テーマ:八重山的随筆(111)
カテゴリ:レジスタンス
音楽が私の心を打たなくなって久しく、はて?これは一体何故なのだろうかと考えてみた。
ま、考えるもへったくれもなくて、心が打たれるっちゅうくらいだからこちらはあくまで受身であれば打つ打たないは楽曲提供者側の問題だと思うのである。要するに現在の市場に並べられたどの音楽も人の心も打つ力のない腑抜けた楽曲ばかりが居並んでいるってことである。 故忌野清志郎の言葉(歌詞)を引用させてもらえば差し障りのない歌詞。右の右から左の耳へ抜けていくような歌ばっかりなのである。アルバム一枚作るにも当世名の売れたプロデューサーなんかが一様に作るので演奏者が変わっても一様な調子だったりするし、株主だのスポンサーだの大企業の顔色を伺いながらの楽曲となるので歌詞の内容などもその振幅はひどく狭くなり、唄われる事柄と言えば必然的に企業側に差し障りのない愛だの恋だの一辺倒となる。これをもって業界ではマーケティングなどと呼び慣わしているようで情けない事この上ない。 音楽に携わる人間が、それが例え演奏者であれ企画者であれ広報担当であれマーケティングなんて小賢しき振る舞いをするようになったらお終いである。誰が聞いてくれるからとか誰が買ってくれるからとか誰を怒らせないようにみたいな配慮で作られた音楽なんぞ音楽ではない。そんなもんライン生産に乗せられた工業製品となんらかわらないではないか。 ま、音楽をご商売にするってのもありだろうからセールス成績のみを最重要項目として活動される方がいてもそれはそれでOKだ。例えば実際は男気なんてこれっぽっちも持ち合わせていない長淵某が男気を前面に打ち出して楽曲をセールスするなんてのがその好例だろう。こんなことを言うと巷の長渕某のファンはたいそうご立腹されるだろうが、もし本当に彼が立派な男気の持ち主なら男気のないことをやり続ける大企業や政治家や役人どもに対して当の昔に反歌のひとつも叩きつけている筈だが、その素振りは彼のどこにも見当たらないし、まず第一に男気のある奴がてめえのカミさんやブレーンたちに殊更に暴力を振るったりはしないわけで、以前彼に近い筋から聞いたところによれば彼がもっているのは立派な男気ではなくて強烈な幼児性だそうである。ちなみにこの手合いはどの業界でもセールス成績がいいようである。 ま、そういう人がいてもOKなのだからそれ以上噛み付くつもりはないが、とりあえずこうも一様な楽曲が並び、似たような歌詞が並び、カラオケで歌われることを前提とした曲作りが通例になったりしているニッポンの音楽業界は一度瓦解するのが真っ当な道なのではなかろうか。 CDが売れなくなったと言われる昨今、業界やマスコミは訳知り顔でその原因をネット配信に求めてひたすらに嘆いているようだが、音楽が売れなくなったのはやっぱり魅力のない音楽ばかりだからではないのか。我々リスナーはそう馬鹿ではないとの証ではないだろうか。心に響き、魂を打つ音楽が演奏されるのなら止められても聴きに行くし、そんな音楽をきちんとパッケージにしてくれるならちゃんと買いに行くのである。 少なくとも私は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.15 11:58:30
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