カテゴリ:子育て支援
子どもが苦手な人、が 子育て(支援)に関わる可能性。
たとえば、自分が子どもに対すること、子育てが「大変」「つらい」と感じる人が、 子育て支援に関わることは、意味があるんじゃないかな、と 思っている。 ちょっとたとえが違うけれど 私は学生のとき、数学が苦手でした。 先生の説明がどうしてもわからなかったのだけど 数学のわかる人に言わせると 「わからない人の気持ちがわからない」 んだそうです、、、。 その道のエキスパートさん、には、できない人の気持ちはわからない、 ってことなんだと思います。 さて、それを子どものこと、子育てについて当てはめてみたら? 子どもが好き、子どもの世話が好き。 一般的にはそういった方が、保育の仕事に携わってみえまして、もちろん 子どもたちが大好き、と言う方に関わっていただけることで、 子どもたちにも大きなプラスがあると思うのです。 子どもの目線、でモノを考えるのは不可欠なのだけれど 子育て支援、といったときに「親の目線」ということもはずせない。 世の中には、「できない(苦手と思う)親もいる」 ということを理解する、また、理解することも必要。 「親のつらさ」に寄り添うことが支援のひとつならば 体験したことのある人が、寄り添いやすい。 その気持ちが強かった人ほど、そうじゃないかな、と思う。 もちろん、すべての人が同じ体験、っていうこともありえないので 「体験の無いことはわからない」 って言ってしまったらおしまいなんであって、 「そういう気持ちだったんだ」と寄り添うことが大事と 言われています。気持ちに寄り添うときに、体験が 場合によってはプラスアルファになるのでは、と思うのです。 *** 私が過去に、子育ての辛さを言葉にしたとき、 「授産所施設見学に行ってごらん。そんなこと言えなくなるわよ」 という言葉をもらったことがあります。 ハンディをもった方たちが、精一杯のことをして働いている。 (やろうと思っても、できないこともあるのに、健常者の 自分は、あれがしんどい、これが辛いと言っている現実) 「辛いと思う自分は甘えている」と、まず自分を責めたことを 思い出します。 それで、私は、前向きになれて、何かが変わっただろうか? ・・・答えはNO。「やっぱり、私は頑張りが足りない」と言う結論でした。 良かれと思い激励する言葉が 日々「もっと、がんばらないと」と自分で自分を追い詰めている 人を さらに追い詰めることがある、ということ。 そして 追い詰められた親の元で育つ子にとってどうか?ということ。 子を虐待してしまう親の話を見聞きしても、困難に追い詰められ それを責められたくないがために、周囲や外に内情を出せず 抱え込んで、惨事に至ることがあるようだ。 「こんなこと、言っても大丈夫かな」と思いつつ、話せる相手を探している 親は、案外いると思う。その「こんなこと」は、場合によっては些細なことで あったり、実は重大なことだったりもするかもしれないが 悩んでいる本人にとって「重大なこと」ということは、その時点では まぎれもない「事実」なのだから。 「そんなことないよ、こーだから、心配しなくて大丈夫よ~」と 相手の言葉を打ち消して、言い切ってしまうほうが楽。 =励ましという美徳に隠れた切捨ての行為だ。 と私は思う。 そして もう、これ以上、そんな思いをしながら子育てする親が 増えてほしくない。 自分が市民活動に関わり続ける原点は、このあたりにあるのかもしれません。 *** そういえば 「できない」ことによりそう って、、、 実は、子どもに関わるときの原点でもありますよネ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.22 10:57:58
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