ロックの神様だって?とんでもないね。彼はボクらの
一昨日からよくよく考えたし、今更カミングアウトするまでもないし、私の書いてるものを読解している方々には明々白々なことなのだけれど八重山見聞録の作者もまた忌野清志郎の大ファンだ。ファンとかファンじゃないとかってよりボクらの十代二十代の頃は清志郎なしには死んでも語れないのさ。ありきたりな言いまわしを使うならNO KIYOSHIRO,NO LIFEってことかな。『トランジスタラジオ』や『夜の散歩をしないかね』を聴いてはカノジョに愛を語りまくり『雨上がりの夜空に』や『気持ちE』から夜通し遊び続けるエネルギーをもらったんだもの。そこまで聴き込めばポリティカルな部分なんかは勝手に同期同調しちゃって、原発もFM東京も政府の犬またはomanko野郎(←日本語では禁止ワードに設定してあるので書き込めない)としか断ぜられず、以後の人生を偽善者たちと果てしなく闘う羽目になった。ま、迷惑な話っちゃあ迷惑な話だ。清志郎の歌や曲に出逢わなければ波風立たぬ穏便な人生を過ごせたのかも知れないのだから。そう。例えばうちの親戚がちょっとお偉方の椅子に座っていた役所にでも引っ張ってもらって、選挙になれば自民党候補へ no thinking で投票し、三十路も半ばあたりで職場結婚、一男一女をもうけるものの四十を回ってから水商売のオンナに入れあげた挙句にあえなく離縁。で、ありがちな展開よろしくそのオンナにも捨てられるし、少々自暴自棄になるもあと15年ばかり養育費を支払わねばならないので簡単に公務員をやめるわけにもいかないって始末。あれ?あんまし迷惑でもないかも知れない(笑)そう。あの頃に清志郎の歌と出逢わなければ私は上のような人生を送っていたのかも知れないのだ。清志郎の歌があればこそ色々と痛い目にもあった甘い甘い恋愛の数々があり、人生も仕事も教わりっぱなしの諸先輩との出逢いがあり、ユーラシア大陸を周遊し、日本を縦断し、此処八重山に移り住むに至ったのだ。彼の歌はクソガキどもの魂を揺さぶったし、目を覚まさせたし、行くべき道を照らしてさえくれた。そう。まさにsoul musicだ。ザ・ジャパニーズソウル。それが彼に相応しい称号のように思う。ロックの神様はちょっと変かな。だって、彼はソウルが大好きだったんだぜ。ま、彼は称号なんか欲しがる人じゃないけどね。