カテゴリ:社会の一こま
突然「プルン!プルン! プルン!プルン! 緊急地震速報! 緊急地震速報! ただいま岩手県内陸部で大きな地震発生。岩手県、宮城県、秋田県、山形県は警戒してください」(こんなような内容の情報だと思うけど正確ではありません)という、ラジオからの地震警戒速報が8時43分過ぎに流れた。
私は8時過ぎから、いつものようにNHKのラジオ放送を聞きながら仕事を始めていた。 この「プルンプルン」という警報音は、以前何度か試験電波で流すテスト音で聞き慣れていた。 だから、またそのテストかと思った。 でも、アナウンサーの警戒放送内容を聞いて、「うわっ!これはホントの地震だ!」と一瞬感じ、とっさに自分自身の警戒態勢に移った。 いま居るこの建物内で落ちて来る危険物はないかと見渡し、やがて来るであろう地震の揺れに備えて機械の上に手をついた。 10秒もしないうちに「建物の鉄筋のきしむ音が発し始め、ユラユラと揺れ始めた。天井からぶら下がっている電灯が左右に揺れ、私自身も船上で揺られているような気分になった。 後の情報でこちらは震度3の揺れであったことが分った。 すぐテレビのある部屋に飛んで行き、地震情報を確認する。 岩手県と宮城県で震度6強の地震だという。 最初はマグニチュード7.0と言っていたが、後に7.2に修正。 このあとは、ラジオでずーっと情報を聞きながら仕事を続けた。 そういえば私の後任の工場長は岩手県出身で、実家があるはず。 すぐ被害の具合がどうなのか本人に確認の電話をいれる。 本人曰く「現地へは電話が集中していて繋がらないので確認ができない」とのこと。 数時間あとで、大丈夫だということを知りひと安心。 いま現在(午後11時)の被害状況は死者6名になっているが、まだ行方不明者が数名おられるので、もっと増えるのではなかろうか。 道路の寸断、土砂崩れ、建物崩壊等々で被害の状況は明日以降もっと拡大報道されるであろう。 私はいままで身の危険を感ずる地震を3回経験している。 最初は昭和39年の新潟県沖大地震。まだ22歳の時だ。 夜勤明けで家の二階で寝ていた。ズシーンという揺れでこのまま家が倒れ下敷きになるかもしれないととっさに思い、布団の上で這いつくばったものだ。 幸い、家の土台が少し動いたけれど無事大きな被害からは免れた。 その次は4年前の新潟県中越大地震。このときは夕方で、宅配便の受付場で、お酒を送る手続きをしているときグラグラときた。 宅配便受付の女性が「キャー」とお大声をあげてしゃがみ込んだ。私は建物の柱が落ちて来るのではないかという恐怖感を一瞬いだいた。しかし、大丈夫だった。 次は昨年の「新潟県中越沖地震」でも大きな揺れを感じた。 立て続けに大地震に見舞われた新潟県は、すっかり災害県のレッテルを貼られてしまった。 そんなことで、過去の阪神淡路大震災や、ついこの前の中国四川省の大地震等々、地震の恐ろしさは、いやというほど知らされて来ている。 でもその都度思う。 人間の力など、自然の前では無力に等しいと。 わが家の玄関脇の棚には防災グッズが入ったリュックが置いてある。 水、非常食、ラジオや手動発電装置兼懐中電灯等々が入っている。 たまたま今朝、妻と二人でコーヒーを飲みながら地震対策のことで話し合っていた。 わが家も専門家による耐震診断を受けてみようかと。 必要なら補強工事もやらないといけない。 これで避難生活が少しは免れる可能性が高くなるのだからやってみる価値はある。 それと、被災生活で必要な情報をまとめたメモを作ろうということも。 このメモには銀行口座番号、健康保険証番号、地震・火災保険番号、家族全員の血液型など。 まさか、こんな話しをしていた今日の3時間後に、東北地方でこのような大地震が起こるとは夢にも思っていなかった。 「災害は忘れぬうちにやってくる」ということを、もう一度肝に命じなくてはいけないようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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