カテゴリ:阿呆の世界
例えば自分を語る際に「私、江戸っ子なんで~」とやる方がいる。これが私にはたいそう気持ち悪い言葉に聞こえる。中年より上の世代に限れば、それをやる東京在住または出身の方はけっしてレアケースではない。アイ・アム・江戸っ子と言い出す若い世代が出てこないことを祈るばかりであるが、もし江戸っ子めかしている方を見掛けたら注意してあげたほうがいいかも知れない。江戸って無いから。東京はあっても江戸はないから。と。
そもそも東京と言えばよいところをわざわざ「江戸」とか「江戸っ子」とか「お江戸」と置き換えるところに気持ち悪さがある。何が気持ち悪いって、変な置き換えをする動機に捻くれて歪なものが透けて見えるからだ。自分は気風がいい人間だと言いたいのか。それとも宵越しの銭は持たない放蕩なる精神の持ち主だとでもいいたいのか。はたまた曲がったことがでぇっ嫌いで、いなせで小粋な洒落のわかる人間だとでも主張してるのだろうか。 まずもって上に書き出したような気質を持つのが江戸っ子ならば変な置き換えなんぞしないのである。東京を江戸と置き換える時点で既に江戸っ子ではないってわけだ。ねじくれたことが性分的に出来ないのが江戸っ子であろう。歪なる自己を直視できずに江戸っ子と言い換えたり、裏で根回ししたり、貯蓄に精を出したり、計算高くも物事を企画運営できたり、おべっかや社交辞令がすらすら出てくる人は間違っても江戸っ子ではない。 現代でも尚、単純明快さを好み、歪んだり曲がったり性分的に出来ず、いなせで小粋で洒落てて、宵越しの金を持っていなくて、サシスセソとハヒフヘホが上手く発音できない東京出身の方がいるならどうぞ江戸っ子を名乗っていただきたく存ずるし、そのような方ならば東京をお江戸と置き換えようとそこに一片の気持ち悪さも覚えない。現代にもそのような方がいるならば大変笑えるし、すがすがしくさえ感ずる筈だ。私なら間違いなくファンになる。 東京で暮らしている当時に一人だけそういう方がいて、友達づきあいをさせていただいた。泉岳寺近くに生家のある彼と遊ぶのは渋谷や六本木あたりが多かったが、たまに葉山や日光やディズニーランドへ出掛けたりもした。軽い調子で言葉を操る彼にいつも笑わせてもらった。二人でたいそう馬鹿をして歩き、毎日のようにへらへらと笑っていたことを思い出す。 そう。彼は確かに宵越しの銭も金も持っていなかった。そんでスタイリストだった。そんなスタイリストだから成功は勿論しなかったな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.26 10:30:50
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