カテゴリ:社会の一こま
今日、社長と懇談した。
本社東京から来られた社長に、現工場長が面談の機会をセットしてくれたのである。 前々から「今年の4月で仕事を辞めたい」という私の意向を、正式に社長に伝えることのためであった。 私は昨年から、今の労働契約が今年4月15日で切れるのを契機に引退したいと申し入れて来た。 周りからは、「まだまだ元気のうちは働けるだけ働いた方がいいのではないの」と言って下さる方もいた。 でも私は、「精も根も疲れて来た。もうこの辺で自由にしてほしい」という気持ちが正直あった。 身体の疲れ方が以前よりシンドイと感じ始めて来たのも事実だ。 私は中学を卒業すると、貧しい家庭の事情ですぐ働きに出なければならない状況だった。 15歳から普通の大人の人と同じように労働に従事してきた。 泣きたいときもあれば、辞めてしまいたいと悩んだときもあった。 でも最後は持ち前の辛抱、忍耐力で乗り越えてここまで来れた。 もちろん苦しいことばかりでなかった。 楽しいときもあり、仕事のやり甲斐を感じて猛ハッスルしたこともある。 まわりから注目されることもあった。 とくに仕事人としての人生後半は、その苦労が報われ、有り難い立場にも登用してもらえた。 だから、仕事の上での我が人生に悔いはないと思っている。 さらに声を大にして言いたいのは妻も家族も、この私を支えてくれたからこそ今日の自分があると深く感謝しているということである。 そしていま66歳。間もなくこの5月には67歳を迎える。 中学卒業して以来55年間、休みなしでここまで身体を張って仕事に専念してきた。 結婚のとき、盲腸で手術のとき、そして65歳の定年区切りのときの3度だけ、1週間以上の休みをいただいた。 それ以外は長期休暇などとても行使出来るような環境でなかった。 ある間は、盆も正月もなければ、昼も深夜も関係なく働かなけらばならないときもあった。 とにかく、がむしゃらにただただ仕事人として働き続けて来た。 でも・・・もう・・・この辺で・・・・ゆっくり休みたいのです。 これは私のわがままでしょうか。 たまたま、昨年からの世界的レベルの大不況。 私が辞めて、仕事を探している人に職を譲ることは決して悪いことではないと思うのです。 今日の社長との話しの中で、正式に4月退職を認めてもらいました。 「また4月になったら、ゆっくり食事でもしよう」と言ってくだりました。 あと2か月半悔いのないように、一日一日を思い出に残しながら働いていきたいと思っている次第です。 なにも私は人間を辞めるつもりはない。 これまでとは違った新しい自分探しをしたいというのが今の気持ちです。 手足が自由に動かせる健康なうちに(ニコッ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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