カテゴリ:moter bike
日曜日は、また雨の確率が高い予報が出ていました。
しかし、日曜日に近づくほどに、予報が好転し、晴マークさえ予報されるようになりました。 先週に続き、家内も予定がなかったので、「夫婦でお出かけ」になりました。 「夫婦で自転車」も、真夏ほど暑くなくいいのですが、前々から走ってみたかった「林道・吉野大峯線」に行くことにしました。 自転車で走る猛者も多いようですが、僕らには無理なので通勤リード110・タンデムです。 我が家から吉野まで80km・2時間半です。 この間、家内は電車移動してもらいます。 交通量の多い所も通り、快適ではないので、ここで疲れさせては本番で楽しめません。 万一の事故の可能性もあるしね。 夫婦とも、夏用プロテクター上下+ダイワ釣り用レインスーツで、6時半に家を出ました。 電車でも、高速道路に乗れないリードでも、2時間半の行程です。 最寄り駅まで家内を送り、r13をドカンと南に下ります。 R43を東進し大阪府に入り、天王寺駅の横を30分後に通過。 家内も天王寺までJRで、ここで近鉄に乗り換えます。 僕がかなりリードしてるはずです。 道なりにR25に入り、平野の辺でR309にチェンジします。 ここらの西は、奈良と大坂の間にそびえる生駒山系の南縁と、金剛山系の北縁の切れ目です。 奈良・大阪の交通の要衝で、JR・近鉄・国道・高速道路、みんなこの辺を通ります。 昔はもっと地形が重要だったので、河内の国の中心は、平野・松原・藤井寺・羽曳野のここらでした。 古くは、鎌倉幕府・源頼朝、室町幕府・足利尊氏を輩出する清和源氏流れの河内源氏の本拠地であり、室町幕府の三管領家の一つ・畠山氏の本拠地でもあります。 徳川家康軍の大坂城攻撃陣も、北の淀川流れに沿って南下した軍と、ここを通る大和川を西進する軍に分かれました。 外堀・内堀を埋められた大坂方の真田幸村は、大和川を下ってくる家康本体をここに奇襲をかけ、殲滅する作戦を立てました。 兵力が、徳川方の半分ですが、全力をここに向ければ、互角以上の戦いができます。 この作戦は受け入れられませんでしたが、幸村隊や後藤基次隊・毛利勝永隊など、大坂方の猛者達がこの地で徳川方と接戦を演じ、家康が切腹を覚悟するほどに追い詰めた。 今回は、大和川に沿うR25ではなく、R309で吉野に向かいました。 攻城しようと思ってる楠木正成の本城のある千早赤阪村の土地勘を磨くためです。 金剛山系の雄山、金剛山と葛城山のタワ部下をトンネルで抜けて大和入りします。 旧道が残ってるようで、時間があれば走ってみたいところです。 そのままR309一本で、近鉄・下市口駅に出ます。 吉野川(紀の川)に沿うR370を吉野方面にさかのぼります。 ここでガソリンが少なくなってきたのでGSを探します。 ここでも日曜日休みのGSが多く、吉野山へ渡る橋まで来てしまいました。 吉野山に入れば、GSなんてなさそうです。 地域の草刈りをしておられるおじさんに声を掛けると、基本親切な地域柄、丁寧に教えてくれました。 一旦、吉野川の橋まで戻り、R370をあと100m行けばありました。 ついでに空気圧も2.3にします。空気圧の低下は、山道で石ころパンクを誘発します。 燃料費721円。燃料半分で家から出てきて、半分以上残して家に帰りついたので、この日の交通費は700円ほどでした。 家内の電車代が、片道1800円ほどだから、バイクはお得です。 r15とr37の2本の県道が吉野に向かっています。 家内と待ち合わせの「近鉄・吉野駅」へは、線路に沿うr37だけど、時刻は10時前、抜群の流れで来ない限りまだ余裕があるはずなので、r15で吉野山に上がってみます。 方向音痴の家内のことだから、30分ぐらいロスするはずだとの読みです。 ケーブル山上駅から、急坂を下って吉野駅に下ります。 r37と合流したところで、地図を見ていると、草刈りのおばさんが、「何処に行くね?」と声を掛けてくれました。 さすが観光地、土地勘のない方への親切が代々受け継がれているのでしょう。 駅は横なので、「何処で待つかな?」とゆっくり駅前広場に入ると、家内はそこにいて手を振っています。 家内も、今着いたところのようです。 吉野駅下車のお客さんは、家内ともう1人だけだったそうです。 南北朝時代の南朝方朝廷があった場所なのに・・・、いくら有名な吉野千本桜の季節じゃないと言っても・・・、寂しくないかい? もっともっと、賑わっていると思っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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