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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:こころもよう
毎朝ご飯と身支度を済ませると、12時くらいまで町の中心にあるPiazzetta=小広場に行く。
9月前半までは、一番仲の良いママ友&マニーノの婚約者・フランチェスカと湖が定番だったけど (彼女らは犬 の散歩も兼ねているので小広場には立ち止まらず、湖へ行く) マリアが仕事復帰&フランチェスカが保育園に行くようになり、 外の少し大きめの子供が集まるこの小広場に行くようになった。 とはいえ、彼らも湖に来た時は一緒に遊んだり、道で挨拶もずっとしてるので、 “公園デビュー”ならぬ“広場デビュー”というほどでもなく、すんなり入っていけたし、 皆マニーノより少し大きいけど、頑張って入っていって一緒に遊んでる(つもり)の マニーノが実に微笑ましい 。 やはりほとんどのマンマは働いているので、じいちゃん・ばあちゃん・ベビーシッターが中心だけど、 皆で皆の子供の面倒をみて、いけない事をしたら、他人の子でもちゃんと叱ってくれるので こういう所で小さいときからもまれて社会性を学んでいけてとても良いと思う。 一方、このじいちゃん・ばあちゃん・ベビーシッターさんと私は、 日本でもそうだし、ダンナの友人などでもそうだけど、 リラックスしてしゃべれる人と、しゃべれない人がいる。 というか、あるおばあちゃんとベビーシッターは、いわゆる“キョーレツ”系で (イタリア在住の人はよく分かると思うけど、声がでかく、人の話に割り込み、自己主張が強いお方々) 必要があればしゃべるけれど、私には興味も何もないというのが前面に出てるので 私も彼女らだけの時は小広場に寄らないし、私から特にしゃべることもない。 マニーノが遊んでる時は、他の気の合うじいちゃん・ばあちゃんとおしゃべりをしているんだけど この気の合わない2人の会話が耳に入って、思わず聞き入ってしまった。 “そうよ、あのアルバニア人!彼女がちゃんとイタリア語教えないからよ!” 先日から始まった幼稚園に孫を送っていった別のおばあちゃんがこの小広場に立ち寄って、 アルバニア人のリッカルドが号泣 していたという話をした時の、ベビーシッターの発言。 彼女曰く、リッカルドのマンマ・リリアーナが イタリア語を教えない = 他の子供とコミュニケーションがとれない = 号泣 だと言いたいらしい。 すると、私と気の合わないおばあちゃんが “そうよ、あのオランダ人もそう!いっつもオランダ語ばっかしゃべってるのよ!” と、 私がマニーノに日本語でしゃべっている真横で言い出した。 それ、私に対しても何か言いたいんか!?と嫌でも思ってしまう。 ちょっとした言い方だとは思うけど、“あの○○人”という言い方も なんだか見下しているようで気に食わない。 (Quella albaneseじゃなくって、Quella mamma/ragazza albaneseだと少し違うと思うんだけど) そういやこの人、前も “あのスペイン人、子供と犬一緒に連れてるなんて信じられない!” とも言っていた。マリアの飼い犬はすごく教育できていて、誰にも迷惑かけたこともないのに。 きっと私のことも“あの日本人!”どころか国籍も分からなくて“あの中国人!”とか言ってるのだろう。 彼女らの陰口(ま、声がでかいから陰口ではないけど)を聞いていると、彼女らの意見は、 イタリアに住んでるんだから、イタリア語を家でもしっかり教えろ と言う事らしいのだけど じゃあ、イタリアに住みながら両方・あるいは片方の 外国人親の母国語はいつ誰がどんな風に教えんの? イタリア語は住んでいる限り、少なくとも幼稚園に行くようになれば嫌でも自然に覚えるし、 まずそんな事はその子の家族が決める事であって、他人が、 ましてや自分の身内に外国へ移住した人がいない、外国に住んだ事もない人が 公共の場で偉そうに大声でしゃべりまくることではないと思う。 オランダ人マンマは郡部に住んでいて私は会ったこともないし、旦那さんが何人かも知らないけど、 リリアーナは一緒にお茶したり立ち話をするけれど、イタリア語がつたないなりに一生懸命で、 他のイタリア人とも積極的にコミュニケーションもとっていて、 いつも一緒の息子・リッカルドも社交的でこの田舎町にもすっかり溶け込んでいるのに、 別に他のイタリア人の子供とコミュニケーションがとれなくて号泣したわけじゃないと思う。 実際、他のイタリア人の子だって、幼稚園の初日、マンマとの別れ際に多くの子が泣いてるし。 私も他のマンマと同じく、マニーノには生まれてからずっと日本語(関西弁)で接している。 99%はイタリアに住むのは間違いないけど、マニーノは私=日本人とダンナ=イタリア人の子、 両方の言葉・文化・アイデンティティを学ぶ権利があるし、 それを教えるのは親の私達の義務でもあると思う。実際はそんな堅苦しい事ではないけれど それにやっぱり、私とはもちろん、私の家族と日本語でコミュニケーションをとって欲しいし、 フィレンツェの日本語補講学校にも通わせてあげたいし、 将来機会があれば、こっちの学校が終わった時に日本の学校へ一時転入もさせてみたい。 それに、外国語を大きくなってから学ぶ大変さ、時間とお金がどれだけかかるかも 私は痛いほど知っている。今日本語をやろうとしているダンナも同じ。 しかも日本語なんて学校では絶対習わないし、ちゃんと話せるイタリア人もごくわずかだし そして、外国語ができることが将来、他の世界を知ったり、新しい人間関係を作ったり、 仕事を見つけたり、とても大きな力になる事は、私ならずとも誰もが想像できるだろう。 ただ他の外国人で母国語で子供と接している人の経験談では、実際、 幼稚園へ行くまではマンマと一緒=外国語で接している時間が多いため、 イタリア語の発育が遅く幼稚園で他の子のイタリア語レベルと差が出る事がある、とよく聞く。 それでも、ほとんどの子が時間が経つにつれあっという間にイタリア語を率先して習得し、 立場は逆転、外国語の方はマンマ専用どころか、継続させるのも難しくなると言う。 それならばやはり今のうちから確実に基礎を作っておかないと・・・と 私はガンガン関西弁で話しているのだけど、それは親のエゴなんだろうか?? 日本語がしゃべるようになって、将来私に感謝して欲しいなどとは思わない。 でも、イタリアに住んで普段私以外とはイタリア語でイタリア人並に会話するようになっても、 私とは日本語をしゃべって欲しい、日本に興味を持って欲しい、 日本に行くのを楽しみにして欲しい・・・ というのが今の正直な私の願いである。 だから、外国人親がどんな思いでイタリアに住み、 どんな思いで我が子に母国語で話しかけてるかなんて分かりもしない、 いや興味もない無知なおばちゃんたちは無視することにしよう。 ↑ 外国に住む日本人の親御さんたちもきっと同じ思いですよね!?・・・ぽちっと応援よろしく♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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