砂漠の夜は昼の暑さが嘘のように肌寒く、冬は氷点下まで下がる事もある。春とはいえ軽装では厳しいため、比翼はアリアンの露天で安いマントを購入してリンケンへと走り始めた。
リンケンは砂漠の真ん中にぽつりとある小さな村だ。昔は古都とアリアンを結ぶ西プラトン街道の宿場町として栄えたらしいが、テレポーターが瞬時に人を運ぶようになった今、交通の便の悪いこの村を訪れるものは少ない。
マイトにお礼を言って席を辞したのが21時。アリアンの夜はまだまだこれからといったところだったが、それから1時間後に到着したリンケンではすっかり人通りが途絶え、建物から漏れる灯りも少なくなっていた。
村の北にある砂漠の炎と銘打たれた旅館も人の出入りがまるでなく、ひっそりとした雰囲気で中に入るのが少しためらわれた。しかし扉をくぐるとそこはこぢんまりとした酒場兼食堂となっていて、村人が憩う温かく賑やかな空間になっていた。
カウンターにいる主人に部屋があるかどうか聞くと、年中空き室だらけだと笑って
「もう夜も遅いから半額でいいよ。食事は済ませたのかい?」
「はい。」
「そうか、じゃあゆっくり休んでくれ。」
そう言ってキーを手渡してくれた。
「あの、ここにアサスという人が逗留していると聞いて来たんですが・・・。」
「ああ、あの元冒険者とかいう人ね。いるよ、まだ。105号室だ。」
気のいい主人の渋い顔を見ると、アサスはあまり評判のよろしくない人物らしい。そういえば前会ったときもなんだかんだ言って10万Gもふんだくられたっけ。
もう寝ているかもしれないと思いつつ、ドアをノックしてみると中からくぐもった声で返事があった。
「こんばんは。覚えてないかもしれませんが、前にお世話になったことがある者です。近くまで来たので一言ご挨拶をと思って・・・。」
そう言って比翼は先ほど1Fの酒場で買い求めた上等の葡萄酒を二瓶差し出した。すると胡散臭げに闖入者を見ていたアサスはぱっと表情を変え、比翼をとびきりの笑顔で部屋に招きいれた。
「いまどき珍しいねぇ。こういう感謝の気持ちを忘れちゃいかんよ、うん。」
久しぶりの酒なのか、アサスはグラス1杯空けただけで顔を赤く染めている。
「そうですね。最近の冒険者はモンスターを倒してお金を儲けることばかり考えています。アサスさんのように古代遺跡の深いところまで探索し、様々な知識を身につけた方のことをもっと見習うべきだと思います。」
「いいこと言うねぇ!ささ、お前さんも飲みなよ。」
マイトの受け売りで適当にお世辞を言うとアサスはますます上機嫌になり、葡萄酒を比翼にも勧めた。
『今日はとことん飲む日だな。まあいい、このオッサンを酔わせて上手く聞きださなきゃ。』
主人が冒険者の先輩としてアサスを尊敬しており、挨拶のために比翼を使わしたという設定。ひたすら自分を持ち上げる比翼に気を良くし、聞いてもいないうちから現役時代の功績を呂律の回らない舌でべらべらと話し始めた。
「アサスさんには仲間がいたんですよね。どんな方たちだったんですか?」
「なんだ、俺の名前は知っててあいつらの名前は知らなかったのか。アサス、コリン、コジといえば昔は知らない冒険者などいなかったよ。俺たちはそれぞれ役割分担し、3人で誰もまだ入ったことのないような場所の探索も行ったんだ。ソルティケーブを知ってるだろう?今は冒険者と名のつく者は猫も杓子も出入りするような場所になっちまったが、そもそも俺たちが最初に発見したんだぜ。」
「それはすごいですね。とても人気の狩場ですよ。」
「ああ。金儲けが出来るそうだな。俺たちが冒険者をしていたときは金なんかとは縁がなかった。ただ秘密を解き明かしたい、それだけだったからな。・・・おかげで引退してから俺たちは零落し、離れ離れになってしまった。あいつら、今どうしてるのかなぁ。」
アサスの狡猾そうな表情がふっと優しげなものに変わった。
「アサスさんは地図に関する知識を売って生活されていますよね。彼らもその専門知識を活かした仕事をされているのでは?」
「そうだな。コリンは人当たりのよさを利用して他の冒険者から情報収集なんかもやっていたし、地図に関する知識もあった。そうやって今も上手くやっているのかもしれない。しかしコジは偏屈というか、ちょっと変わっていて難しい奴だったからな。言語と薬学の知識はあるがちゃんとやっていけてるんだろうか。」
「・・・!コジという方が遺跡の文字を読んでたんですか?」
「ん?ああ、奴は運動神経は悪いがインテリでね。コリンが情報収集、俺が現地で仕掛けや罠を解いて地図を作り、後ろからついて来たコジが奥のレリーフなどに書かれた字を読んでその先の道を探す。本当にバランスが取れたチームだった・・・。ああ、なんか会いたくなっちまったなぁ。」
アサスは赤い目を擦り、鼻を啜った。
「お二人の行方は分からないのですか?」
「コリンは前に古都から手紙をもらったことがある。駆け出しの冒険者の手助けが出来るような仕事がしたいとか言ってたよ。コジとはアリアンで別れたっきりだ。」
「なにか思い当たる場所とかありませんか?」
「そうだな・・・。俺たちがソルティーケーブを見つけられたのは、コジがその辺りに詳しかったからなんだ。奴はあまり昔話をしなかったが、たぶんその辺りが故郷なんだろうと思う。特に何も目的がなければ人は生まれた場所に戻るんじゃないかな。俺がこの村に戻ってきたみたいに。」
「ここはアサスさんの故郷なんですか?」
「ああ。もう実家はもうとっくになくなってるんだけどね。俺が旅に出ている間にオヤジもオフクロも死んじまったから。それでもさ・・・戻ってきたいと思うもんなんだよ、故郷って・・・。」
そう言ってアサスはふらふらとベッドへ倒れこみ、大きな鼾をかいて眠り始めた。
自分のグラスに残っていた葡萄酒を飲み干し、比翼はそっと部屋を出た。
105号室の鍵を開け、柔らかい布団へ潜り込んだ。アルコールで火照った手足にひんやりとしたシーツが絡んで気持ちがいい。
体は疲れているはずなのに、睡魔に身を任せられないのは何故だろう。比翼はふと自分が一人で眠る事に慣れていないことに気付いた。
『連理、どうしてるかな・・・?』
たった一日離れただけなのに、一緒にいたのがもうずいぶんと昔のことのような気がする。
同じ場所で拾われて一緒に育った双子のような、けれど何もかもが正反対だった、俺の相棒。
理論と行動。俺たちも本当にバランスがとれたチームだったよな?
あの時は何もかも放棄して蹲っているように見えたけど、お前はそんな奴じゃない。今頃俺なんかには想像もつかないようなことを考え出して、全然違う道から真実へと迫っているはず。
俺は俺に出来ることをやる。
お前もそうだと信じてる。
⇒つづき