「15年前、フィロウィは赤子を抱いたロマの女を伴ってここを訪れた。長の無沙汰を詫び、『この赤ん坊の体を使い、再び自分は蘇る。制御しやすい歳まで体を成長させた後に乗り移るから、今しばらく待っていてくれ。また昔のように語り合おう。』と・・・、火傷で引き攣った顔にぞっとするような笑みを浮かべてそう言ったのだ。
わしは驚愕し、奴に余計な知恵を授けてしまったことを心底後悔した。
誰よりも輝く生を謳歌していた男。しかし奴は自らの命ために、おぞましい研究に手を染めるようになってしまった。そうさせたのは紛れもなくこのわしなのじゃ・・・。」
「ホムンクルスの技術について教えたのはあなたではなかったのですね。」
「無論じゃ。闇の世界にもそれなりの秩序というものがある。アンデッドのように闇に生を受けたものが神に背いた罪の生き物であるというのは人間たちの勝手な思い込み。光の神の創造物であるか、闇の神の創造物であるか、普通の生き物とモンスターにはただそれだけの違いしかない。よって生物を創造するということはどちらの神にも背く大罪なのじゃ。
それゆえわしは自分のしでかしたことに恐れおののいた。自然の摂理に反してまで奴を生かそうとしたのは完全な失敗だったのだ。
わしは隙を見て赤ん坊を抱いた女に記憶石を渡した。ロマ村ビスルの近くへ飛べる石をな。」
どうやってロマの女がプッチニアを連れてバリアートの地下室から逃げ延びることが出来たのか、これで合点がいった。かろうじて追手を振りきったところで彼女は記憶石を使ったのだ。
「人間にアンデッドとして生きる道を教えてしまったわしの行為を愚かだと思うか?エルフのこわっぱよ。
わしは永い・・・永い・・・本当に嫌になるほど永い時を生きてきた。この不死の体を一部の人間どもは羨ましがるかもしれん。しかし共に生き、共に喜びを分かち合う者がいないというのに、その生に一体なんの意味があろう?
そんな永久に続く時の牢獄の中で、たった一人だけこういってくれた者がおる。
『貴方は誰もが恐れる闇の魔物。さすれど考えること、感じることは人間と同じ。永遠を独りで彷徨うのはさぞ辛く、寂しいことでしょう。』と。
その者を失いたくない、傍で同じ時を、と望んでしまったのだ・・・。
そんな考えは間違っていたと思う。しかしそうしないではいられなかったのだ。
許せ・・・。」
血のように赤い瞳から流れる涙は無色透明で、雫は薄い藤色の結晶となって床に落ち、かすかに乾いた音を立てた。
「お主の片割れは今どうしておる?」
「プッチニアを仮死状態から醒ます薬を作るため、今奔走しているところです。」
「そうか。しかしその薬を使っても上手く蘇生出来るどうか・・・。」
「何故ですか?ホムンクルスとは人造人間。人間とほとんど変わりない体の構造を持っているのでしょう?仮死薬が効くならそれを醒ます薬も効くはずでは・・・。」
「エルフのこわっぱ。お主は一つ誤解をしておる。
プッチニアは奴の禁断の術によって作られたホムンクルスではない。人間だ。」
人間?
プッチニアが人間?
どういうことだ。
「人間って・・・え・・・でもフィロウィは・・・。」
「『人間の細胞に数種類のハーブを入れて密閉し、発酵に適した温度に40日間保つ。人間の生き血を入れ、さらに約40週間、毎日この生命体に生き血を与えながら馬の胎内と同じ温度で培養すると人造人間ホムンクルスが出来る。』・・・じゃったな?
フィロウィはプッチニアを『馬の胎内の変わりに人間の胎内を使って成功した、ただ一例』だと言っていただろう。
しかし本当は成功したのではない。ロマの女は元々妊娠していたのじゃ。」
「・・・!」
確かに地下道で襲ってきたホムンクルスとプッチニアは似ても似つかなかった。
だが・・・。
「プッチニアはフィロウィに逆らえませんでした。何か見えないものに操られているかのように。フィロウィが言うには自分が『父であり創造主でもある、つまりは神のような存在。無意識にお前はそれを感じ取っているのだ。』と・・・。それがホムンクルスの証拠だと言っていました。」
「ああ、正確には全く普通の人間というわけではない。
エルフのこわっぱ。お主は胎児内胎児というものを知っておるか?」
「胎児内、胎児?」
「左様。本来双子として産まれるはずだった一方が何らかの原因でもう片方に吸収され、嚢胞内に寄生的状態で一部の臓器が残ることがある。それを胎児内胎児という。
妊娠初期の女の胎内にホムンクルスを封じたことによって、おそらくそれと同じことが起こってしまった。プッチニアが思うように動けなくなったのは体に残っている一部の組織に影響されたのじゃろう。
わしのように長く生きた魔物ならそのくらいのことは一目瞭然なのじゃが、フィロウィは全く気づかずに自分の研究の成功だと信じて疑わなかった。」
「それならどうして・・・どうしてロマの女はプッチニアがホムンクルスではないということをフィロウィに伝えなかったのですか?」
「そんなことをしたら、プッチニアはすぐさま殺されてしまっていたじゃろう。しかしホムンクルスだと思わせておけば、乗り移れるよう成長させるまでの時間がある。我が子を守るため女は必死で出生を偽り、脱出の機会を図っておったのじゃ。」
ビスルの村はずれで傷だらけになりながらも赤ん坊をしっかりと抱き抱え、ハンス夫婦に子供を託したロマの女。身を挺してでも守ろうとしたのは自分の子供だからだったのか・・・。
「では結局、フィロウィはプッチニアをよりしろとすることは不可能だったのですね?」
「一部分に自分の細胞が入ってはいるが、本体は自分とは全く違う人間じゃからな。他の人間と同様、拒否反応が出て無理じゃったろうと思うよ。」
フィロウィがやろうとしたことは結局無駄だったのか・・・。
しかし方法自体、理論的には可能なものだった。もしあのまま研究を進めていたとしたら、いつかアンデットとして永遠の命を得た新種のモンスターになっていたのかもしれない。
「その時以来フィロウィが姿を現すことはなかったのじゃが、まさかこのように何年も経ってから成長した赤子を見つけ出すとは思いもよらなんだ。こんなことならどうにかして奴を探し出し、きちんと誤解を解いておくべきじゃった・・・。」
「彼女を仮死状態から戻すことが難しいと思われたのは何故ですか?」
「お前たちが助けに戻った時、プッチニアは聖なる炎に包まれておったのじゃったな。あの炎は普通の火と違い、光と相対するものにだけ反応する。おそらく体の一部に残っていたホムンクルスの細胞のみを焼き、プッチニアは攻撃しなかったはず。しかし生まれる前からずっと共にあった組織が消えたのじゃ。見た目は無傷でも、全く影響がないというわけにはいかんじゃろうの。
フィロウィの命令に逆らうことが出来ないことから考えると、組織のあった場所は脳。そのように大事な臓器に別の生き物が融合をしていたとしたら、問題は簡単には解決できんかもしれん。」
「そんな・・・。」
「もちろん上手く切り離せた可能性もある。まずは蘇生薬、話はそれからじゃ。」
「ってことは何か?体の一部に入り込んでいたホムンクルスの組織が死んだから・・・それが大事な部分だったから・・・だからプッチニアは生き返らないってのか?」
比翼は絶望の黒い渦に飲み込まれ、ついに膝をついた。プッチニアを救う道は全て断たれてしまったのだ。
この小さな家の中で力なく横たわる主人はまだたった15歳の少女だ。
あんな罠にかからなければ・・・自分がもっとちゃんと守れていたなら・・・あのときに戻れたなら・・・。
何度もその時に戻っては、取り得ただろう最善の道を探して歯噛みをする。
いい道を見つけたところで今更どうしようもない。そう分かっていても記憶の再生と涙は止まらなかった。
「比翼、比翼。立って、クーンのところに行こう。」
相棒が肩を叩いて言った。
「なんでだよ・・・ホムンクルスの誤解を解いて、村長があいつを殺さなかったとしても一緒だ。プッチニアはもう目を覚まさない。」
「まだ全てが終わったわけじゃない!前だけ見て突っ走ってきたお前がそんなんでどうする!」
「だって・・・お前・・・。」
「聞いて。僕はプッチニアが目を覚まさない可能性がもう一つあると思う。もし僕の考えが正しければ、彼女の意識をこの世に連れ戻せるのは・・・。」
「え?」
「とにかく行くよ!膝を抱えてうずくまっていても何も始まらない。」
それはあのときのお前だろ。
比翼は心の中でツッコミを入れながら立ち上がり、相棒の背中を追いかけて村長の家へ走りだした。
⇒つづき