湿気が少ないせいか、昼間はぽかぽか陽気だったビガプールは、夜が深まるにつれて思いのほか冷え込んできた。
演奏が終わった後、住民たちはあらかじめ設置されていた木の箱の中にいくばくかのお金を投げ入れて三々五々帰っていき、残ったのはロマジカルバンドのメンバーと私たちのみになった。
風が強く吹いて炎が大きく体をうねらせ、パチパチと光の粉をはぜる。赤々と照らされた広場の中で、ロマジカルバンドの人たちが大きな鍋に小さく刻んだ野菜と、とびきり辛い腸詰の入ったスープを作って私たちにも振舞ってくれた。火を噴きそうなほど熱くて辛いスープは一口で冷え切った体を温めてくれた。
「あの・・・ずっと旅をされているんですか?」
ウォルが先ほどまで風変わりな弦楽器を演奏していた大柄な男の人に尋ねた。
「そうです。私たちロマは、どの国家にも属しておらず、比較的自由に行き来することができますから。まあ、自分のことを見ている世間の目を気にしなかったらですがね。」
少し目が小さくて、笑顔が柔らかい。大きな体の優しげな草食動物を思わせる。
「世間の目?」
「昔のように殺されたり、財産を奪われたりするようなことはもうありませんが、街の人たちにとってロマは物乞いかこそ泥のようなものなのですよ。演奏は楽しく聞いてくれていても、普段私たちを見る目は冷たいのです。」
ふぅっと笑った。全てを諦めてしまうことで心の平穏を得た、そんな淋しい笑顔だった。
「そんな・・・!」
「私たちのように音楽や踊りを売って旅を続けるロマジカルバンドの他に、各町に定住しているロマもいますが状況は同じです。私たちは国に縛られない代わりに、どの国の人間になることもできないのです。」
「・・・。」
今までどの街でもそんな冷たい目で見られることはなかった。
「冒険家は力を持っているのでそのような目にあわずに済むのです。ビーストテイマーでいらっしゃるということは、貴女はビスル出身ですね?」
「はい。」
「ビスルは特別です。険しい山を越えた場所にあるロマの聖地。私たちの心の支えです。」
炎を見つめる目が一瞬遠くなった。
「あの・・・もしつらいのなら、ビスルに来ませんか?あそこはロマしかいませんし、皆優しくしてくれると思います。」
「・・・遠い昔、特に信仰心が篤い一部のロマの民が大変な苦労してビスルに村を拓き、そこを聖地としました。そのときに神から精霊や動物たちと心を通わせる特別な力を与えられたのです。しかし私たちの祖先はその時その場にいなかった。苦労や危険を嫌って同行しなかったのです。だからその子孫である私たちもあそこには行く資格はありません。」
「そんな昔のこと・・・!」
「同じ民族でも私たちはロマであってロマではありません。真のロマはビスルの民のみ。ビスルのロマは生まれながらに祝福を受け、神に愛されている命なのです。だから昔も今も私たちからテイマーやサマナーが生まれることはありません。これから先もそれは変わることがないでしょう。」
まるで罰をうけているみたいだ。彼らにはなんの責任もないというのに、その罪は未来永劫子供に受け継がれていく。
彼の隣で楽器を片付け始めていた女性が独り言のように呟いた。「私たちには帰るところなんてどこにもないの。」
流浪の民。彼らは夢の中の故郷にしか帰ることは出来ないのだろうか・・・。
夜も更けてきたので、お礼をいってその場を辞した。
広場から黄金色の小麦畑亭へ戻ろうと通りを歩いていると、宿のドアを開けてモルビリさんが出てきた。声をかけようとしたが、様子がおかしい。彼はキョロキョロとあたりを慎重に見回した後、昼間庭木の手入れをしていた宿のおじさんが『丹精こめた花があるから立ち入らないように』と言っていた植え込みの下を探り始めた。
「あ!」
次の瞬間、モルビリさんの巨体がするりと消えてしまったのだ。
あわてて駆け寄って調べると、植え込みの影になって地面に表面がざらざらした金属板を見つけた。どうやら何かの蓋かドアのようだ。恐る恐る開けてみると、人ひとり通れるくらいの穴がぽっかり口を開けた。
「なんでこんなところに入っていったんだろう?」
しばらくその場で待ってみたが、戻ってくる気配がない。
「とりあえずもう休まないか?寝ないと体がもたないよ。」
「・・・そうだね。」
モルビリさんのことは心配だったが、今日は一日歩き回ったり踊ったりしてクタクタだったので、ベットに潜り込むとすぐ泥のように眠ってしまった。
結局朝になってもモルビリさんは帰ってこなかった。
市場で買ってきたサンドイッチで簡単な朝食を済ませて一息ついた後、これからどうすればいいか話し合った。
「ねえ、あの穴を探索してみない?」
「え?やめとけよ。どこにつながってるか分からないんだぜ?」
ウォルは難色を示した。
「だからこそだよ。モルビリさんが心配じゃないの?」
「それはそうだけど・・・。面倒になって帰ったのかもしれないぜ?急に他の仕事が入ったとかさ。」
「ここまで付き合ってくれた人が何の挨拶もなしに消えるなんて変だよ。きっと何かあったんだと思う。だとしたら早く助けに行かなきゃ!」
しばらく黙り込んだ後、ウォルは表情を変えずに言った。
「・・・プッチニアは強くなったんだな。昔は何かって言うとビービー泣いてるだけだったのにさ。」
「む、昔のことは言わないでよ。自分だって手の付けられない乱暴者だったじゃないの。昔ならこういうことには真っ先に首突っ込んで、飛び込んでいってたでしょ?」
ふいにウォルが俯いてしまった。少し震えているように見える。
「俺?・・・俺はダメだよ。今も昔も。ずっとダメなままだ。」
どういう意味だろう?
「ごめんな、プッチニア。ごめん・・・。」
「えと、別に謝るようなことじゃ・・・。」
「いや・・・本当に・・・ごめん。」
くるりと背を向けてけてウォルが部屋から出て行ってしまった。
「なんだ?あれ?」
椅子の背もたれに首を乗せ、足をぶらぶらさせながら不信げに比翼が言った。
「よく分からないけど、あの穴の探索には行かないってことじゃないの?」
連理が言った。
「うん・・・。仕方ないよ、ウォルはダンジョンとか慣れてないんだから。私たちだけで行こっか。」
宿を出て周囲を見回したが誰もいない。宿のおじさんに見つからないように、こっそりと昨夜モルビリさんが消えた植え込みの辺りへ行ってみた。
昨日は暗くて気付かなかったが、金属板には細密なドラゴンの装飾がなされており、その色は周囲の光を吸い込むように深く暗かった。開けると穴の奥までは光が届かず、まるでポッカリと得体の知れない闇が口を開けているようだった。
こんなの別に怖くなんかない。初めてのダンジョンに足を踏み入れるとき、そこにどんなモンスターがいても、連理と比翼が守ってくれていたから。
最初に連理、次に比翼が穴の中に飛び込み安全を確認する。石造りの壁面には梯子がついているので無理なく降りられそうだ。穴の縁に腰をかけて足を入れようとしたとき、宿からウォルが出てくるのが見えた。
「プッチニア!」
「あ、ウォル。ちょっとだけ調べてくる。ここで待ってて。」
「俺も行くよ。」
「ううん、無理しなくていいよ。」
「いや・・・一緒に行かせてくれ。」
何か決意したような顔だった。
まず私が先に降り、ウォルがそれに続いた。
慎重に梯子に足をかけながら降りていくと、底のほうでぼんやりとした光が見える。降り立つと意外に広い空間が広がっていた。縦横それぞれ10mほどの石造り部屋はところどころに設置された小さなかがり火で十分な明かりが取れている。
「宿の下にこんな場所があったなんて。」
「物置なんじゃねぇの?ほら、あちこちに荷物が散乱してるし。」
先に降りてあたりを調べていた比翼が言った。
物置か。怪しげなドラゴンの扉からもっと恐ろしげな場所を想像していたので、ちょっと拍子抜けした。
「あそこにドアがあるから、そっちも見てみよう。」
連理が先導してドアをくぐると、長い廊下につながっていた。そこには明かりがなかったので部屋のかがり火を一つ拝借し、その薄明かりを頼りに前に進んだ。両側にいくつか部屋があったが、先ほどの部屋と同様に物置か食料保存庫として使われているらしく、小麦やジャガイモの袋、農作業用具が置いてあるだけだった。
暗いのでよく距離感がつかめないが50mほど進んだだろうか、突き当たりに壁が見えてきた。
「行き止まりだぜ?」
「待って、何か仕掛けがあるのかも。」
壁を慎重に調べると一つだけ手触りの違う石がある。それを押すとカチッと音がして、足元に転移装置が現れた。
「行ってみよう。」
転移装置が送り出した先は、同じような廊下だった。
まっすぐ先へ進むとドアに突き当たり、中には先ほどの倉庫と同じような小さな部屋と地上へ出るための梯子があった。
「さっきの所と同じじゃない。戻ってきちゃったってこと?」
「いや・・・置いてあるものが違う。よく似ているけれど別の場所だよ。」
最初に連理と比翼、続いて私、ウォルが梯子を上ると、最初に目に飛び込んできたのは茅葺き屋根の民家とすでに刈入れを済ませた小麦畑だった。
「あれ?ここって・・・ビガプールの南・・・?」
空気がひんやりと湿り気を帯びている。さっきまで暑いくらいだったのに。・・・なんだか違和感を感じる。
「違うよプッチニア。ここは・・・。」
「バリアートだ!」
⇒つづき
ますます深まる謎。以下次号!
<ごめんなさい>
スウェブ19Fで出会った彼。
ごめんなさい、好みじゃないワ(´・ω・`)