テーマ:人についての記録(7)
カテゴリ:阿呆の世界
使ってみて読んでみてどうも気持ちの悪い言葉と言うのがある。いわゆる紋切り調ってことになるのだが、紋切り型を三省堂-大辞林で引くと[1]紋を切り抜くための型。[2]物事のやり方が一定の様式にのっとっていること。きまりきっていて新しみがないこと。 という次第であり、自分では気の利いたつもりで使っている末期の流行り言葉なんかはその最たるものだろうが、流行ではなくとも手垢がつくほど繰り返し繰り返し繰り返し使われた表現や言葉をいい気になって使っている文章を見るとどうにも気持ちが悪くなる。 例えば、気持ち悪い言葉や表現がこれでもかと並びがちなのが食に関する文章だ。中でも頻繁に目にするのがハーモニーって言葉とそれを用いた表現である。 『甘さと苦さのハーモニーが奏でられた~』みたいな表現である。このハーモニーってのは、食をテーマにした文章中でやたらと奏でられる。やたらと奏でられるだけでも充分に紋切りなのに、もっとひどいと『厳選された三十種のスパイスによってハーモニーが奏でられた調和のとれた一品』ってな文章となる。ハーモニーが奏でられた時点で調和が為されているのは当然だし前提であるが、そこへ更に調和がとれたと無用な言葉がくっつくから、いわゆる二重表現であり、『頭痛が痛い』ってのと同列扱いである。『 ハーモニーが奏られた調和のとれた一品』と大仰にも音楽用語まで持ち出しておいて二重表現の愚を犯しているのだから救いがない。 更に言うと、『~奏でられ』と受動態になってるところが気持ち悪い。『奏でる』でいいのである。ありもしない品格を出そうと気取り、読み手に理解を求めようと浅ましくなるほどに文章中には受動態が連発する。気持ち悪いことである。 あと料理関連に多いのが『母の味』『おかあさんの味つけ』『ママから教わった』の母系伝承を匂わす表現である。中年より上の女性が作るとみんな母の味になる。店でお金とって出す料理で、ましてや本人じゃなく従業員のコックさんがそれを作ってたり、それが料理本になったりして母の味もへったくれもないだろうに。まったくもって母の味も地に落ちたものである。これもまた紋切り調の極みだろう。 でも実は、料理関連表現で最も私が気持ち悪く感ずるのはハーモニーでも母の味でもなくて、これである。 『~はペロリでしたよ』 『~をペロリといただいちゃいました』 『これくらいペロリって感じです』 こうしてペロリペロリと連ちゃんで書くだけも気持ち悪さがあるが、この表現が予告も前兆なしに突然目に入ってくると思わずそのページを破り捨てたくなったり、ブログなんかだとモニターを叩き壊したくなる衝動に駆られるのである。これが意図あっての散文や詩なら別だが、説明文を擬態音でことを済まそうとは言語道断だろう。長嶋茂雄かオマエは。長嶋は天才だから許されるが、天才でもない奴がそれをやってはいかんのである。まだしも個人のブログでやるぶんにはスルー可能だが、金払って買った雑誌や本の中で、女子小学生あたりが得意になって使うような幼稚まるだしの表現を読まされるのは大ファールである。レッドカード3枚で永久追放である。なにがペロリだ。オマエの頭がペロリだろう。と意味不明な発言でvol.1終了である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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