大貫俊夫他(編)『修道制と中世書物―メディアの比較宗教史に向けて―』
~八坂書房、2024年~
2020年にはじまったプロジェクト「中近世における宗教運動とメディア・世界認識・社会統合:歴史研究の総合アプローチ(略称ReMo研)」の成果として刊行された論文集です。
編者代表の大貫先生は東京都立大学人文社会学部准教授。本ブログでは次の訳書を紹介したことがあります。
・アルフレート・ハーファーカンプ(大貫俊夫他編訳)『中世共同体論―ヨーロッパ社会の都市・共同体・ユダヤ人―』柏書房、2018年
・ウィンストン・ブラック(大貫俊夫監訳)『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』平凡社、2021年
編者の1人赤江雄一先生は慶應義塾大学文学部教授。本ブログでは次の単著と編著を紹介したことがあります。
・Yuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015
・赤江雄一/岩波敦子(編)『中世ヨーロッパの「伝統」―テクストの生成と運動―』慶應義塾大学言語文化研究所、2022年
本書の構成は次のとおりです。
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第I部 総論(大貫俊夫・赤江雄一・武田和久・苅米一志)
はじめに
I-1 キリスト教修道制における書物メディアとその展開
I-2 日本中世仏教における書物メディアとその展開
第II部 書物文化の醸成
II-1 西欧初期中世秘跡書写本の装飾イニシアル―vere dignumとte igiturのイニシアル・ページの機能をめぐって(安藤さやか)
II-2 二重修道院の書物―セッカル修道院の書物係ベルンハルト(1140-84/85)の足跡を追って(林賢治)
第III部 書物による知の継承・改変
III-1 世俗知から宗教知へ―ボエティウス『哲学のなぐさめ』に見る知的世界観の変容(阿部晃平)
III-2 西欧中世の修道院と動物寓意テキストについて―Dicta Chrysostomi版フィシオログス写本の分析から(長友瑞絵)
III-3 ドイツ語圏英雄伝承の教化素材化―ニーベルンゲン伝説およびディートリヒ伝説を題材に(山本潤)
第IV部 歴史叙述とアイデンティティ
IV-1 托鉢修道会のアイデンティティと書物(梶原洋一)
IV-2 『キリストの生涯についての黙想』をめぐる二大托鉢修道会のイメージ戦略(荒木文果)
IV-3 聖マルゲリータ・ダ・コルトーナをめぐる記憶の政治と書物―13-14世紀転換期におけるフランチェスコ会・イタリア都市・聖人崇敬(白川太郎)
第V部 日本中世との比較
V-1 聖地と日本仏教史の再創出―『金剛山縁起』の偽撰と受容(川崎剛志)
V-2 「東国の王権」を守護する観音―真名本『曾我物語』・『源平闘諍録』・坂東三十三所縁起(宗藤健)
あとがき
編者・執筆者略歴
索引
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4名の編者による総論は本論文集の導入として、研究動向や歴史的背景の見取り図となっていて便利です。西洋中世史と日本中世史との比較が本論集の特徴の1つですが、中でも、日本史の観点から、「説話は、中世ヨーロッパで人気を博した「例話」と同様やがて文学の一分野となり、その集大成が中世初期…における『今昔物語集』である」(50頁)との指摘は興味深く、『今昔物語集』にあらためて興味がわきました。なお、西欧中世の「例話」(基本文献はClaude Bremond, Jacques Le Goff et Jean-Claude Schmitt, L'《exemplum》 2e edition, Brepols / Turnhout, 1996)が「文学の一分野」だったのかどうかについては議論があります。
以下、各論について簡単にメモ。
安藤論文は標題どおり秘跡書写本の装飾頭文字について、モノグラム(合わせ文字)の影響関係など、様々な写本との比較検討を行います。
林論文は男女両性が同一の修道院で生活する「二重修道院」の書物係による写本分析を通じて、従来の「慣習律」が想定していない「二重修道院」の形式に対応させるべく、女性を対象としたメッセージを盛り込んでいたことを明らかにします。
阿部論文は、「キリスト教徒が書いた異教的文学」(140頁)であるボエティウス『哲学のなぐさめ』が、中世においていかに読まれ、キリスト教的に解釈されたか、様々な写本の余白に記された注解や挿絵を手掛かりにたどる興味深い論考です。余談ですが、『西洋中世研究』15所収の阿部晃平「知識をいかに体系づけるか?―『ソロモンの哲学の書』に見る初期中世における学問区分の再編成―」という論文も大変興味深く読みました。
長友論文は『フィシオログス』という動物寓意テキストのある写本について、特にハイエナとゾウのキリスト教的解釈の分析を行います。ハイエナとゾウが1つのフォリオの裏表に描かれている点にも編集者の理念を読み解く興味深い指摘がなされます(202頁)が、一方でその写本の構成(177頁)によれば、2つの動物のあいだに野ロバとサルが配置されているようなので、紙幅の都合があるとは思いますが、間に置かれた動物たちの位置づけが気になるところでした。
山本論文は副題に掲げる2つの伝説について、俗人の「英雄伝説」をいかに聖職者が書字文芸化したのかといった点や、英雄伝説への両者の認識などを考察します。面白かったのは、『ニーベルンゲンの歌』は、その破滅的な結末の続編である『ニーベルンゲンの哀歌』と組み合わされて写本に収録されており、後者は前者をキリスト教的な歴史構造に位置づける機能を果たしていたという指摘です。
梶原論文は、本書収録の多くの論考が、「宗教者たちが、多様な手段・目的によって、過去から継承した書物や知識に「改変」を施したプロセス」(233頁)を鮮やかに描き出しているのに対し、当該論文は書物の存在を通じて、「集団が有する性格とアイデンティティが変容し再定義される、その様相」を考察すると冒頭で述べ、本書の諸論考の性質と自身の目的を的確に提示します。そのうえで、ドミニコ会士とフランシスコ会士が書物とその作成・収集にいかなる態度を示したのか、鮮やかに描き出す興味深い論考です。
荒木論文は、フランシスコ会士による『黙想』という作品が、多様に絵画として表現された一方、同作を意識して作成されたドミニコ会士による『黙想』は、壁画制作を前提としつつ、自由な表現を制限していたこと、さらにドミニコ会『黙想』への競合意識を反映するかのようなフランシスコ会出身教皇の壁画の作例を指摘するという、書物とそれを基にした絵画の分析から、2つの修道会の競合意識をたどる読み応えのある論考でした。
白川論文は、神秘体験を経験し、後に聖人とされる俗人女性マルゲリータ・ダ・コルトーナを、書物を通じて崇敬を確立しようとしたさまざまな人々の関与・思惑を具体的に分析します。
第V部は日本中世史からの2つの事例です。
いずれも、宗教と書物をめぐる重厚な論考で、興味深い1冊です。
(2024.05.19)
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