2022/1/17~22口腔外科に入院・手術
このブログには書いていなかったと思いますが昨年の秋から、歯科クリニックと大学病院と相談しながら、今後高齢になっていくことも鑑みて今年、口腔内の手術や治療をすることにしました。簡単にいえばインプラントですが私の場合、過去のアルコール依存症や精神障害のせいで、15~16年前にはいろいろな歯科で、弱った歯を抜かれて最後には某大学病院で「抜いてはいけない本数まで抜いてしまいました」と言われても、どうすることもできず。その後、乳がんの全摘手術や抗がん剤治療、依存症の治療などに追われて、歯の事は後回し。長年右側だけで食べ物を噛んできました。なので、顎は変形してくるし、滑舌は悪いし、このままでは右側に負担がかかりすぎるし、全く無い左上の歯を支えていた骨は溶け、単にインプラントを埋め込むことはできず。さらに、「嘔吐反射」が強くて何時間も器具を入れられないし精神薬を飲んでいるので、外来での軽い麻酔が効きにくい可能性もあり入院をして、全身麻酔で手術、ということになったわけです。上に伸びすぎた左下の奥歯も抜く、ということになっていました。骨や、インプラントのネジを埋入したり糸で縫って、それをまたしばらくしたら抜糸、そのほかにも下の歯の神経を抜いて調整したり、…骨とネジが落ち着いて、歯のようなかぶせ物をするのは、半年位あと。長丁場になります。その間、傷が癒えている時期は歌えますがまた切ったり抜いたりしたら痛みや腫れで歌ったり話したりしずらくなるのでこれまでのように毎日のようにネット配信でみなさんと楽しく歌ったり、ライブやオープンマイクに出る回数も減ります。なので、入院の二日前に「またね私の歌声」というタイトルで配信してたくさんの方々にご挨拶や励ましをいただきました。本当に感謝しています。私が一番自分で心配なのは、「歌に支えられて生きている私」がその回数が減っても精神的に大丈夫か?ということだったので…-----さて、今はコロナ渦が猛威をふるっているので入院前にPCR検査をして一人で大荷物をタクシーに積んで病院へ向かいそのタクシーの中で「陰性でした」と連絡をいただき。到着してからの手続きなども、すべて一人で。部屋も、感染予防のため、個室でした。広くてユニットバスもついていたので精神的に不安定になりやすい私にはよかったのですが。でも、麻酔医との話や夜になって執刀医の説明と承諾書のときに私が事前に通院時に聴いていた内容と少し違うことがあってちょっとオロオロしてしまいました。(やはり不安だったのでしょう)そして、術後に起こる痛み・気道挿管からくる喉の不具合・ひどい腫れ・内出血・副鼻腔炎etc.あまりにいろいろあると説明されたので、少しゆっくり入院したいと相談しました。-----そして、翌日、手術当日。全身麻酔なので、その日だけは夫に仕事を休んでもらい待機部屋で待機してもらいました。(感染予防で面会はできません)入院が延びることも考えてゼリー飲料や紅茶のティーバック等も差し入れてもらいました。(感染予防で売店まで行けません)手術室で麻酔をかける直前に「これから何をしますか?」と確認されたときに「ここで、手術する」と言ったら、通院の時からの主治医に「ザックリしすぎ」と言われ💦一緒にもっと詳しく言いましたとさ。そして、目が覚めたら。。。執刀医の中で一番偉い助教授先生が「無理かもと言っていた場所もインプラントできました」「〇〇先生(通院時の主治医)ががんばってくれて」と。なんだか、ほっとして主治医の顔を探したり助教授先生の顔を見てうなづいてもらったり涙ぐんでしまいました。本当に、私にとっては「単なる口腔外科でしょ」なんてものではなかったんです。-----術後、麻酔が切れてきたら言われていたとおりになりました。喉は傷ついて咳が止まらず、左頬がまずパンパンに腫れ、ほうれいせんまで伸びて赤い筋になり、そのうち、左目の周りが真っ赤なアイライナーを引いたようにくっきり赤くなり、だんだんその内出血が下に降りてきて首(喉)も内出血。あまりにひどい状態の顔は夫にしか写真送っていませんが痛み止めのロキソニンを飲みながら必死に気晴らしを試みました。・うつらうつら、眠る。・ゲームを少しずつする。・ナースステーションに書いてあったエッセンシャルオイルの芳香浴。・ロールアップピアノの音を出してみる。・Tverで観たことのないドラマを探す。・iPadproでアマゾンプライム映画を観てみる。・これまで読めなかった本を開いてみる。痛みや不快はありましたがいろいろ工夫したおかげで新しいものにも出会えました。たとえば、Tverで見つけたドラマ『スナックキズツキ』。お酒を置いていないスナックでママさん(原田知世さん)が行うのはまぎれもない、音楽を使ったアサーティブ。そして、アマゾンプライムでは2つの素敵な映画と出会いました。ミュージシャンのシングルファザーが息子のために毎日お弁当を作り続ける『461個のおべんとう』そしてそして、保育士であった私には痛いほど大変さが伝わった戦時中の疎開保育所の実話、『あの日のオルガン』。本も二冊、読めていろいろ自分に照らし合わせて考えることができました。このようにして、なんとか乗り切り、退院前日、かなり頬の腫れが弾いてきた状態。(左目と喉はまだ赤黒いですが)↓私にとっては全身の休息・心の休息も必要だったのかもしれませんね。-----17日(月)に入院したときは1人でがんばりましたが、毎晩夫が電話をくれて22日(土)の退院時には車で迎えにきてくれました。そして、帰宅して少し休んだあと、一緒にウォーキングとランチへ。まだ食べられるものは限られていますし体力も落ちていますが、慌てず焦らず、神さまにおまかせして、また新しい歌が降りてくるのをお待ちしようと思います。それまでは、無理せず、少しずつピアノ練習でも…♪P.S.退院日は「ピクミンブルーム」のイベント日でした。