ゆらめくランプの明かりの中、コジは時々咳をしながらも一心にページを繰っている。タイトルである程度察しがつくため全て読む必要は無いが、それでも部屋にある本は大量だ。まずは怪しそうな本をより分け、その山の中から一冊、また一冊と潰して行く。気の遠くなるような作業をコジは黙々とこなしていた。顔色の悪さは変わらないがその瞳にはキラキラとした光が宿り、最初見た彼とは別人のように生気があふれている。
「少し休憩しないか?ぶっ続けじゃ疲れるだろ。」
比翼が気遣う言葉にも首を振り、
「いえ、急がなければ・・・。」
と言葉少なに、また本へと目を戻すのだった。
隠し部屋にある本のうち約3分の2がホムンクルス作成に関するプロトコールと実験データ。その他が死後の世界に関する書物や憑依についての文献、そして医術や薬草学についての書物。ビーストテイマーらしく、モンスターに関する本も数冊あった。
ホムンクルス関係とモンスター図鑑に関してはまず除外できるとして本棚に戻し、一番怪しい薬学、医学、死、憑依の順に積み上げた。
最初のうちは頻繁にひいていた辞書だが、同じ分野のものを続けて読むと慣れてその必要がなくなるらしい。少しでも手伝おうと空いた辞書を開いて解読に挑戦してみたものの、文法が違いすぎるせいかさっぱり分からない。一つの単語に様々な意味があるので文脈が読めないとどうにもならないのだ。すぐに断念し、コジの邪魔にならない場所で寝っころがって薄暗い天井を見上げた。
角のところに小さい蜘蛛の巣が張り巡らされ、巣の主はその細い銀糸のベッドの上で微動だにせず息を潜めていた。いや、もうすでに死んでいるのかもしれない。
『こんなところに巣を作ったって、獲物なんか来やしないのに・・・ばかだなぁ。』
フィロウィが出入りしたときに一緒に部屋に紛れ込んだまま出られなくなったのだろう。運命といえばそれまでだが、それでも最後まで諦めずこの場所で生きる努力をした蜘蛛に比翼は少し親しみを感じた。
『俺もあんな感じなのかもしれないな。出口のない場所に閉じ込められたことも知らず、ただ必死に動いてるだけ。俺はこの暗闇から抜け出て、プッチニアを助ける事が出来るだろうか?』
隠し部屋に戻ってきたとき連理の姿はなかった。ブリッジヘッドで見たのがあいつだったのか、それとも全く別の場所にいるのか。主人を救うためにあいつならこんなとき何をするだろう。
比翼はすくっと起き上がり、隠し部屋を出て地上へ戻った。外はもうすっかり日が沈み、流れ者のいなくなった裏町はしんと静まり返っている。隣の空き家には鍵がかかっていなかったのでその家の竈を使い、買ってきた食糧で簡単な料理を作って戻った。
「いい匂いがしますね。」
部屋へ戻ると、本に没頭していたコジが目を上げた。
「ちょっとは何か食べないと・・・。ほら。」
大きなマグカップには貝柱、ベーコン、玉ねぎ、ジャガイモ、マッシュルームの入った具沢山の濃厚なミルクスープ。乳製品特有の優しい香りが一気に黴くさい地下に満ちた。
「ありがとうございます。」
大事そうにカップを受け取り、コジは嬉しそうに目を細めて温かいスープをゆっくりと喉に流し込んだ。比翼は小さいナイフで硬い胚芽パンを薄く削ぎ切り、そこに白黴のチーズをはさんでコジに手渡した。
「こんなまともな食事にありつくのは久しぶりです。」
硬いものを食べるのはきついのか、コジはスープにパンを浸しながらもそもそと口に入れる。草食動物のように顎全体を動かして咀嚼し、やっとのことで飲み込んだ。日持ちを考えてハードタイプのパンを選んだが、病人のためにもっと柔らかいものにすべきだったと比翼は後悔した。
「たいした料理じゃないけど、ま、食えよ。」
初めての料理だったがスープはなかなか上手くいったらしい。野菜とベーコン、貝柱のダシがよく効いていて、塩加減も我ながら上出来だ。
『プッチニアが元気になったら作ってやろう。』
温かいものを食べて人心地がついたおかげで、先ほどまでの暗鬱とした想いが晴れて少し楽観的になれたようだ。
「ゴホッゴホッ!」
突然コジがむせて、スープを床にぶちまけた。
「ちょ、大丈夫かよ!」
慌てて背中を擦ろうとすると、コジは弱々しく笑ってそれを制した。
「すいません・・・ゴホッ、肺を病んでおりましてね・・・実はもう、あまり長くはないのですよ。」
「それじゃ、お前・・・こんな・・・。」
残り少ない命ならもっと好きなことをすべきじゃないのか、そう言おうとすると
「最後に誰かの、このような私に優しくしてくれた方の・・・ゴホッ、お役に立つことが出来たらこれ以上の幸せはございません。」
「そう、か。」
しばらくの間沈黙が流れた。何を話していいのか・・・。人間よりずっと長い寿命をもつエルフの自分が、彼を元気づけるのも慰めるのもどこか空々しい気がしてしまう。
「別に憐れんでもらう必要はありませんよ。私は自分の一生に満足しています。」
「短い命でも・・・か?」
「ええ。この部屋の主は違ったようですけどね。」
自らの細胞で人造人間ホムンクルスを作り、それに憑依することで永遠の命を得ようとしたフィロウィ。あいつも不治の病で、それでも生きたくてそんなことをしたんだ。闇の魔術に手を染めたフィロウィ、穏やかな表情で死を受け入れているコジ。状況は同じはずなのに、この差はなんなのだろうか。
「もし、自分の命が延ばせるとしたらコジ、お前ならどうする?」
「この病気が普通の薬で治るというのなら、それをゴホッ・・・飲むでしょうね。与えられた命を全うするため出来る限りの努力をするのは生き物の本能であり、つとめでもありますから。けれど自分が生きられる代わりに他人を犠牲にするということであれば、潔く諦めますよ。」
「どうしてそんな風に思える?足掻く人間はいくらでもいるぜ?」
フィロウィ、そして若さを保つためだけにたくさんの人間を犠牲にしてきたブルボン公爵夫人とセラチア。死と老いを克服する方法が分かれば、それが禁じられた術だとしても、その誘惑に勝てる人間がどれだけいるだろう。
「足掻く人を悪いとは言いませんよ。その気持ちはもちろん分からないじゃない。けれどそれは自然に反したことなんです。
人生は平等じゃない。何不自由なく死ぬ人もいれば、何のために生まれてきたのかと思うほどつらい一生を送る人もいる。たくさんの子孫に囲まれて笑って逝ける者もいれば、道端の隅で独り野良犬のように死ぬ者もいる。・・・ゴホゴホッ、その一方で生きとし生けるもの全てに平等に訪れるのが死。現世での幸せを昼に例えるなら光を受けて輝くものと影で泣くものがいるが、死は誰しもを優しく包む夜のようなものなのです。
ずっと昼のままの一日なんておかしいでしょう?だから日が短かろうが長かろうが、夜になれば眠りに身を委ねる。新しい一日のためにね。」
コジは柔らかな笑顔を浮かべ、こう続けた。
「私にはゴホッ・・・娘が一人いるんです。といっても私は冒険に出かけてばかりで家庭を全く顧みなかったから、ほとんど、ゴホッ、一緒に遊んだこともないんですがね。そんな私を見限り、ある日妻は娘を連れて家を出ました。遺跡から帰ったときには置手紙が一つだけ。それから会っていませんから、3歳のときの娘の姿しか私の記憶にはありません。どこでどうしているのかも分かりません。けれど私の娘がこの世にいる、そう思うだけで幸せなんですよ。子供でも著作物でもなんでもいい、この世になにか爪あとのようなものを残せたら自分が生まれたことは無駄じゃなかった、人はそんな風に思えるんじゃないでしょうか。
もちろん形あるものばかりではありません。思い出だって・・・ゴホッ、そうです。アサスやコジという仲間と世界中を飛び回り、誰も足を踏み入れた事のない場所へ入り、古代文明の秘密を解き明かした。学者崩れで偏屈な性格だった私にとって、あの二人は数少ない本物の友人でした。気の置けない仲間と過ごした時間、それは今も胸の中で宝石のようにキラキラと光っています。そんな宝物を抱いて神に召される私は本当に幸せ者なんですよ。」
今日コジは何度幸せという言葉を口にしただろう。落ちぶれて着るもの一つ満足に行き届かず、不治の病で余命幾ばくもない。普通なら不幸なはずだ。それなのに彼の表情は静穏で満ち足りていた。
「さあ、美味しい食事をいただいたのですから頑張らないと。」
そう言うと、再びコジは本の山へと戻っていった。
俺にもいつか二度と目を覚まさない眠りに落ちる日が来る。そのときに何を思うのだろう。コジのように幸せだったと笑みを浮かべながら目を閉じられるだろうか。
⇒つづき