愛犬の話
・・・星見銀次さんのところの愛犬が亡くなったという話を読んで、思い出した。うちの犬(二代目)はトニーという名前だった。横浜から帰省すると、いつものように、トニーは階段の上から、しっぽを振りながら下りてきた。いつもと違っていたのは、後ろ足がびっこを引いていたこと。母に訊ねると、車にはねられたらしい。ひさしぶりに散歩に出かけても、もう昔のようには走れない。私が散歩するときだけは、家の玄関からお諏訪さんの階段まではダッシュで、めいっぱい走ることができて、うれしそうだったのに。びっこをひきながら、ゆっくりと散歩だ。当人は走る気まんまんなのだが。「まあ無理するな。上に登ったら放すから」なだめながら歩く。確かにだいぶ年なのだが、事故の後、急に老け込んでしまったみたいだ。とても悲しい。はじめて飼った犬も車にはねられて、小学校から帰ったら、虫の息だった。私の顔を見て、動こうとするが、動けない。「動かなくてもいいよ。そのまま寝とけ」とてものどがかわくらしく、水を差し出すと、ゴクゴク飲む。そのまま、横に座ってた。深夜になって、父と母から説得されて、泣く泣く床についた。目が覚めてすぐに見に行くと、もう冷たくなっていた。午後に学校から戻って、家の正面の空き地に埋めた。今はそこは花壇になっている。春になると、きれいに花が咲く。正月も終わって上京するときに、もう会えなくなるような気がしてた。階段の上から私を見送るトニー。仕事で帰りが遅くなって、冷え切った街をトボトボ一人で歩いて帰っていると、目の前にトニーにそっくりな犬が居た。近くに飼い主もいないようだ。どこからか逃げ出してきたらしい。「トニー」そっと呼びかけてみた。いつもと同じようにしっぽを振って近づいてくる。いつものように、あごの下をくすぐってやると、とっても気持ちよさそう。なんとなくうれしくなって、遠回りをして、川沿いの歩道を歩く。トニーもテクテクついてくる。「いろんなことがあったよな。覚えてるか」もちろん応えはないのだけれど、分かったような、困ったような顔をして、私の言葉に耳を傾けている。川沿いの歩道ももう終わり。「もういいよ。こっから先は車が来るから、戻りな」「ありがとうな」分かった、とうなづいたような気がした。一、二回ちらちらとこちらを振り返っていたが、その後振り返ることはなかった。なんだか別の犬になってしまったみたいだ。次の日の夜中に、電話のベルがなる。今朝、トニーが息を引き取ったそうだ。そうか。やっぱり。自然と涙がこみ上げてきた。一人ベッドの上で泣いた。その後、毎日、会社までの往復で、トニーによく似た犬の姿を探すが、それっきり見かけることはなかった。夏になって、帰省したときに、ようやくトニーの墓参りをした。子どもの頃からずっと遊んでいた近くの空き地だ。今は、そこは道路になってしまった。少し悲しいが、彼との想い出はいつも私の中にある。決して忘れてしまうことはない。