カテゴリ:社会の一こま
あんまり他人のことをどうこう言いたくないが,せっかく高く評価していた人がその評価外の行動に出られるとガッカリすることがある。
今回の一連の東国原宮崎県知事の騒ぎもそのひとつ。 あれだけ騒がれ、マスコミの前に登場する知事はこれまでいなかたのではないだろうか。 でもそのお陰で一躍宮崎県は日本国中から注目される県に躍り出た。 知事の功績大である。 ところが、中山前国土交通大臣の放言辞任で次の衆議院で誰が宮崎1区から立候補するかが浮上。 そこで自民党は東国原知事に白羽の矢を。 本人もまんざらでもないとはっきり否定せず(本音は出たい?)、あとは県民の声を重視としたいとした。 私はそのとき思った。 「きっとここまで一生懸命宮崎の為に活動してくれる知事に対する評価は大きだけに、宮崎県民はさぞかしショックだろうな」と。 それと、こんなに県民から頼りにされているのにそれを裏切ってまでも国会議員になりたいのだろうかという疑問がわいた。 だって、次期衆院選で自民党が政権与党に残れるかどうか分らない時に、何もノコノコ出て行くことないだろうにとも。 だた私は宮崎県民でない第三者的な見方だから、必ずしも正確ではないかもしれない。 知事職と国会議員職を比較することは難しいが、少なくとも県知事はその県の一番の責任と権限を有する一国の主である。 これまでは国会議員が知事に転向するというケースはあった(石原都知事もそうだ)。 それが今回は逆のケースで、思わずエッ!と。 ただ将来国会議員から総理大臣になれれば、国の最大の長になるのだから、その魅力に勝るものはない。 東国原知事はそこまで夢をふくらませたのだろうか? 結果として、県民からは「ノー」のアッピールがほとんど(9割)だったという。 きっと「あなたまで、まだ就任半ばで放り出すのか」という思いもあったのだろう。 取り敢えず今回は涙をのんで衆議院立候補は断念したようであるが、今後も機会あれば国政に携わりたいという希望は消えないようだ。 自民党も生き残りを賭けて必死なことがよく分かる。 過去に野党だった社会党を取り込み村山政権を打ち立て政権与党の座を確保した。 そのため、結局社会党は世間からの信頼を失い、いまや霞んでしまいそうな社民党に落ちぶれてしまった。 公明党も9年前に取り込まれて与党の仲間入り。 もはや結党当時の清新的な面影はない。 しかし信仰という呪縛(?)が働いてか、大きな批判力を押さえられている創価学会員の支持が続く限り存続するであろうが、そろそろその呪縛も切れそうではないのだろうか。 いつ解散かは総理の決断次第ということで煙に巻かれているのは国民。 あれもこれも全く先が見えない日本国である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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