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くみこ(FI)
イタリア・フィレンツェ郊外の田舎にて2006年8月生まれの子育てにに励んでおります。趣味は旅行・スポーツ 美味しいものを食べること!
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先週と今週、知り合いの紹介で、ホームステイを受け入れてくれるお宅 に伺ってきた。 1つは チェントロで2食付 、もう1つは 住宅街で自炊 。 両方ともいろんな国から学生やツーリストを受け入れいて、 そのいろんなお話を聞いていると、 自分のホームステイ時代 を思い出してきた。 もはや10年前・・・語学留学でフィレンツェに来た時の一番最初の滞在先は 学校が紹介してくれたホームステイ だった。 留学の最初の1ヶ月はまだ慣れないので、朝夕食の2食付 でシングルルーム。 チェントロからバスでも行けるけど、歩いても駅まで20分程度。 住宅街の大きなマンションの上のほうだったと思う。 ちょうど私と入れ替わりだった日本人の男性がまだいて、いろいろ説明をしてくれた。 その人は長期ここにいてシニョーラと仲良く、彼もマンマと呼んでいたので、 私もシニョーラの名前を聞いてなかったか聞いたのによく分からなかったのか、 結局、ずっとマンマと呼んでいた。 マンマは未亡人で1人暮らし、シングルとダブルの2部屋を学生に貸していた。 経験上からなのか、ゆっくりと丁寧に話してくれて、いつも笑顔 で優しく、 でもちょっとおっちょこちょいのところもあって、 初日に食べ物の好き嫌いを聞かれたので、グリンピースと答えたのに (しかも私は当時グリンピースをイタリア語で知らなかったので、日本人の彼に訳してもらったのに) 滞在中2回も山盛りのグリンピースが出てきたり もしたけど 私がイタリア語になれたいからとキッチンでTV を見せてもらっていると これで部屋でも見れるでしょ、と小型のTVを部屋に置いてくれたりもした。 よくお孫さんが遊びに来て、人懐っこい彼らと遊びながら勉強したなぁ・・・ 滞在が半分過ぎた頃、次の滞在先はどうしよう と学校に相談しようと思っていたら マンマから 自分の息子の家にシングルルームが空いているから行かない? と聞かれた。 同年代の男性と2人 とちょっと迷ったが、マンマの家の近くだし、 今までもずっと間貸ししていて、あまり家にいないという事も聞いて即決した。 そして、引越しも息子のリッカルドが車で手伝ってくれて(ってもスーツケース1個やけど) 小型のTVもそのまま私が使ってよいということで持ってきた。 新しい部屋は前の部屋よりも更に広くて、レトロなラジオもあったので 耳が慣れるように、いつもイタリアンPOPSオンリーのラジオをつけっ放しにしてたなぁ。 穏やかなリッカルドは 自分の部屋だと思って何を使ってもよいよ 、と寛大だった。 一瞬ケバケバしい格好をした彼女が来て、半同棲と分かった時はどうしよ と思ったけど 彼女もめちゃめちゃいい人で、夕飯一緒に食べない?と誘ってくれたり、 私がパンなどを買い忘れた時も彼らのをくれたり、 宿題で分からない事があって、彼らに聞くとちゃんと教えてくれたし、 この本ならくみこでも読めるんじゃない?と本を貸してくれたり、 本当に居心地のよいステイ先だった だから、前の晩の食器が流しに山積みで私が食べる食器がない時 は洗ってあげたりしても まぁお世話になってるからいいや、と思ったもんだけど、それに気づいた2人が “今晩は私たちが洗うからね!”と必死で謝ってくる姿が笑えたり もした。 彼らは劇団をやっていて(リッカルドが演出家、彼女が企画) 家で劇のリハーサルをやってたり、劇団の小道具に日本語を使うからと私も協力したり 2回ほど彼らの劇にも招待してもらった・・・まだイタリア語がよく分からないのもあったけど 劇としてもかなり変わっていて、一緒に行ったダンナ(当時彼)も難しいと言っていた(苦笑) そんな彼らもたまに新聞などでも紹介されているので、業界ではそれなりに有名なのかな リッカルドとはダンナと同棲することになって引っ越す時、 マンマとは結婚する時にボンボニエーリ(祝い事の時に配るもの)を持ってったっきりだけど 今はどうしてるんやろ~元気にしてんのかな~ 一緒に遊んだ孫のフィリッポとジョルジョももう16才と13才のはず・・・ 昔を思い出して、な~んだか、とても懐かしくなったのでした・・・。
グラッツェ、マンマ! 2013.01.17 コメント(2)
とっくに明けてますが・・・ 2013.01.03 コメント(6)
気持ちがブレないうちに・・・言ってしま… 2012.01.04 コメント(12)
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