『プッチニア・・・プッチニア・・・!』
『・・・ん?誰?ママ?』
『プッチニア!』
『やめて、まだ眠いの。あと少しだけ眠らせて・・・。』
ゆっくりと目を開けると私は白く生ぬるい靄の中にいた。
ここは・・・雲の上?
『プッチニア。』
誰だろう?
聞いたことがないけれど、何故だか懐かしい、優しくて澄んだ声。
『プッチニア。』
『何?人が気持よく寝ているのに、無理やり起こすなんて・・・。貴方は誰なの?』
『ロリンよ。』
『ロリン・・・?ロリンってあなた、いつの間に喋れるようになったの?』
ロリン。私が最初にテイムしたゴーレム。
発声出来る構造を持たないので、言葉は理解できても話したりすることは出来なかったはずだ。
『ここは貴女の夢の中。だからこうやってお話できるのよ。』
『夢?これ・・・夢なの?』
体がふわふわして、気持いい。こんな夢なら醒めたくないってくらいに。
夢ならなんでもできるはず、と背中に翼が生えるように念じてみた。
すると3メートルほどの大きな白い羽根がふわりと現れやわらかく私を包み、ぴるぴると翼を震わせると白く輝く羽毛が粉雪のように舞い上がった。
『素敵、素敵!こんなにいい夢は初めてよ!』
『そうね。でもそろそろ目を覚まさなくちゃいけないわ。』
『何故?いいじゃないの、もう少しだけ。そう、この翼でいろんな場所へ飛んでいって・・・それからじゃだめ?』
『飛べないわ。その翼は飾り物。貴女は人間なのだから。』
『もう、そんな意地悪言わないでよ。ちょっとだけ・・・ちょっとだけ飛んだらすぐに戻るから!』
そう言って左右の羽根を一所懸命動かした。予想に反して体はぴくりとも浮かず、空しく羽毛が舞い落ちるだけだった。
『どうして・・・こんなに大きな羽根があるのに、どうして飛べないの?』
『貴女が人間だからよ、プッチニア。ちゃんと自分のことをありのままに受け入れないといけないわ。』
『ありのままって何?本当のことを知ったって、いいことなんかなんにもないじゃない!私はホムンクルス。神に愛されなかった偽物の命、作り物、・・・創造主が乗り移るためのただの器なの。そういうことを全部忘れて夢を見るのがどうして悪いの?真実だけがそんなに大事なことなの?』
『私も作り物よ、プッチニア。作った主人の命令に忠実に従うだけの、ただ操り人形ゴーレム。』
ゴーレムとは古くは古代文明の伝承に登場した、胎児の意味を持つ泥人形。金属や石でつくられることもある人造物で、魔法で命を授けた主人のためだけに動く召使のようなもの。無機物と血肉という違いはあるものの、ホムンクルスとそういう意味では全く同じなのかもしれない。
『貴女と初めて出会ったあの日。どうして死にかけた状態であの場所にいたのか、全然覚えていないの。どこで誰に作られたのかも。
最初の記憶は私を覗き込む貴女の心配そうな目。どうして傷だらけの私より悲しそうで寂しそうなんだろうって思ったわ。』
『・・・あの時私は自分の能力のなさと両親と血が繋がっていないことに絶望し、家出したばかりだった。だから自分とあなたを重ねて見たのかもしれないわ。傷ついた私たちは似た者同士だったの。』
『テイムしてからも貴女はただの一度も私を召使として扱わなかった。共に闘い、傷ついて倒れた私のために泣き、命令以外のいろんな言葉を教えるためにたくさんの本を与えてくれた。本当に、本当に嬉しかった。
貴女は今自分を偽物だって言ったけど、私のことを偽物の生き物だと思う?心を通わせられたと思っていたのは私の勘違いだった?』
『いいえ・・・いいえ!そんなことない!どんな生まれ方をしたとしても、ロリン、あなたは私の友達よ。』
『よかったわ。じゃあ、もう戻ってこれるわね?』
『戻るってどこへ?』
『貴女が必要とされている場所。人間だろうが偽物だろうが関係ないでしょう。ほら、貴女を呼ぶ声が聞こえない?』
白く霞んだ明るい闇の向こうから、誰かの声が聞こえたような気がした。
『ゆっくり声のする方へ歩きなさい、プッチニア。貴女は神にも両親にも愛された命。そして縁あって仲間になった私たちからも愛されているの。それを決して忘れないで。』
体のあちこちが鈍い痛みに包まれている。
瞼なんてまるで石のように重い。
意識が行きつ戻りつしながらそれでも必死で鉛のような瞼を持ち上げると、目の前には真っ赤に泣き腫らした顔のママが見えた。そしてママの傍らで支えているパパ。反対側にはロリンと村長クーンの姿も・・・。
「プッチニア!」
ママが涙でべちゃべちゃの頬を擦り付けて来る。ここは・・・私の部屋?
「よかったのぉ・・・ハンス、レティ。」
喉を詰まらせた声で老人は涙を隠すように目を伏せた。
「どうやら上手くいったみたいだな。」
「うん。」
部屋の外で二人のエルフが顔を突き合わせ、笑みをこぼした。
連理が考えたプッチニアが目を覚まさない原因。
体の一部の組織を失ったことによる、脳内バランスの崩れ。生まれたときから一緒だったものを無くした喪失感。それにより「偽物の命である自分がこの世に存在するべきではない。」という自責の念が必要以上に大きく膨らんでしまい、心が蘇生を拒んだのではないかということ。
もしそうならただ『お前はホムンクルスじゃなかったんだ』と伝えても、素直に聞き入れられない可能性が高い。
しかしホムンクルスと同じ人造生命であるロリンなら、プッチニアの心を上手く解かせるかもしれない。
他人の飼育記録を使ってペットを呼び出すことは禁じられているが、村長クーンに事情を話して特例として認めてもらうことが出来た。クーンに召還されたロリンは枕元でプッチニアに語りかけ(発声出来ないため心で)、夢へ逃避していたプッチニアを現実に引き戻したのだった。
目を覚ましたプッチニアはまず自分の体に上手く力が入らないことに驚いた。
なにしろ一ヶ月以上仮死になって動かない状態でいたため、あらゆる場所の筋肉が落ちてしまっていたのだ。まずは固く強張った手足を少しずつ動かすことから始め、2週間後には部屋の中を歩けるまでになった。そしてひと月もするとロリンの介助の手を借りながら、外にも出られるようになった。
暖かい日には村の外れまで行き、仲良く牧草を食む山羊の親子の背を撫でたり、風にそよぐ草の波をぼんやり見たりしながら過ごした。
丘の上、柔らかい草原の上に寝そべると青臭い香りが鼻腔をくすぐり、鋭く突き出た草の先がむき出しの腕や足にちくちく刺さった。
薄い雲がくっついたり千切れたりしながら、緩やかに空の絨毯の上を軽やかに滑って行く。あんな風にふわふわと世界中を飛び回れたらと思ったのは遠い昔。今はこうやって地面の上に四肢を伸ばして眠るのがこんなに気持ちいいと感じている。
連理が話してくれたように、私は今まで二人で一人だったのだろう。もう一人の私はフィロウィの分身。天才的なビーストテイマーで優秀な冒険者だった彼の組織。元は快活で行動的、世界中の遺跡やダンジョンを巡り、フランデル大陸の様々な街を歩いたフィロウィ。
でも本当の私はこうやって静かな故郷の村のはずれでぼんやりと空を眺めているのが好きな、ごく普通の女の子だったんだ。フィロウィの一部が体から無くなった今、このままずっとここで暮らすのも悪くないと思い始めていた。
⇒つづき