夏の終わりに
「ヨハンナはハンブルグに無事着いたって」と次女が言った。三重での研修を終えて帰ったようだ。10月からは大学。私のPC で大学入学のための申請書を何通も作成して提出していたけれど、希望の大学から良い返事をもらったかな。心理学の勉強がんばれ!ステベンからもE-メールが届いた。ーーーーーーーーーーー土曜日にフランスえかえります。でも日本にノこりたい、ふらんすえかえりたくない。日本にいるうちにとてもうれしいです。○○たちにあえてとてもよかたです。まだ日本にきて○○たちにあいたい。いろいろおせわになりました。とてもたのしくて、うれしくてありがとございます。 またね。 ステヴぇンーーーーーーーーーーーーーー独学で学んだ日本語で書いてきた。フランス、ブルターニュで犬の「月」とウサギの「ジヴィエ」との生活がんばってね!いつかブレストに行くからね。そして一番うれしかったE-mail。---------------- ○○-san,Gobusatashite gomen nasai.hanabi wa kireidatta, minna ureshikatta. kono meru wa osokunatta kedo, nagano wa dou deshita ka?saikin no yaru koto ga jikan wo kakatta.kazoku wa mou hikkoushishimashita.aibi-chan no gakkou no soba ni sundeimasu.kuugatsu no tsuitachi ni watashi wa firipin ni kaerimasu.kotoshi chansu ga arimashita kara, daigaku tsutsukemasu.sannen desu ga, mata aimasu. ano toki itsuka kuru, watashi mo matteimasu.ルミーーーーーーーーーーーーーーーーフリピンで育ったルミちゃん、1年半前お母さんと妹と一緒に日本のお父さんの下にやって来た。大学編入を目指したが年齢で、拒否された。しょうがないからフリピンで高校教育はとっくに終了しているのにグレードを落として高校編入を目指したが日本語の壁と日本国籍がそれを阻む。それではとアルバイトすれば会社の送り迎えのバスが交通事故を起こし鞭打ちに。申し込んだ大学の日本語学校にはフィリピンの大学の先生が書類を間違えて期日が間に合わず入れなかった。数々の障害にもめげず他の日本語学校に通ってたくましく勉強したが、それは自分の夢とは違った。これからは家族と離れて一人育った地フィリピンの大学に戻り、2年生からやり直す。メールにもそれは現れている。彼女は書いて来た「firipin ni kaereimasu」。「iku」では無く、「kaeru」のである。日本国籍を持ちながら。外国人として。フィリピンはそれを暖かく受け入れてくれたのだろう。以前彼女の高校での成績票を見せてもらったことがある。すばらしい成績だった。大丈夫だよ。友達も居る。生きる力もある。お金は無くても日本で応援している家族もいる。何よりもまた温かく迎えてくれた社会がある。日本語を教えることぐらいしか出来くて、何も力になれなくてごめんね。3年たったら成長した姿を見せに会いに来てね。その時は「nihon ni karimasu」と言うメールをください。日本はあなたの国だから。みんなの夏がもうすぐ終わる。