた王子と一緒の滑るように走る高級車の中。 写真掲載実験中につき、大き過ぎたらすみません
旅行準備の中でホテル選びは一番楽しい仕事だ。費用と立地忘れてはならないのが提供される朝ごはん。その上、私はついついそのホテルだけが持つプラスアルファを求めたくなってしまう。私にとってはグレードや星がプラスアルファではない。人との繋がりが有るホテルがいい。 だから私のホテル選びはかなりの精力が必要になるのだ。 基本日本であれ外国であれ、今までは殆どパック旅行はしないので、自分でホテルを探す。 自分で探したホテルが当たった時の快感はたまらない。 海外で一番最初に探したのはイギリスだっただろうか。次女がロンドン留学していた時なので、もう10年以上前になる。 その頃booking.comだとかエクスペディアなんていう、ホテルを探して値段を表示してくれるサイトなんてなかった。いや、有ったかもしれないが、知らなかった。 一緒に行った長女を含めて3人でハイキングする前日の宿に、ひょっとしたらフランスが見えるんじゃないかと思うような、イギリスの南の果ての保養地の街に小さなB&Bを見つけた。理由はホテルのオーナーが飼っていた犬が死んで、センチメンタルな追悼の詩をそのホームページに載せていたからなんて訳のわからないものだった。 泊まりたい由のemailを送って返事をもらったのである。この返事が来るというのが良いのだ。 少女染みた花柄の壁紙の貼ってある古いが広くてゆったりした4つもベットがある部屋。「上の階の8号室でシャワーを使っていたらボイラーが共有なので、お湯は出ません」なんて書いてあって娘がすかさず、「じゃあ、これからシャワーをする?って聞きに行くのかい」何て突っ込むぐらいだったが、犬の話や日本の漫画の話をオーナーとしたことも忘れられない。 病みつきになった。 そんな何かがあるようなホテル探しがである。 イギリスのライの町のシンボルで街の紹介パンフレットにお化けは出ましたか、なんて書いてある600年の歴史ある、マーメイドインでも、コツウォルズの伝統的プリンパーティをしたプチホテルでも、ブルージュの運河沿いの伝統ホテルオランジュでも、何かが有った。 今、ツイッターでフォローしている、「一度は泊まって見たい世界のホテル」というのに出て来るのである。 そういう時は自分の選択にほくそ笑むのである。 さて、今、ずっとずっと先の旅行のホテル探しをしている。二匹目三匹目のドジョウを狙って郊外の小さな街では小さな部屋数の少ないプチホテルを探す。華やかな町では星の並んだちょっと豪華なホテルを探す。その街でやるテーマに合わせてホテルを選ぶ。夫に拒否されるのでB&Bはもう選べないけれど、それに今はもうbooking.comのお世話になっていいるけれど。 そして今日、ある小さな街のプチホテルからemailが届いた。それが届くとしめたもの。そこから始まるやり取りで、絆を作って旅を面白くするのである。
February 2, 2015
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とうりゃんせ とうりゃんせここはどこのほそみちじゃてんじんさまのほそみちじゃぴよ、ぴよ、ぴよ・・・「先週確かここ来たばかりだなあ」とか思いながら、中華街の朝陽門からホテルニューグランドの横を、先週と違って少し寂しいくらいのヨコハマの港に向かって歩いていた。一緒に歩くのは夫とフランスから来たジルダ、そして日本人の彼女のチカちゃん。ニューグランドの前から山下公園に渡る横断歩道で突然ジルダが歌い出したのだ。とうりゃんせ、とうりゃんせ・・・・・・ぴよ、ぴよ・・・彼の知っている日本語はあいさつ程度とずっとフランスのブレストで習っている柔道の「まて」とか「うちまた」とかいう技の日本語だけだ。だから、「とうりゃんせ」の部分もハミングで歌った。「10年前はこの音楽だった。でも今は違う曲だね。それにピヨピヨばかり」フランス、イギリス間のクルーズ船で働いたり、ニュージーランドで働いたりして、すっかり上達した英語でそう言った。なるほど気が付かなかったなあ。どうやら、歩行者信号の横断音楽はいつの間にか童謡から、鳥の鳴き声に変化したらしい。こうやって何気なく静かに気が付かないように、徐々に世の中を変えられて行くと恐ろしいものだ。外国人に教えられた。10年前に再来日して2か月我が家にステイして、市役所に毎日インターシップに通っていた頃、市役所の前の信号は「とうりゃんせ」だったんだそうだ。14歳の時に最初に2週間我が家にステイした時は柔道の交流練習に近くの市立中学の柔道場で参加して、日本人の小さな女の子に簡単に投げ飛ばされていたよね。ずっと背が高くなってたくましい大人の男になった背中を追いながら、信号を小走りに渡った。ぴよぴよぴよ、急げ急げ信号変わるぞ、ぴよぴよ。
January 20, 2015
我が家はホームステイ受け入れを長くやっているので、前にも書いたが70人以上のゲストや当時の子供たちがわたし達の事をお父さん、お母さんと呼んでくれたりする。その他に、2人の娘たちが海外で作った友人たちの何人かは娘たちに会いに何度も来日している。半年ぐらいの留学のための来日だったり、仕事だったり。彼らが来日している時、娘たちが留学して日本にいなかったり、大学の卒業論文に必死になっていたりしている時等は娘の代わりに私たちが我が家に招いたり、観光に連れて行ったりした。そうすると、彼らは私たちをお父さん、お母さんと呼び、娘たちの友達でありながら、我が家の家族にもなっていったのだった。先週そういった家族ぐるみで付き合っている台湾人のツインズのエミリーとイボンヌが娘に会いにやって来た。短い旅行とて私たちは会えないものと思っていたら、突然私のLineにメッセージで、「お父さんとお母さんにも会いたい」と言ってきた。その日は先約が有ったけれど何とかなろうと、みなとみらいで2人に会った。エミリーは上海で働いている。イボンヌはイギリスで働いている。別れ別れに働いている。さて、待ち合わせの場所で遠くから手を振る2人を見つけた。facebookで髪をちりちりくるくるヘアーにしてるエミリーの写真を見ていたから、髪の毛がちりちりくるくるの方に「久しぶりエミリー」と言ったら、「私はイボンヌ」と。ならばとエミリーの方を見たら、そっちもちりちりくるくるヘアー。ロンドンで3年暮らした娘に言わせると、イギリスで美容院には行く気に成れないから、時々帰国した時に自国の美容院に行くんだということになるらしい。でもなんでこのツインズいまだに同じタイミングで同じ髪の毛にするんだろう。ロンドンで2人に会った時も私は間違えた。その日に神戸に行くという2人と日本料理の大志満でお昼を食べた。つかの間の再会。そして、2人と別れた後、中華街の友人のお茶屋さんで油を売っていたら、32人の中学生を引率して修学旅行している韓国のジョンさん夫婦から電話がかかってきた。「今箱根から山下公園に着きました。生徒はガイドさんが見ているから、お茶でも飲みましょう」だって。それがその日の先約。ホテルニューグランドのカフェでお茶を飲んだのであった。40分のお茶タイムの後、ニューグランドに横付けされた観光バスに乗って夜景を見るべく東京に帰っていた。あしたはフランスから来日して彼女と観光して歩いているフランス人のジルダに合う。彼は2度我が家にホームステイしている。ホームステイしたことがもうとんでもなく昔の事のような気がする。娘たちは娘たちで、今、ハワイで英語を教えながら勉強もしている長女の友人に会いに行っている。地球がどんどん小さくなっていく感じ。
January 18, 2015