カテゴリ:旅ネタ
旅のあいだ毎日のようにそんなことを口走っていた気がする。 写真のように突如、町の中を駱駝の一頭立ての馬車が走ってくる。いやいや。駱駝の馬車とは漢字的におかしいから言うならば駱駝車とするべきか。しかし駱駝車は駱駝車でそんな言葉は一度も聞いたことがなくてイマイチ使う気にならないし、なんと表すべきか悩むところであるし考えたり調べたりするのも面倒なのでここでは駱駝の馬車で行かせていただく。 で、駱駝の馬車が雨の通りを駆け抜けるし、乗ったバスがカラシニコフを持った強盗からジャックされるし、一宿一飯の恩を受けたと思いきやバスポートを巻き上げられて金出せと凄まれるし、極貧のオレンジ売りの少年から昼食に招かれるし、あちこちで爆弾だの襲撃だのゲリラ&テロ活動が目の前で起こるし、インド人の本妻とネパール人の愛人が血みどろの死闘を白昼繰り広げるし、切符一枚買うのに駅の窓口で中国人集団や人民解放軍兵士と死闘を繰り広げなければならないし、乗った列車は予告もアナウンスもないままに荒野の真ん中で半日も動かないし、でも笑っちゃうくらい誰も騒がないし、国境を越えるたびに検閲官が賄賂だの物品だの要求してくるし、絵を描いたら皆が喜んでくれるし、毎日毎日飽きもせずハプニングやら事件やら変な連中やら素敵な人やら次々と現れては消えて行くのである。私にとってそれはまさしくぶっ飛んだ世界だった。 それまで29年間知らないでいた世界がそこにはあり、理解しがたい事象や人物が蠢いている。でもそれは非現実でも空想世界でもなく見紛うことなき現実、リアルだったから私は驚く。驚愕する。ぶっ飛んだのである。 ぶっ飛んだくらいだからそれら全ては記憶の皺に深く刻まれているが、ことさらに強い印象を残したのは夕暮れに聞いたアッザーンの音である。アッザーンとはイスラム教の礼拝の呼びかけをさすが、それはいずれの国でもアラビア語でなされ、韻を踏んだ歌唱の如き男の声である。 ある日の夕暮れ時。私は体調思わしくなく宿のベッドで一人横になりながらそれを聞いた。日が傾いた遠く町外れから聞こえてくるアッザーンはゆるやかな反響を帯びてひどく幻想的だった。陶酔するのに時間はそうかからなかった。つかの間、私は今自分が世界の何処にいて何をしているのかを忘れ、ベッドの横に開いた窓から見えるイスラムの町の景色はSF映画さながら。私は知らぬ間に無限の彼方の宇宙を回る見知らぬ星へと来てしまったのではないかとさえ思った。 そう。まさしくぶっ飛んだのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.29 10:34:17
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