カテゴリ:旅ネタ
で、部屋に通され、荷物を置き、フロムジャパン、サンキュー♪なんて知ってる限りの英単語を並べつつ一枚撮らせて頂いたのがこれなのであるが、シャッターを押した時点で私はおやじの言動も経歴もわかっちゃいないのは勿論であり、唯一わかるのは顔と体型ぐらいなもんである。顔を一瞥して私はこのおやじに好感を持ち、おそらくは信用に足る人物であろうと類推し、カメラを取り出した。 私は人物を撮る場合、老若男女の別を問わず基本的に何がしかの好感を得た人しか撮らない。荷物をぎりぎり最低限にするために手持ちのフィルムが少なかったから被写体の選定も絞らざるを得なかっただけのことであるが、叶うものなら私だって下種野郎とか稀代の悪人面とか破廉恥野郎なんかもたくさん撮ってみたかった…。 残念であるが貧しいとは、つまりそういうことだ。何につけ選択肢がひどく少ないのである。だからいつも綱渡りだ。保険をかけたり、予備をもったり、転ばぬ先の杖をついたりできないのが貧乏ということであり、預貯金を100万も持って旅するのは貧乏旅行などとは呼ばない。呼んじゃいけない。言葉として意味がおかしいから。 私は旅行中に何人ものその手の旅行者に出会ったが、彼らはいつも自分のやってることを『貧乏旅行』などと称するのである。しかしである。旅するに多額の預貯金(余剰)を持ってる人が一泊一ドル以下の安宿に泊まるのは貧乏ではなく、正味『けちくさ旅行』だろう。ま、けち臭いのが悪いとも思わないし保険や余剰や予備を持っていたい気持ちは解らないではないが、己(の旅)を表現する言葉が間違っているのは確かであるから指摘しておきたい。けちくさと言うのを自覚無自覚を問わずに回避し、貧乏と呼称するのは話のすり替えであり粉飾である。 って具合に話は確信犯的に暗示気味に脱線したので元に戻すと、我思うに、人を観るに顔さえあれば充分なのである。 旅の当初は碌な英会話もできなかったし、他者にものを伝える手段が一方通行的なゼスチャーに頼り切っていたので、他者の人物性を判断するのは主にその顔に拠ってだった。イケメンだとか美人だとかそれほど単純な話でなく、不細工であろうと一見強面であろうとそいつが信用に足るか足らないか。嘘や芝居が上手な手合いか否か。キチガイや阿呆じゃないか。それを判断する材料が顔なのだ。 旅行中、顔だけで多くの場合に事足りたし、致命傷や重傷を負うほどにそう大きく外れたこともなかったのであるが、『顔を見る』というそんな基本中の基本をいつの間にか忘れるほどに言葉が自由になったり、相手の話になまじ耳を傾けたり、相手の経歴を知ったりすると邪念が入る。つまり騙されたり、大きな見当違いをやらかしたりする。 人を騙す主犯格は言葉である。共犯は衣裳服装だの持ち物だの芝居がかった表情や立ち居振る舞いだのと色々といて主犯の騙しを脇からサポートするわけだが、とりわけ”経歴”は厄介極まりない共犯者である。これに人は左右され易い。経歴(出自、学歴、職歴など)を知り、そこに勝手な思い込みを重ねるからだ。『良い出逢い』だとか『素晴らしい友達ができた』と思い込みたいが為にである。 こんな家柄の方だから変な人のわけはない。きっといい人にちがいない。間違いない。出ている学校も素晴らしいし、勤めている会社も大手だもの、とても誠実で実直で、愛に溢れて、夢や希望を語り、前向きに生きている人に違いない。きっとそう!ぜったいそう! 大袈裟に言うとそんな具合である。 昨今、己を粉飾するに適したアイテム小道具パーツが巷に溢れ、誰も彼もが華美華麗を安直なまでに装うようになったわけだが、観るに、そのぶん顔をおろそかにしている方々が少なくない。顔をちゃんと見ればその人が見えてくる。愛や義にあふれた言動や体裁のいい経歴や芝居がかった笑顔はチラ見ぐらいにしておいて、よくよく相手の顔を見ようではないか。そこに邪が見えるか誠が見えるか。言動や経歴に目を奪われれば誠は見えない。邪が誠に見えるばかりである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.22 11:03:26
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