テーマ:旅的随筆(15)
カテゴリ:旅ネタ
写真の彼女は老農夫の孫娘サラ。年齢は八歳。彼女はわけあって祖父の家で暮らしていて、私が居候を決め込んだ数週間、サラは碌に言葉の通じぬ私を仲間に引き込もうと言うのか至極積極的に接してきたのである。学校からの帰宅後は勿論、休日ともなると彼女は私から離れようとせず、テニスだピンポンだバレーボールだバックギャモンだフランス語教室だと終日付き合わされるから旅の疲れも癒えぬ居候生活当初は少々苦笑ものだったが、そうして長いこと共に過ごしているうちに言葉はたいして通じずともサラの心の隙間が見え始める。 サラはひどい泣き虫だった。 転んだりぶつかったりでは泣かないが、精神的にあまりに脆弱で、兄弟からからかわれては泣き、仲間外れにされては泣き、おきてきぼりを食らっては泣き、誤解されては泣く。その泣き方も大粒の涙を流して号泣するとかではなく、深い悲しみを背負った悲運の少女が堪え切れなくなって不覚の落涙をするように嗚咽を押し殺し、両手で顔を覆って延々としくしくとやるのである。 そう。彼女の心は常に不安で満たされていた。私と何時間遊ぼうとも、思いつくままに遊びを変えようとも、誰から優しげな気遣いを受けようとも彼女がその胸のうちに抱え込んだ真っ黒な不安は霧消することなく未来永劫そこに居座り続ける。サラはその黒き不安に背中を押され、仲間を求め友達を求めゲームを求める続けるし、その希求の行動を中断させられたり制止されたりすると、もう堪えられなくなって涙がとめどなくも流れ続けた。 戸籍上のサラの父親は私が同所に滞在中、隣町で猟銃をぶっ放し傷害騒ぎを起こして警察に逮捕され、サラの母は時折発症する鬱病が事件以来ひどくなりほとんど部屋に引きこもった。だからと言って旅して流れて行くだけの異邦人の私に何ができるわけでもなく、私は私の時間が許す限りサラと一緒に遊ぶのが精々だった。しばらくして私は同所をあとにしたわけだが、サラには恵まれているものも沢山あって彼女のこれからを特に不安視するには至らなかったのである。 例えば写真の鶏小屋もそのうちの一つ。ここには十羽前後の鶏が放し飼いにしてあってサラは毎日産みたての卵を食べられるのだ。家の前には私と各種スポーツに興じた広い庭がある。庭の周囲にはエスカルゴが繁殖していてそれも食べ放題だ。庭から出れば見渡す限りのひまわり畑に小麦畑。地平線の彼方までどこまでも黄色い花と黄金色の穂が連なっている。だから何処が真ん中なんてわからぬが畑の真ん中に踏み入れば穂を渡る風の音と土を踏みしめる自分の足音しか聞こえてこない。そんな素晴らしき地に彼女は住み暮らしているのである。悪い事ばかりが続くとは思えないではないか。 サラも今や年頃となってさぞかし美しくなっている筈である。もし会いに行っても私のことなど当の昔に忘れているかも知れないが、どうせなら八歳のサラより二十代のサラと遊びたかった。なとど思うは私が歳をとったせいだろうか(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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