カテゴリ:本当のような嘘の話
時計の針を目で追う。
例えば、今すぐにシャワーを浴びてジーンズを履き、 昨日のうちに調べた時刻の電車に乗れば、じゅうぶんに間に合う時刻で、 それでもソファの上から動けないでいる。 長針はすぐにでも短針を追い越す勢いで、 焦りだとか葛藤だとか何か分からないもやもやが 喉と胸の辺りをつまらせ息が苦しい。 時計の針を目で追う。 例えば、今すぐに寝癖にワックスだけを撫でつけてシャツを羽織り、 昨日のうちに調べた時刻の電車に乗れば、なんとか間に合う時刻で、 それでも、まだソファの上から動けないでいる。 少しだけ、目を閉じる。 何を、俺は言うことが出来るんだろう。 がんばれ、だとか、また会おうな、だとか、 幾つものセリフを頭の中で繰り返してみるのだけれど、どれも違う気がする。 たぶん。 いま、ここで何度と繰り返しても答えなんか出ない気がする。 その時に。 目の前にしたときに、出てくる言葉が本当なんだろう。 その言葉を確かめるためにも。 そして。 どうやって行ったのかなんて、まるで憶えてなんかいない。 17:50 成田発ロサンゼルス行き ×××便 電光掲示板でその文字を見ていた。 まだ、搭乗手続きは終わっていない。 走った。 バカみたいに広いそこは、走っても走っても端が見えない。 焦り。 ひょっとしたら、もう。 走る足が、徐々に歩幅が小さくなり、ひざに手を置く。 地面だけを見つめて、 「クソっ」 どうしてもっと早く、そう自分を責め、顔を上げ、天井を仰ぐ。 17:10を示すデジタルの光が見える。 もう、搭乗ゲートは。 目をやったその時に、数人に囲まれ搭乗ゲートに向かう姿を、俺は見た。 彼女だ。 搭乗ゲートに向かって、全力で走った。 走って、走って。 あと、10メートル。 彼女が。 友人だとか、きっと、家族だとか。 激励の言葉だとかしばしの別れを惜しむ言葉だとかを彼女に向かって いくつもいくつも投げかけ、彼女はそれに答えるように、 いくつか言葉を言ったり微笑んだりして、 そこに、俺の場所は無い気がした。 あと、10メートル。 そこから俺は動けないままで。 そして、彼女が、ゆっくりとガラスの向こう側へ。 その瞬間、その後どうなるなんてこれっぽっちも無くて、 俺はその分厚いガラスのすぐそばで、彼女の名前を叫んでいた。 大きい目を、更に見開いて、彼女が俺を見る。 これだけ分厚いガラスの向こうに、声が届くのなんか分からない。 「俺は、俺は!お前を・・・!!」 それ以上に言葉は出なくて、ガラスに当てた手を拳に握って。 彼女は、俺を見て、笑った。 ああ、どれだけぶりに見たのか。その顔を。 小さく手を振って、彼女は振り向いて。 それ以上こちらを見ずに出国ゲートに向かった。 強い彼女は、友人や家族の前できっと泣くことは無かったんだと思うし、 そして、その後姿は、強すぎるくらいに思った。 結局、俺は彼女に何も言えなくて。 でも、「言葉」が正解じゃなかったのかも知れない。 俺は何も言えなくて、でも、 彼女は、笑った。それはとても強い笑顔で。 そして、優しい笑顔で。 それが俺と彼女のストーリーの、一番の形だったのかも知れない。 目を開ける。 時計の針は17:50を指している。 ああ、これが。これが本当の俺と彼女のストーリー。 結末は何だかあっけなさ過ぎて、でも、それが全ての真実で。 俺がソファに居て、彼女は離陸するロス行きの飛行機のシートに居て。 点けっぱなしのTVから、流行りの歌が流れて、 それが俺と彼女のストーリーのエンディングテーマ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.13 23:37:21
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