稲子ちゃん その1 2010年10月25日
2010年10月25日 稲子ちゃん その1今日、家内はイナゴを取りに出かけました。こちらでは、たんぱく質が豊富なイナゴを炒ったり佃煮にするからです ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤(のみ)のようでもないからこいつあと驚ろいて、足を二三度毛布(けっと)の中で振ってみた。するとざらざらと当ったものが、急に増え出して脛(すね)が五六カ所、股が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏み潰したのが一つ、へその所まで飛び上がったのが一つ,いよいよ驚ろいた。 早速起き上がって、毛布をぱっと後ろへほうると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪かったが、バッタと相場がきまってみたら急に腹が立った。 バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなり括(くく)り枕を取って、二三度叩きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢いよくなげつける割に利き目がない。 仕方がないから、また布団の上へ坐って、スス掃きの時に茣蓙を丸めて畳を叩くように、そこら近辺を無闇にたたいた。 バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩だの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いた奴は枕で叩く訳に行かないから、手でつかんで、一生懸命に叩きつける。いまいましい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答えがない。 バッタはたたきつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。 ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治た。ほうきを持って来てバッタの死骸を掃き出した。 小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。間抜め。と叱ったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を縁側へ放り出したら、小使は恐る恐る箒をかついで帰って行った。 おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕まくりをして談判を始めた。 「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」「バッタたぁ何ぞな」と真っ先の一人がいった。 やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。 「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、あいにく掃き出してしまって一匹も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃きだめへ捨ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。 「うん、すぐ拾って来い」と云うと小使は急いでかけ出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり乗せて来て「どうもお気の毒ですが、あいにく夜でこれだけしか見当りません。明日になりましたらもっと拾って参ります」と云う。 小使まで馬鹿だ。 おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたぁこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないたぁ何ごとだ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれをやり込めた。「べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕(つら)まえてなもし、たぁ何だ。菜飯は田楽の時よりほかに食うもんじゃない」とあべこべにやり込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行っても なもしを使う奴だ。(夏目漱石「 坊ちゃん」より)次の号はイナゴの取り方イナゴの食べ方写真集になる予定ですバッタバッタ バッタ♪ *挿絵は細木原青起さん(『名作挿絵全集』第二巻「夏目漱石作 坊ちゃん」平凡社と高田勲さん(日本文学館 『夏目漱石』(講談社) の作品をお借りしました