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甘い天使の肉球日記。

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2012年12月04日
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カテゴリ:サッカー
昨日はJリーグアウォーズに行って来ました。
ジュビロからは優秀選手賞に選ばれていた前田、駒野、山田が会場に来ていました。
J2の方で服部がもうすぐ40歳になるというのに全試合フル出場という相変わらずのスタミナっぷり話にちょっと懐かしさを感じたり。
功労賞では藤田俊哉と田中誠が揃って表彰されていて…その時に「そういやこの二人の引退試合はどうするんだろうな」なんて思ったりもしました。
そして…ふと夜中に目が覚めてネットを見ていたら中山雅史引退の記事が視界に入ってきて。

中山、ゴン、隊長、様々な呼ばれ方をしておりますが自分は『ゴンちゃん』と呼んでいたので今回はゴンちゃん、で統一したいと思います。
思えば1993年、俗にいうドーハの悲劇。
角度のないところからのシュート、そしてゴール。
しかしロスタイムに追いつかれてベンチで泣き崩れる姿、それが自分がゴンちゃんを見た初めての姿だったと思う。
まだサッカーのルールの何も分かってなかった時代。
ただ話している姿が面白い人だ、という認識でしかなかった。
そして「ゴールってかっこいいな!」という所から現在でいうFWマニアな気質が出来上がった気がします。
そう、全てはこの人から始まった。
フランスW杯最終予選でピッチレポーターだったゴンちゃんが次の試合にはスタメンで出ているという今思うと「凄いな」としか言えない。
出場を決めて、W杯で日本人初ゴール、そして骨折。
「人間、足を骨折しても走れる」「でも骨折したら走ってはいけない」というのをリアルに学んだ出来事でもあった。
その数年後…2007年に西選手が足が折れているのに走っているのをリアルに見た時は「やめてー!誰かとめてー!」と泣きそうになった事をよく覚えている。
…話が反れましたが、その後もサッカーを見るとしても代表戦くらいでJリーグは見てなかった。
おそらくその年にチーム消滅となったフリューゲルス、彼らが署名活動をしている姿を目の当たりにして…なんか気持ち的に消極的な印象を受けたりしてたのかな。
そして日韓W杯、ここが自分の転機となった。
メンバー発表、ゴンちゃんの名前がある、しかも背番号10番。
一気にぐっとサッカーに気持ちが引き寄せられた。
日本の快進撃の中、ゴンちゃんの出場はロシア戦のみ。
しかもプレーを見ているとあまり効果的じゃない印象を受け…もう34歳、そろそろ引退とかそういう時期なのかもしれない、と勝手に思い込む。
なら彼のプレーを最後まで見届けてみたいと考えました。
リーグ中断後、埼玉スタジアムでの浦和レッズ戦。
丁度テレビ埼玉で放送が見れたので試合を見た。
そこには…年齢なんて感じさせないゴンちゃんのプレーがあった。
特に高原との2TOPの迫力。
お互いがお互いを活かすプレー、相方の為に走りこんでスペースを開けたり、身体張ってポストプレーをしたりという関係性。
未だにあの2TOPのインパクトは忘れられない、自分の中では勝手にJリーグ最高の2TOPだって思い込んでいる。
…密かに前田とカレンの2TOPも好きだったんだけれどね…あれはあれでまた面白かった。
ゴンちゃんといえば下手くそ、と言われたりする。
実際に技術がそんなにある選手ではない。
ただそんな選手がJ1リーグ最高157得点という記録を持っているのはボールを持っていない時の動き、というのが大きかった。
がむしゃらさが売りな選手だが、実は頭脳プレーという。
それもまた魅力でもあった。
90分間ひたすらボールを貰うために動き続ける。
良いタイミングでボールが来なくても何度も何度も動き直す。
初めて生観戦したジュビロの試合は忘れもしない。
国立でのマリノス戦、早い時間に高原が2ゴール。
GKのオウンゴールもあった、福西が線審を突き飛ばした、FKの壁になっていた俊哉の手の骨が折れた、奥がウィルに尻を蹴られた。
そんな中…試合を決定付ける三点目がゴンちゃんのゴールだった。
カウンター気味になった展開で名波から大きなボールが高原に出る、高原がそのまま逆サイドにいたゴンちゃんにボールを出してシュート、ゴール。
そんな面白い試合を見せられたらもうファン、というかサポーターになるしかなかった。
ちなみに…この試合で地味に長期離脱していた前田が出場しているんですよね、ゴンちゃんとの交代で入っている。
その頃は前田に対する認識がなかったんだけれど、名波に対して鬼のようなスペースに出すパスを出した事だけは妙に覚えておりました。
その年はまだ2ステージ制で両ステージ優勝という完全優勝を成し遂げたジュビロ。
翌年、開幕戦にゴンちゃんの姿がなかった。
次節以降は出てきたけどしばらくして長期離脱。
高原がドイツに移籍していたのでジュビロの2TOPは前田とグラウになっていた。
ゴンタカ2TOPから家庭内別居2TOPと密かに呼ばれるようになった二人へ。
…のちに前田本人はグラウとの2TOPはやりやすかった、とは言っているんだけれどね…どうも当時はそうは見えなかったんだよなー…
復帰の時期が見えない日々が続き、凄くしんどかったのは覚えている。
1stステージ優勝を逃し、俊哉がオランダへ渡る。
2ndステージ残り二節、の所でゴンちゃんがようやくベンチに入ると知った。
同点の中の選手交代、ゴンちゃんがピッチに入る。
その瞬間…スタジアム全体が歓声で揺れた。
ジュビサポだけじゃない、相手のヴェルディサポーターもゴンちゃんの復帰戦を祝福してくれていた。
直後のセットプレーで逆転、そのままその試合を勝利で終える。
結果的にその年は最終節で負けて優勝を逃した。
けれどその悔しさをぶつけるように天皇杯を勝ち上がって行った。
決勝、元日国立決戦。
ゴンちゃんが途中出場で投入される、一気にスタジアムの空気が変わる。
そして先制点、それが決勝ゴールとなり、ジュビロが初めての天皇杯を制した。
スーパーサブ、彼が代表に選ばれていた時によくそう呼ばれていた。
一気に空気を変えてくれる、と。
ただ自分は当然ながらスタメンであるゴンちゃんを見るのが好きだった。
けれど…本当に『空気を変えられる選手』ってそうはいないんだよなー、と今になったら思う。
あの『何とかしてくれるだろう』感はそうそう出せるものじゃない。
それは一種の計算が立つ選手であり、信頼の証でもあったんだと。
ただそれも厳しくなってきたな、と感じるようになってきた。
ゴンちゃんのファンである自分ですらそう思うようになったのはいつだったか。
身体が張れなくなっていった、走れなくなっていった。
技術がある選手ではなかったから動けなくなったら本当にどうにもならない。
年齢を考えたらおかしい事ではない、けれどそうなっていく選手を見るのは本当に辛かった。
スタメンで出れなくなっていった、途中出場もなくなっていった、そしてベンチに入らなくなっていった。
そうして…2009年、ゴンちゃんはジュビロから戦力外通告を受けた。
それは前田が初めて得点王を取った年。
スピーチでゴンちゃんと高原の存在が大きかったと語った前田。
そこにはひょろとして身体が張れなく、どこに向かって走っているかよくわからない、ヘディングさせたらオットセイか!って言いたくなるようにボールを真上に上げるだけの前田はいなかった。
本当、『よくここまでプレースタイルねじ曲げたな』と言いたくなるくらい、ジュビロのFWの軌跡を受け継いだ前田の姿があった。
最初はゴンちゃんのプレーを見届ける、そう思って見始めたJリーグだったけれど、さすがにここまで来るとジュビロからコンサドーレへ…という気持ちは全く、そのまま自分はジュビロを応援し続けた。
その後ゴンちゃんはコンサドーレ札幌へ移籍、赤いユニを着たゴンちゃんは見慣れない姿だったのでかなり違和感があった。
ただ試合に出る事はなかったようで…両膝とも手術を受けても痛みが抜けないという状況になっていたようだった。
2010年、南アフリカW杯。
スタジオでコメントするゴンちゃんの姿があった。
カメルーンに勝ってスタジオにカメラが戻った瞬間、その場にゴンちゃんが、宮本が、森島がいて…あぁこの人達がいたから今の日本代表があるんだ、って急に泣きそうになった事を覚えている。
受け継がれる思い、受け継がれる魂。
それはチームだけじゃない、日本のサッカー全てに存在する。
今年、J1に昇格した札幌。
やべっちのデジっちでは『GON44』というネタをぶっこんで夜中だというのに爆笑した。
開幕戦で札幌と対戦して前田を完全に封じられた、試合後の記事でゴンちゃんがDFに前田の動きのアドバイスをしたというのがあって「…にゃろう…」と思った。
チャリティーマッチであれだけ用意された絶好の機会でシュートが打てないゴンちゃんに「もうこんなにも動けないのか」と思った。
そして…引退。
年齢を考えたら驚くような事じゃない。
膝の状態を考えたらもっと早い段階で引退を考えても良かったんじゃないか、と考えなくもなかった。
そして…ちょっとだけ「ジュビロで引退をしてくれたら」と思わなくもなかった…けれど、ジュビロだったら絶対『GON44』は出来なかっただろうな、と思わなくはない。
あれはね…大人しいのが多いジュビロの選手は出来ないよ、絶対に…。
先ほどニコ動で名波がゴンちゃんについて語っていた。
「昨日電話がきて『やめるわー』」って。
名波本人は泣きそうになるから「月次ですけれどお疲れ様でした」と言ってすぐ切ったとか。
会見を見ていると「未練はたらたら」と相変わらずな会見。
さて…ここまで自分の中でのゴンちゃんの思い出を語ってみたけれど、果たしてこの人のプレーはどれだけの人に影響を与えたのだろう。
この前カレンのゴールを見た時に「うわ、動き出しが完全にジュビロのFWのプレー」と思ったけれど、そのジュビロのFWとしてのプレーを確立したのはスキラッチに影響を受けたゴンちゃんである事は確か。
本人は引退…ゴンちゃんは引退という言葉を意地でも使いたくないらしいが…しても、そういう技としての伝統は受け継がれていくと思いたい。
自分にサッカーというスポーツに興味を持たせ、Jリーグにはまるきっかけを作ってくれたゴンちゃんはいつまでもヒーローという存在。
ゴンちゃん、お疲れ様。
今後どのような道を歩むかはわからないけれど、頭の良いゴンちゃんだからあまり心配はしておりません。
けれど、本当に無理だけはしないでくださいね…特に膝の状態、それだけが不安でもあります。

そんな感じで本日の日記終わりです。





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最終更新日  2012年12月05日 19時20分57秒
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