カテゴリ:年代物・史跡
中山道を歩いていると、皇女和宮(こうじょかずのみや)の名が 各地に出てくる。 皇女和宮は、仁孝天皇の皇女。1846年生まれ。 いわゆる側室の子で、6歳の時より婚約者がいたが、 江戸幕府の請願により、16歳で14代将軍家茂(いえもち)と 結婚(降嫁)した。 皇女が臣下(しんか・君主を支える者・すなわち皇族でない人)に 嫁ぐことを「降嫁(こうか)」と言う。(眞子さんも同じ) あの時代、飛行機で一っ飛びとはいかないので、 大名行列ならぬ、和宮行列となり京から江戸へ降嫁した。 その行列の数は3千人と記されている。 中山道を歩いていると、皇女和宮の名を各地で目にするのは、 この史実のため。 10月20日(旧暦)に京を出て、 11月15日に江戸に到着したのだが、 皇女和宮が休憩した所とか、和宮の小水を埋めたところとか、 和宮の一行が宿泊したところとか、和宮の詠んだ歌の碑とか、多数、 中山道の宿や峠などに存在する。 その一つ、岐阜県瑞穂市の小簾紅園(おずこうえん)は、 呂久川(揖斐川)の呂久の渡しの船着き場だったところで、 街道一の大きな史跡(←おそらく・当社比)となっている。 ここにあったのが、 落ちて行く 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ 中山道道中で詠んだ歌にはこのように降嫁を哀しむ歌が多いが、 その後も、和宮の人生は穏やかではなかったようだ。 現代の降嫁・・・・ 旧暦との違いはあるが、ニューヨークへ着いたのは、 11月15日だったと思う。 意識していたのかも知れない・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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