カテゴリ:社会の一こま
今回の葬儀は、お坊さん抜きの葬儀でしたので、お通夜の最初にその旨みなさんに説明しました。
終わったあと参列者の大半は「こういう葬儀初めてだった」という感想でした。 「こういう葬儀もいいね」「とても家族の真心がこもっていて感動した」という方もおられました。 しかし、葬儀社の担当は、葬儀後のことをとても心配されて「本当にこれで(お寺に知らせないで)かまわないのですね」と念を押されました。 ほとんどの家は、何らかの形(ほとんどお葬式や年忌など)で代々からのお寺との縁があるはず。 当然葬式となれば、檀家はその所属しているお寺に頼んでお経をあげてもらい、戒名をいただき、墓地に埋葬までという葬儀一切をお願いするのが普通。 私の家でも、22年前に亡くなった父の葬儀は、お寺の世話になりました。 今回お寺抜きの無宗教葬儀は、この後(四十九日後)のお墓の埋葬に支障を来すのではないかとの不安があるのです。 お寺にお骨を持ってお墓に埋葬したいと言っても、葬儀に呼ばれなかったのだからと、拒否される可能性があるのです。 ひたすら今回の不敬を頭を下げて謝ることでことが治まればいいのですが、そうは簡単に解決しないというのがこれまでの例だといいます。 そもそもこれには深いワケがあるのです。 私の両親は50年以上前にある新興宗教に入信しました。 その「S会」は信者団体であり、日蓮系の宗門(NS宗)のご本尊を受時し、教えを守り、宗門を外護するという立場でした。 でも「S会」はその後どんどん会員が増え組織が大きくなりました。 昭和の終わり頃には力関係が対等になったのか、お互い権力争い発展し、とにかく双方の争いはエスカレートするばかり。 相手を罵りあう姿や言動は「これが宗教を司る者のやることか」と、ただただ呆れるばかりでした。 ついに堪忍袋の緒が切れたのか宗門は「S会」を破門という形で切り捨てました。 「S会」は拠り所がなくなり、独立しました。 この争いの前に父は死んだので、お寺に頼んでの葬儀でした。 そのお寺の墓地の権利も両親が買っていたので、そこにお墓を建てて父のお骨を埋葬したのでした。 今は破門された「S会」は信者の葬儀は友人葬という形で独自のやり方に則りおこなっているようです。 私には「S会』も「NS宗」もどちらも信じられる団体と思えず、まったく受け入れる気持ちはありませんでした。 だから今回の母の葬儀はどちらの介入も許さず、私の意思で執り行ったのです。 いま検討しているのは、宗派に関係ない墓苑を求めそこに今のお墓を移すことです。 いままで両親が檀家だったのを抜ける許可をお寺からとるというハードルが待ち受けています。 それさえクリァーすれば、私の肩の荷もおりるというもの。 それにしても、宗教って怖いですね~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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