合理的配慮
なにげに見ていたNHKで「障害者権利条約」について取り上げていました。国連で採択された「障害者権利条約」についての話なのですが、判りやすい例として障害があるために(知的遅れを伴う自閉症)家から5分のところに有る小学校への入学を拒否され、毎日1時間近くかけて特別支援学校に通っている男の子の話がありました。彼は幼稚園が地元の学校で、親子共々友だちがいて、お母さんはみんなに支えられて生活している事を実感していたそうですが、就学の相談の際に教育委員会から「この小学校に入られても何も対応はできない!」と言われ、拒否され、ひどく疎外感を感じたと言っていました。障害が有るから、特別な支援をするために別の場所を用意する。一見、合理的な考えのように見えなくもないですよね。実際、そういう対応が必要な場合も有り得るのだろうとは思います。 ただ、障害者を分離するという考え方は、一方で障害者への差別を生み出すことになるのでは?という考え方も有って、それに本来は地元の学校に行って、地域の中で暮らすことができたはずの子が障害が有るために地元の人たちと関わることなく生活することになってしまうとしたら、しかもそれが親や本人の望んでいないことであるとしたら・・・「障害がある人の権利に関する条約 仮訳」(日本語訳です)条約の第24条 教育には、こんな文が有り、次の事を確保せよと有ります。「障害のある人が障害を理由として一般教育制度から排除されないこと、並びに障害のある子どもが障害を理由として無償のかつ義務的な初等教育又は中等教育から排除されないこと。」 「障害のある人が、自己の住む地域社会において、他の者との平等を基礎として、インクルーシブで質の高い無償の初等教育及び中等教育にアクセスすることができること。 」 「個人の必要に応じて合理的配慮が行われること。」「障害のある人が、その効果的な教育を容易にするために必要とする支援を一般教育制度内で受けること。」 「完全なインクルージョンという目標に則して、学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境において、効果的で個別化された支援措置が提供されること。」インクルージョン(inclusion)という言葉は包括的にという言葉で、ここでは子ども達を包み込む概念として使われています。教育は子ども達それぞれの、個人に応じた「合理的配慮」をする事で、排除するのでは無く、全ての子どもを包み込んでいくべきであるという事。実は、日本の学校制度から言えば、小学校は障害者を排除することを法的に認められているのです。(学習が困難なものという書き方ですが・・・) 何人たりとも人間として平等だという思いは、実は幻でしかなく、実は障害者は差別されるのが当然の社会だった事の方がわたしには驚きですが、少しずつでもいい、前向きに進んで言って欲しいと切に思います。