不妊症&不育症でも産めました^^
不妊症&不育症もちの私。3度目の妊娠7ヶ月の更新から、またまたサボっておりましたがその後も無事に成長し…11月24日 3286gの女の子を無事出産しました思えば2度の流産後、不育症が発覚。不育症で有名なF先生とめぐり合い「この検査結果なら、次妊娠しても流産するのは火を見るよりも明らか…」とも言われましたが、オルガランの自己注射などの不育症治療のお陰で、やっとわが子を抱く事が出来ました。私とベビちゃん、本当よく頑張った妊娠中も、不育症治療をしている以外は何のトラブルも無く、むしろ「ちょっと大きめ」といわれるくらいスクスクと成長してくれ、お産も超安産のスピード出産でした。当日の朝「これが本当にあの痛いと噂の陣痛か?」と不安になるくらいの軽い痛みが…。でもちゃんと10分おきに来るし…と、3時間程様子を見たあと、病院に電話。電話口で助産師さんと相談し「初産だから時間もかかるし、そんなに痛みも強く無いなら…」と、あと1時間様子を見るように言われ、家で様子を見ていると1時間後には8分おきに…。再び電話をしたところ「診察の結果、自宅に戻ってもらうかもしれないけど、一応入院の荷物を持って、診察に来るように」との事でした。仕事に出かけてた旦那に電話すると「今日はどうしても仕事を抜けられないし、帰りも夜になる」との事里帰りもしてなかったし、実両親は遠方で無理。お義母さんも仕事に出かけ、お義父さんも最近体調が優れない様子…。「しかたない、病院には1人で行くか…」 荷物を持って病院まで行って、また家に帰ってくるのは嫌だったし「どうせ、家だろうが病院だろうが、どこにいても痛いんやし、追い返されないくらい痛くなってから病院に行こう」という思いもあり、陣痛自体も軽くて、痛いときには動けないけど、痛みがひいたら普通に家事も出来る位だったので、陣痛の合間に、退院後ベビを連れて帰れるように部屋の掃除をしたり、冷蔵庫内のもので冷凍できるものは冷凍庫に移したりと家事をこなし、入院の荷物の最終チェックやまだ仕上げてなかったバースプランを書いたりとバタバタ。タクシーを呼んで、病院に向かう頃には、お昼になってました。タクシーの中でも陣痛は軽く、運転手さんと普通に会話できるくらいの痛みで、間隔は5~8分おき。病院に着いて、玄関からエレベーターまで、入院の大荷物を半分引きずりながらトボトボと歩いていると、さすがに見るに見かねたのか…他の患者さんの面会に来ていた方が声をかけてくれて、荷物を持ってくれました。初めての出産なのに1人ぼっち…。考えたら不安になるから考えないようにしてたけど、こういう人の優しさや温かみが、本当に身に染みました産婦人科病棟に着き、内診した結果、子宮口はまだ1~2cm。お昼ごはんを食べてきて無い事を告げると、助産師さんから「陣痛の合間にでも何か食べたほうが力になるんだけど、もう時間的にお昼ご飯が用意できないんです…。初産だから時間もかかるだろうし、陣痛の軽い今のうちに何か買いに行きますか?」と言われ、私もそのつもりだったので、病院のすぐ向かいにあるコンビ二に出かけたところ、事態は急変まるで痛みの質が変わったかのように、陣痛の最中は立っていられない程の痛みに…。2~3分間隔になってきた陣痛が来ると、その場にうずくまり、合間になると立ち上がって店内を物色。しかし…お昼を過ぎたコンビニにはろくなものが無い…。でかい腹をして、店内をちょこちょこ動いてはうずくまるを繰り返してる妊婦はさすがに怪しかったのか、店員さんが様子を伺いにくる。事情を話し、手にしてたスポーツ飲料の会計をその場でさせてもらって、陣痛の合間をぬって、再び病院を目指す。本当、目と鼻の先なのに、その道のりは遠い途中何度もうずくまり、そのたびに道行く人に声をかけられ、ちょっとした人だかりを作りながら、病院の玄関に無事到着。病院のスタッフの方が飛んできてくれて、そのまま車椅子に乗せられ産婦人科病棟へ…。再び診察をすることなり、内診台に乗るためパンツを脱ぐと…大き目のナプキンがタプタプになるくらいの出血。カーテンの向こうの助産師さんに「血ぃ~出てます~。」と声をかけ、再び襲ってきた陣痛にうずくまっていると、助けに来てくれた助産師さんはその様子を見て「絶対お産が進んでるわ…」と一言。脱ぎかけたパンツを脱がしてもらって、内診した結果、子宮口は5~6cmに開いてました。陣痛室に入ってからは、陣痛でひぃひぃ言いながらも、問診や入院の説明を受け、助産の学生さんがついてくれることになったので、その挨拶を受け…とドタバタ。今朝陣痛の合間に仕上げたバースプランを渡す暇もない位、スルスルとお産は進み、分娩室に移るとすぐに破水し、子宮口は10cmと全開。その後、何度かいきんで、無事出産。例の買い物の時間も含め、病院に着いて3時間後には我が子を抱いてました陣痛はやっぱりメチャメチャ痛かったけど、その後忘れるというか、陣痛の最中は意識が飛んでて、自分が別人になってる感じで、その間の事は記憶にございませんと言った感じでしょうか…。買い物から帰ってからの事は、正直あんまり覚えてませんこれだけ早く産めたのは、なんと言っても付いてくれた助産師さんや学生さんのお陰でしょう。助産師さんは他の妊婦さんの様子を見に離れる事もあったけど、学生さんはずっと付き添ってくれました。資格はまだ持ってないとはいえ、素人の旦那なんかよりよっぽど助けになるお腹の張り具合やお産の進行状況を診て、陣痛の最中の痛みを逃す時には一緒に呼吸法をしてくれて、陣痛の合間の力を抜く時には、お腹の張りが収まったと同時に冷たいタオルで顔を拭いてくれ、自然とリラックスし、休む事ができました。腰をもんでくれた時も、その場所も力加減も絶妙。水分を勧めてくれるタイミングも、何もかもが素晴らしい。まさに痒いところに手が届くようなケアでした。最後いきむ頃には、助産師さんや学生さんの言う通りにして置けば間違いないと思えるくらいの信頼関係が出来てて、お産の時、家族が誰もいないと不安かな…と思ったけど、それを感じる暇もない位早く出てきてくれた我が子と、それをサポートしてくれた学生さんに本当に感謝胎盤がなかなか剥がれなくて、2人がかりでグリグリお腹をもまれ、結構痛かった後産。出口付近だけでなく、奥の方の筋肉まで…数箇所切れたというお股の縫合が終わり、少しやんだ頃、やっと我に帰った私は、すっかり忘れてた旦那に電話電話に出るや否や「仕事が早く終わって、病院に今から向かうから~」という旦那に「遅いわ~。だってもう産んだし…」と出産を報告旦那にすら事後報告なので、両親にも「今朝陣痛が来てね」というところから、出産報告の電話を入れましたとさ…。膝の上で、おっぱいをたらふく飲んで眠る我が子を見ながら、このブログを書いています。不妊症に不育症に高齢初産…。辛い事もいっぱいあったし、不安だらけのマタニティーライフだったけど、今から思えば大半が取り越し苦労だったかも…。辛い時期も過ぎれば笑って話せるというのは、こういうことなんだな~と、また1つ成長させてもらった気分です。私自身、子供を産むには適さない体と思ってたから、産んですぐも自分が子供を産めたということが信じられなくて「本当に私の子なの?」って感じでしたが、もうすぐ1ヶ月を迎える最近になってやっと母の自覚が湧き「私の子なんだ」と思えるようになってきました。諦めなければ夢は叶うって、使い古された言葉だけど、本当にその通りだと今は思えます。たくさんの人に支えられ、越えられないと思ってた山を越えれた私から、数年前の自分と、今ベビ待ちで辛い思いをされてる不妊症や不育症仲間に、エールを送りたい。辛い事も過ぎれば笑い話諦めなければ夢は叶うのだ