大日本地名辞典
地名のお話の続き....地名といえば吉田東伍.....と思い出すのは新潟の人だけのような気がします...安田にある記念館には何度も行きました。...あらためて検索しました。====== 以下転記 ======皆さんは『大日本地名辞書』をご存知ですか?中央図書館の西書庫に排架されている表紙が少しくたびれた茶色の辞書です。初版は1899年3月から1907年にかけて出版されましたが、本学が所蔵しているのは第二版(1907年~09年 全5巻)と増補版(1969年~71年 全8巻)です。残念ながら、参考図書のため貸出はできませんが、3階カウンターで所定の手続きをすれば館内で閲覧ができます。 さて、それでは『大日本地名辞書』のページをめくってみることにしましょう。第二版は「汎論・索引」、「上巻(上方・中国・西国)」、「中巻(北国・東国・阪東)」、「下巻(阪東・奥羽)」、「続編(北海道・琉球・台湾)」の五巻から成り、最初に序文があります。その執筆者をみると大隈重信・大槻文彦・坪内雄蔵(逍遙)・嘉納治五郎等々27名もの当時の政・官・学界を代表する人々の名前が並んでいます。このことから地名辞書の刊行がいかに偉大な事業であったかが想像できます。ここで「大日本地名辞書ヲ評ス」と題した地理学者志賀重崇の序文の一部を紹介します。「堂々タル大版、1頁ニ二千三百字、全部一千二百万字、其ノ重量ニ於テ本邦空前ノ出版物…」。地名辞書で何よりも驚くのはその膨大な原稿量です。今も早稲田大学図書館に保存されている美濃紙の原稿用紙は、毛筆の細字でびっしり埋め尽くされています。しかもごくわずかな例外を除いて吉田東伍たった一人の筆跡で、原稿用紙数万枚にも及びます。東伍はこの辞書を32歳から44歳にわたる13年間で書き上げていますが、この間、家族といると気が散るという理由でほぼ一人暮しを通し、歯を磨く時間を惜み、朝も昼もパン、夜は雑炊で済ませてひたすら執筆を続けていたということです。 このようにして地名辞書を完成させた吉田東伍とはどのような人物だったのでしょう。1864年に越後国に生まれ9歳で小学校に入学、13歳で県営新潟学校を退校します。東伍の学歴はここまでで、以後図書館を学校として学ぶこととなります。20歳で結婚、7人の子供を儲けます。生活のため読売新聞社や東京専門学校などに席をおきますが、あくまで地名辞書の執筆が中心であり、完成時(1909年)にはその功で久米邦武、森鴎外らとともに最高点で文学博士の学位を授けられ、晩年は早稲田大学の教授となりました。